コロナ禍にキャリアアップ転職してみた
転職活動を終えた。転職先を決めた。次の職場は、今の職場よりも忙しいだろう。
わたしは現在、都内にある映像プロダクションでプロデューサーとして働いている。エンタメ領域全般の動画広告が得意で、SNS運用と連動した視聴者参加型企画が好きだ。
従業員規模10名、所謂"小規模先鋭下請け"のプロデューサー。業務領域が幅広く、企画立案から営業、制作はもちろん、メディアアタックやプレスリリースの配信、ローンチ後の効果測定と、KPI未達時の言い訳資料作成代行まで、マルチタスクに働いてきた。
仕事が好きでたまらなくて、プロデューサーの自分が好きで仕方なかった。
そんなわたしはこの春を最後に、デジタルマーケティング部にキャリアチェンジする。本記事では、コロナ禍におけるわたしの転職活動の記録を綴ろうと思う。
現在の職歴
ジョブチェンジを考えたきっかけ
「転職しようかな」と思った理由。それは、「下請けつれぇ」が多くなったからである。
2017年以降、IPコンテンツ商材の広告制作を多く手掛けるようになった。アニメ、ゲーム、漫画、ホビー、特撮、タレントなど、世で言う「Cool Japan」コンテンツの広告を制作する中で、どうしても、どう足掻いても超えられない壁にぶち当たったのである。
「下請けつれぇ」
これである。
制作サイドに身を置く人は、一度は通る道だろう。
ことわたしに置いて話すと、それは代理店の壁であり、監修の壁であった。
まずは、監修の壁。それは「版元監修」であったり、「表現考査」であったり、ブランドイメージや消費者を守るという名目の元にクリエイティブが限定される壁にぶち当たった。特に、わたしが多く手掛けてきたIPコンテンツは、その性質上、「版権元」そして「ライセンサー」へ監修を通す必要があり、数々の修正指示に従わざるを得なかった。
次に、代理店の壁。これには、何度も泣かされた。
昨今、肌感覚ではあるが、代理店へのマージン分を広告費や制作費に回したいと考えるクライアントは増加傾向にあり、媒体取引と制作の商流を分ける動きが多く見られる。
企画会議から参加し、クライアントや協力会社と結託して外堀を埋め尽くし、あとは代理店からの許可を得ればGO!という段階でエラー発生。企画は大手広告代理店へ引き渡し、己だけが現場を離れることが幾度もあった。
寝る間を惜しんで切ったコンテが、代理店指定の別プロダクションの手で作られる。わたしはその結末をテレビで見る。ただ、見る。そんな歯痒さを何度も耐えた。
勿論、企画費用はもらっているので、その結末に納得はする。理解もできる。文句を言うつもりはない。
ただ、わたしは、それでも尚、悔しかった。
「下請け」であるが故に抱えてきた、プロジェクトにおける業務範囲の限定性。これを改善するためには、より知名度の高い広告制作プロダクションへの移籍、または広告代理店への転向、つまり「広告制作業務」におけるステップアップ転職も考えられた。
しかし、理解と納得をした上で、それでも沸き起こる悔しいという感情。ただ一言、「下請けつれぇな」と呟くことだけを赦される日々が、わたしの脳裏に「ジョブチェンジ」という思考回路を生み出したのだ。
企業選定の軸
わたしは将来、マーケティング戦略を組織規模で動かし、チーム編成からコーディネート・マネジメントできるマーケターになりたいと考えている。
しかし現状、チームマネジメントスキルがない。少数先鋭の組織で幅広い業務領域を担当することで、オールラウンダーとしての動き方はできるようになった。その反面、「チームの一員として働く」という経験を積むことが、どうしても今の会社規模では難しい。
わたしは現在27歳である。まだまだ「若手」として可愛がられ、スキルを吸収しまくれるこのタイミングで、より大きい組織に所属し「チームの一員」として働く経験を積みたいと考えた。そこで、転職活動の軸のひとつを「従業員規模100名以上、かつ、部署編成が工夫されている=人事システムが構築されている企業」と設定した。
プロデューサーとして仕事をする中で得意としてきた領域がデジタルエンタテイメントコンテンツであった。デジタルコンテンツを活用したマーケティング及びPR戦略を企画する中で、デジタルマーケティング市場の変動性と成長性に面白さを感じ、マーケティング業務の中でも、特にデジタルマーケティングを極めたいと考えた。
制作現場でクライアントとやりとりをする中で感じた違和感がある。それは、日本におけるマーケティングの認識が、アメリカや東アジア、ヨーロッパ等諸外国と比べて、甘んじられてすぎているということである。名だたる大手企業の宣伝担当者でさえ、マーケティングとは「データを活用してPR戦略を回すこと」程度の認識であることに驚いたことが多々あった。
せっかくデジタルマーケティングをやるのであれば、「いち宣伝部」に留まるのではなく、マーケティングを駆使して組織を成長させられる会社が望ましい。そこで、「組織全体がマーケティングの重要性を理解しており、予算や技術の投入を惜しまない企業」を第二の軸に設定した。
転職活動結果
エントリー10社
2社途中辞退
3社内定
4社最終面接落ち
1社一次面接落ち
エントリー詳細及び結果
利用したサービス
転職活動の流れ
オンライン面談のすゝめ
今回の転職活動は、時代を反映し、9割がオンラインでの面談となった。
一企業につき平均3回、約40回に及ぶオンライン面談を経験し、参考になりそうなポイントを以下に記載する。
①台本(カンニング用)を準備しよう!
