男性の産休(育休)取得について
背景
以前子育て日記で少し触れた通り、妻が出産する際、私も産休を取得した。正確には Paternity Leave なので産休と育休の両方をカバーする概念だが、いずれにしても妻の出産日から連続15日間の休みを取得した。取得に際して相当に悩み相応の努力をしたので、この記事で改めて振り返ってみたい。
なお、私は海外で働いているので、日本の状況については一般論として書くことにする。
私個人の話
一般論に入る前にもう少しだけ私の話をすると、二人目の妊娠が分かった時、妻は実家に一時帰国中であった。そのため、そのまま日本で産むかあるいは海外で産むかを悩んだ結果、妻は海外で産むことを決意して戻ってきてくれた。(この判断は本当にありがたかったし、おそらく私は妻に一生頭が上がらないと思う。)
妻にとって出産は二回目だが、(英語圏とは言え)海外での出産は初体験となるので、当然ながら十分なサポートが必要であった。しかし、実家のサポートを気軽に受けることができた日本での出産と異なり、自分に頼るしかないのが実情であった。そこで、比較的働き方に柔軟性のある(私の)母親にお願いして、予定日付近から一か月程度こちらに来てもらうことにした。母親の方も(私の)長男も含めた孫との時間を取りたがっていたので、喜んで承諾してくれた。(余談だが、往復の飛行機代くらいは払うつもりでいたが、断られた。)これが、私のプランAであった。
一方で私自身は、短期的な仕事の評価に(悪い)影響が出ることが明らかであると分かっていたので、産休取得には後ろ向きであった。個人の評価に基づくボーナスの割合が多い業界で働いているため、短期的な仕事の評価が下がることは即座に収入が下がることに直結してしまう。また、妊娠が発覚した時点では、出産予定月に終わらせなければならないプロジェクトを複数抱えており、これらが次のキャリアアップへと繋がる重要な意味を持つ案件であったため、実際のところ取得はほぼ厳しいように思えた。
しかし、長期的な目線に立てば、産休を取得した経験がある方がキャリア上とてもユニークに見える。また、若い世代である自分が積極的に産休取得を要求することには価値があると考えた。そして何よりも、これまで私の仕事を優先してくれてきた妻のためにも、家族ほど大切なものはないという自分の意思を行動で示したかった。そこで、産休取得に向けたグランドワークを行うことを決めた。
私の働いている会社は長期休暇を当たり前に取得する職場環境であるため、産休取得に対する最初のハードルは極めて低いと言えた。なぜならば、長期休暇を取得する際に「不在中の業務を誰がカバーするのか」も休暇承認事項であるからである。すなわち、カバーしてくれる人さえ見つけることができれば、いかなる理由でも長期休暇を取得できるのである。逆に言えば、業務のカバーがなければ、休暇が承認されないのである。そして、各自の業務内容は Job Description (職務規定書)によって明確に定義されている。もちろん、これらは日本の一般的な企業での状況とは異なると承知しているが、私の職場はこのような環境であった。
また、幸いにも働いているチームの半数以上が女性であり、また半数以上が子どもがいる環境なので、周囲の理解を得ることは比較的簡単であった。それでも、私より年上の独身者の女性も、既婚者だが子どものいない女性もいるため、彼女らの気持ちのお見舞いをする必要はあった。この辺りは、意識的に彼女らの仕事を手伝うようにしたり、それまで以上にコミュニケーションを取ることを意識した。(そしてその都度、産休取得する予定であることを伝えた。)
先に説明したプランAに加えて、産休取得が私のプランBおよびプランCとなった。プランBはあくまでも母親が仕事の都合や急用でこちらに来れなくなってしまったケースを想定して、プランCは各プロジェクトがスムーズに終了したケースを想定していた。
ゲームチェンジャーとなったのは、新型コロナウィルスである。
結果的に、日本からのフライト数が激減し、出産予定月には事実上入国ができない状況となってしまい、母親のフライト自体も飛ばなくなってしまった。そして、予定されていたプロジェクトも諸事情で次々と延期あるいは規模縮小となった。さらには、出産一か月半前から在宅勤務となり、仕事の柔軟性も増した。(在宅勤務の環境が整い、長男が寝た深夜あるいは起きる前の早朝に仕事に取り掛かることもできた。)一方で、病院からは面会は常に一人だけというルールが敷かれたが、病院に行くたびに長男のために急遽ベビーシッターを雇う形で(つまり、お金で)解決した。
空気の読める次男は予定日の翌日に生まれてきてくれて、私は無事に出産に立ち会うこともできた。その後、私は15日間仕事を休んで、大怪我から回復する妻とわんぱくな長男との濃密で貴重な時間を過ごすことができた。今思えば、本当にかけがえのない大切な思い出であるし、人生で最も貴重な経験の一つとなった。
一般的な話
