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横浜馬車道の宝石箱:創業78年の「中里宝石」

横浜馬車道に、この世で一番美しい宝飾品店がある。
かつて人々のゆく道を照らした緑青色ガス灯の先、赤い煉瓦に映える朱色のひさしの下で煌めく宝石箱。曇りのないガラスのショーウィンドウの中には、自然光を受けて輝く宝石たちが並ぶ。まるでおとぎ話の世界にいるような、心のランプがほんのり暖まるその店の名は「中里宝石」。横浜馬車道に創業78年という長い歴史を刻んできた美しい店は、2024年6月末、その歴史に幕を閉じる。

中里宝石の店内。商品を「魅せる」華やかな空間

夫がまだ彼氏だった頃、十一月の曇天の日。歩きなれた馬車道を散歩していたら、ショーウィンドウに飾られたファイアオパールの指輪に目を奪われた。中指の爪ほどのサイズの蜜柑色の石の中には炎が渦巻いていて、その繊細な輝きから目が離せなくなった。

ショーウィンドウの前で、今となって思えば安すぎるファイアオパールの指輪に見惚れる、見るまでもなく購買力のない垢抜けない小娘に「どうぞ、手に取ってみてください」と声がかかる。恐る恐る店内に入ると、祖母と同世代とも見える店員さんが穏やかな笑みで出迎えてくれた。
聞かれないことは答えず、求めないことは勧めない。わたしの指から離れた指輪を、大切そうに磨く指先。その指先で控えめに輝く孔雀色の宝石を見て、品性とは飾るものではなく内側から湧き出るものなのだと知る。もう少し大人になったら必ずこの店で宝石を買おう。そう心に誓った。

ファイアオパールが飾られていたショーウィンドウ

ファイアオパールとの出会いを機に、行く先々で宝石を見て回るようになった。百貨店や宝飾品展、鉱物の美術展へ足を運び、世界中の宝石を見た。「宝石」と呼ばれる鉱物は知れば知るほど奥深く、これこそが地球が生み出した傑作だと考えるようになると同時に、それが生まれながらにして内包する「美しさ」という不可逆的な価値ではなく、ヒトの目では見ることさえ叶わない形の「美しさの価値」を植え付けて売られることも知った。
ケースに陳列された宝石をずらずら取り出し並べては指にはめて見せ、ライトの光を当てて、いかに左右均等で傷がなく、資産になる代物かと耳元で小声で囁く世界がある。そういう場所で見た宝石は不健康に見えて、あまり好きになれなかった。

はじめて中里宝石を訪れてから幾ばくかの月日が経った頃、彼氏から指輪を渡された。海と空を混ぜたような透き通った竜胆色のタンザナイトと、その透明感を際立てる繊細な彫り込みのプラチナのリング。人生で初めて手に入れた宝石は、涙が溢れるほど美しかった。

ゾイサイト鉱石。タンザニアで採掘されるブルーゾイサイトにちなみ「タンザナイト」とティファニーにより命名された

その箱の内側にそっと印字された「中里宝石」の文字を見て、わたしの一番の理解者は間違いなくこの男性だと確信した。

タンザナイトの指輪とは別で婚約指輪を買ってくれるという彼に甘え、向かった先はやはり元町だった。「せっかくならたくさん迷うと良いよ」という言葉に背中を押され、元町から馬車道にかけて立ち並ぶ宝飾品店を一店舗ずつ時間をかけて見て回る。太陽が西に傾くころになってようやく、馬車道・中里宝石に到達する。透き通るガラスのショーウィンドウの中で西日をはじくダイヤモンドと目が合った瞬間、心に灯りが燈った。

炭素のみからなる鉱物。 Color(色) Clarity(透明度) Carat(重量) Cut(カット) の基準で評価される

「お似合いですよ。とっても幸せそう。」
やわらかい笑顔でお辞儀をする店員さんは、彼が贈ってくれた指輪たちのことも祝福しているように見えた。わたしは、自分がついに中里宝石の顧客になれたことが誇らしかった。

彼氏が夫になってからも、半期に一度届く元町チャーミングセールのはがきを頼りに馬車道へ足を運んだ。中里宝石の、存在を主張しない、それでも人生にそっと寄り添ってくれる、その控えめで愛情に満ちた優しい交流を密かに楽しんでいた。

婚約指輪の鑑定書と最後に届いたはがき

最後のはがきが届くつい3週間前のことだ。実家のリビングで新聞を読んでいると、祖母に指輪を褒められた。その昔は色とりどりの宝石で指先を飾っていた祖母と、宝飾品を巡る四方山話に花が咲く。
祖母のほんのり濁った、無垢でつぶらな瞳を見ていると、ふと中里宝石で見た黒真珠を思い出し、かの店を知っているかと祖母問う。

「知ってるも何も。秀久さんがある日突然、好きなやつ買えー!って、連れてってくれたのよ。多分、女の人と遊んだお詫びだったんでしょうねえ。私はずーっとあこがれだったから、翡翠の指輪を買ってもらったのよ。不器用な人よね。」

それまでの呂律の回らない朧げな口調とは打って変わって、わたしの目をまっすぐ見てそう語る。わたしが生まれる前に死んだ祖父との思い出が記憶の引き出しから飛び出したのだろう。必要のないことから順番に忘れ続ける祖母の脳の奥深くにも、中里商店がいた。

美しい宝石が並ぶ店内。祖母もここで心を躍らせたことだろう

ここ数年、祖母が語ることの多くは「事実」或いは「その時の脳内の事実」か、全くもって定かではない。答え合わせは誰にもできない。ただ、この話の続きでは「指輪を買った後、勝烈庵でトンカツを食べた」とのことなので、位置関係からして本当にあった出来事なのだろう。それを語る祖母の横顔は、なんだか少女のように見えた。なんて美しい人生なんだろう。

消えゆくものに郷愁を感じる。その切なさとちょっとした怒りは、老舗の宝飾品店にも、祖母の中に残された記憶にも、変わらずには居られない横浜という町にも通じるものがある。それでも、思い出すと自然と笑みがこぼれる。そういう出会いは、なかなか、ない。

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