オンライン面談の最大の利点、それは、面接で話したい内容を頭に叩き込まなくとも、いつでも台本をカンニングができるということである。
わたしの場合、PowerPointに話したい内容や想定質問への回答を口語調ですべて打ち込み、常に表示したままオンライン面談に挑んだ。
目の前に台本があって、頭が真っ白になっても、いつでも読み上げさえすれば大丈夫という状況は、精神的余裕を生み出し、いつも以上に穏やかな気持ちで面談に挑むことができた。
②仮想背景を準備しよう!
オンライン面談では、自分自身の個性や長所を背景として投影できるケースが多くあった。
わたしが受けていたポジションが広報宣伝・マーケティングという、所謂「クリエイター気質」が評価されがちなポジションだったかもしれない。
業種によっては、全く参考にならないどころか逆効果になる場合もあるため、あくまでも「なるほど、志村ユウカはそうだったんだな」程度にご覧いただきたい。
以下は、某大手食品系HDの面談の際に設定した背景である。
この会社の書類選考において、ポートフォリオの送付とクリエイティブ課題の提出があった。面接前にエージェントより、書類選考通過のポイントが「クリエイティブ性」であったこと、先方担当者が面白いもの好きであるとの情報があったため、この背景を準備した。結果、面接時大いに盛り上がり、背景とそのこだわりについての説明で、「元デザインへのリスペクトもあり、それでいてRに個性を出してくるあたりがニクいわぁ」と評価していただくことができた。
③ネット環境に気を付けよう!
言わずもがな。インターネット環境に細心の注意を払うべきである。
オンライン面談では、求人先よりツールの指定がある。わたしの場合、具体的には以下のツールを使用しての面接であった。
わたしの場合、3DCG編集やe-スポーツ参加など、何かと高速回線を要する機会が多く、インターネット回線は強力な回線を契約しているため、回線への心配もトラブルも一切なかった。
契約しているプロバイダの回線不安がある方は、自分の回線が、BNRスピードテストを用いて、推奨されている速度に適しているかを事前テストすることをお勧めする。
Google Meetの推奨速度
Microsoft Teamsの推奨速度
Zoomの推奨速度
Skypeの推奨速度
不具合が発生した際の基本的な対応は、対面面接と何ら変わりはない。
一度だけ、時間になっても先方担当者がログインしないというハプニングが起きたことがある。その時は、事前に送付されていた人事の連絡先に不具合が起きていることを入電し、5分遅れでのスタートとなった。
コロナ禍での転職活動について思った事
各エージェントから耳にタコができるほど言われたことがある。それは、「コロナ禍につき採用縮小傾向があり、採用者が厳選されがちである」ということである。
業種によってはそうなのかもしれない。ことわたしに関して話すと、そうは感じなかった。理由は、経験者の母数が他ポジションに比べてまだまだ少ない、マーケティングポジションでの採用であること、ポテンシャル採用ではなくキャリア採用で挑んだこと、大幅な年収アップは望まず職務内容重視であったことから、書類通過率は100%、ほぼすべての面接で最終面接に進むことができた。
わたしは2020年4月より至る現在、完全テレワークで働いている。出社頻度は月5回未満。オンライン面談が主流であることに加え、テレワークで自由に使える時間が比較的多かったことから、これまで以上に快適に転職活動を進めることができた。
正直に言おう。「コロナ禍」はむしろ、追い風であった。わたしにとっては。
さらに正直に言おう。途中まで、「転職できなかったら今の会社にいればいいし、今より大きい会社に受かったらいこっかな~」程度の認識で始めた転職活動だった。
しかし、それが決定的に変わった出来事がある。
いや、ここまであれこれ書いておいて最後になんだよ!?という感じだと思う。おっしゃる通り。
ここからは、綺麗ゴトを抜きにした、ちょっとセンシティブかつ極めてパーソナルな本音の部分を語ろうと思う。
なので、転職活動の流れと報告についてだけを読みたいという方は、ここで終了となります。ご拝読いただきありがとうございました。
わたしは、「所謂中堅お嬢様大学卒の女性プロデューサー」である。
この5年間、数々の人に以下のような内容を「ほめ言葉」として語られた。
「女子大卒のプロデューサーってめずらしいね。特にフェリス生は、大学出たらすぐ結婚すると思ってた。」
ジェンダー論だとか、男女平等だとか、そういった諸々の視点から見れば、この発言について語るべきことは尽きないだろうが、わたしは何とも感じなかった。