産休(あるいは育休)は特権である。婚活中などの未婚者は取得できないし、子どもがいない既婚者は取得できない。なので、実際に取得できる権利を持っていたとしても、周囲の理解を高める努力をしなければならないと思う。理想を言えば、組織の長(部長・課長)が長期休暇を前提にした人員配置を整え、組織内に産休や育休への理解を醸成していることが望ましいが、今の日本においては現実的ではない。そもそも産休取得者の業務がなくなるわけではないので、誰かがその業務をカバーしなければならない。もしその業務がなくなるのであればあなたは組織において不要なのだから、産休あるいは育休から復帰するときに同じポジションには戻れないだろう。
この辺りの周囲への理解を高める努力をせずに権利を行使してしまうことは避けなければならないのだが、周囲の理解を高めることは本来の業務とは関係のない作業でもあるので疎かにされがちである。会社側から見れば、(いかなる理由にせよ)二週間単位で仕事を完全に休むような、仕事の優先順位の低い社員を組織の中に抱えているほどの余裕はないのだと思う。しかし、用意周到な根回しと自身の業務をカバーしてくれる後任を確保することさえできれば、働き方改革の効果も相俟って、休みを認める土壌あるいは素地は整っていると思う。(あるいは取得者がその職場においてスーパースタークラスで仕事できる有能な人材であれば何も問題はないだろう。)そして、複数からなるチームだと組織内の平等性の担保が難しい。権利を有さない人達への配慮が必要で、今の日本の状況を聞く限り、産休・育休の取得を希望する男性が自らこの辺りの手厚いケアをしなければならないように感じる。
その意味で、上司あるいは権利を有さない同僚から見た世界を想像できるかどうかが重要である。私はかつて権利を持たない同僚であったころ、直属の女性の先輩が産休に入った時に死にかけた苦い記憶がある。会社は彼女の仕事を三分割して三人に割り振ったのだが、彼女は私の三倍仕事ができるスーパーウーマンだったので、私の業務量は二倍となり残業時間が倍増する結果となった。同じことは、わずか二週間の産休・育休であっても起こり得ると思う。
上司の立場から見れば、産休・育休を取得しようとする人間を捨てる前提で業務を組み立てる(すなわち、産休・育休を取りそうな男性の代わりに権利を有さない別の男性を他部署から抜き取ろうと画策する)か、一時的に自分(あるいは別の部下)でカバーするかを選ばなければならない。心情的な理解が醸成されていない場合や該当者が優秀でない場合は前者にとなり、後者のケースにおいても産休・育休取得者の単年度評価を大きく下げてカバーしてくれた別の社員に回すような対策をするだろう。つまるところ会社としては綺麗事は並べつつも、仕事を優先できる人材を求めていることは理解するべきである。
そして、もう一つ重要な点は、他人にカバーしてもらうために自分の業務を全て可視化する必要があることである。職務規定書のない職場においては、ある意味自分の業務をブラックボックス化することで付加価値を提供している社員もいるように思われる。その場合、自分のブラックボックス(秘密)をオープンかつ細かく言語化することはとても難しいことではないかと思う。その結果、そのポジションを失う(異動となる)ことにも繋がりかねない。
一般論だけを言えば、理想と現実の間で最適解を探す努力を、各自の職場の理解度に応じて、夫婦間で良く話し合って決めていくべきだと考える。
脚注
次のツイートが今回のリード。
最初に思った感想は、旦那さんは本当に育休を取得するためにこれまで見てきたような努力をしたのかな、という疑問である。奥さんが悪阻、不快感、不便さとともにお腹を大きくしていく三十数週間、旦那さんは職場で何をしてきたのだろう。どのような根回しをしてきたのだろう。
たとえば、家庭での家事のサポート、育児のサポートは当然のようにやるべきことであり、それは産休・育休取得の根回しをしないことの言い訳にもならず、職場の理解を得るためにどのような活動をしてきたのかだけが問われるのである。評価が下がると言われたのであれば、理由も含めて正直に奥さんに相談して、夫婦で最適な行動について意思決定するのが現実的な最適解だと私は思う。
そして次に出てきた疑問は、果たして自分が上司であったら、産休・育休を許可できるであろうか、という疑問である。
たとえば平時ならともかく、部下の産休・育休取得に伴って発生する業務をカバーするために、自分の息子の運動会に行かずに休日出勤することができるだろうか。親の介護との兼ね合いはどうだろうか。
また、大掛かりな提案のど真ん中で産休・育休取得者が出た結果、プロジェクトに穴が空いて失注してしまうリスクにどう向き合うべきだろうか。売上が立たずコストをカバーできず、チーム員を解雇せざるを得ない状況になった場合、誰の責任なのだろうか。産休・育休を許可した自分の責任なのだろうか。
理想論から語ればハラスメントであることは間違いないし、上記ツイートをされた境野さんの無念さもよくわかる。しかし、育休取得の結果「評価が下がる」ということを想像できないことはまた別問題である。本文でも書いた通り、産休あるいは育休は、選ばれた人しか取得できない権利なのである。だからこそ、取得する側が妥協せざるを得ない点があることを想像できるような優しい社会(つまり権利を得ない人が産休取得に理解を示す世界)を私は望むのである。
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