内閣府男女共同参画局が発表する数々の統計を見れば、日本社会において管理職やマネージャーポジションへの女性登用率が低いことなど一目瞭然だし、過去過ごしてきた「学校」と呼ばれる機関の偉い人に女性の先生は存在しなかったのだ。ハードワークの代名詞ともされるメディア業界であれば、女性プロデューサーの絶対数が少ないことは誰にでも予想ができるわけで、ましてや20代のわたしの存在が稀有とされることなど、感情が動くわけもなかった。
話が脱線するが、わたしは中学生のころ、共学のサッカー部に入っていた。わたしが中学1年生の時、素人目で見ても男子よりもはるかに運動能力が高い先輩がいた。彼女は後にプロの女子サッカー選手になった。
そんな先輩でも、試合には出ていなかった。男子より足が速いのに、卒業まで晩年二軍。そもそも身体構造が違う時点で男女平等なんて無理だし、そういうものだと諦めていた。
男だから、女だから、と語るから揉めるのだ。性差という壁は、低くすることはできても超えることはできない。超えられない壁は、超えられないから壁なのだ。
女だからと枕詞を付けて語りたがる人には、好きに言わせておけばいい。適当に可愛がってもらって、ニコニコしている方が穏便に済ませられる。そう思っていた。
その価値観が変わった。今回の転職活動で。
わたしは今回、自分のキャリア形成のために転職を選んだ。今の職場に不満は何ひとつなかった。ただ、今後の自分の未来を考えたとき、プロデューサーではなくマーケターになりたかったのだ。だから「転職したくて」、「転職というひとつの選択肢」を選んだ。
しかし、同時期に転職を選んだ同級生の多くは、そうではなかった。特に、女学校で共に過ごした友人たちは。
「今転職活動中なんだ」そう語った友人の多くは、早期・希望退職など、コロナ禍の影響による「再就職」のための転職活動をしていた。
そんな彼らのとある友人が、こんなことを語っていた。
「女は最悪、水商売できるから」
いや何言ってんねんアホか!と、西日本には旅行でしか行ったことがないのにおもわずニワカ大阪弁でツッコみを入れてしまうほどナンセンスなコメントだと感じたが、どうやら彼らは、彼らなりの真実として、本気で語っているらしかった。
なんだか無性に悔しくなった。腹も立った。なんでかは、今でも言語化できていない。
ただ、心に強く思ったことがある。それは「働く女性のロールモデルになりてぇな」ということである。
2020年2月に発表されたパーソルキャリアの調査によると、女性全体の年収の分布では、300万~400万円未満の層の割合が最も高く、年収が400万円を超えている女性の割合は全体の28.0%。年収500万円以上となると、その割合は全体の11.1%に低下する。
わたしは現在、この11.1%に属している。
たった11.1%である。なんなんだよ。むかつくわ。なんでかはわからないけれど。
出来ればこれをなんとかしたいと感じた。強く感じた。
だから、今、挑戦しないといけないと思った。選択肢がある、選択する自由があるわたしがやるしかない。
結局のところ、成功者の欺瞞にしか聞こえないかもしれない。
本当に、誰かにとっての勇気になりたい。そう感じた瞬間、転職活動の意義が「下請けつれぇ」をなんとかしたいから、「働く女性のロールモデルになりたい」に変わった。この時点で、エントリー数は5社、既に5社とも落ちた後だった。
明確なキャリアプランニングのために、市場を調べた。市場に対して自分が特化してバリューを感じさせられる労働価値が何かを考えた。それを踏まえて、自分の適性を分析した。
(転職活動のスタート時からこれをやっていたら、もっと内定が出ただろうと確信している。その上でも、今の内定先を選んだことも確信している)
その結果、「コロナ禍なのにすごいね」と言われる結果となった。
コロナ禍での転職活動。一片の悔いもなく終えることができた。
これから転職活動を始める、あるいは今転職活動をしているすべての人に伝えたいことがある。
「転職活動」と聞いて、どんなイメージが湧くだろうか。
昨今のメディアは、コロナ禍でのリストラや人員縮小など、再就職を「悲劇のドラマ」として報道しがちだと感じる。その一方で求人媒体は、年収アップだキャリアアップだ、華々しい幻想を打ち出している。
実際には、その二元論ではない。転職とは、悲劇的な再就職でもなければ、華々しいキャリアアップでもない。生きるためでもあり、夢を追うためでもあり、理想も現実もあわせ飲み、強く生きていくための「手段」なのだ。
思うに人は、自分の行動に、自分自身以外の理由を付与されると、もっと頑張れるのではないかと感じる。少なくともわたしはそうだ。
できれば世界を変えたい。それがわたしのコロナ禍での転職活動を支える想いだったことは間違いない。
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