横山​桂大

音楽と珈琲と読書と古着と煙草が好き。

横山​桂大

音楽と珈琲と読書と古着と煙草が好き。

最近の記事

終戦記念日。

今日は終戦記念日。 原爆を落とされ、命がなくなった人は、いつ亡くなったのか、が明確にあるわけだから、弔らわれる日があるし、黙祷の時間がある。 しかし、戦争中に、亡くなった人たちは、顔も名前もわからない。 いつ、どこで亡くなったのかすら。 今の僕らを作ってくれた人たちなのに。 彼らの命は、今の僕らのためにあったのだろうか。 今の僕のような人間に命を尽くしてくれたのだろうか。 当たり前で敷き詰められた視界に、幸せというものを感じられない。 ただ、ご飯が食べられて、笑

    • 青く、赤く、黄色く、白く、灰色で、時にピンク。

      18 時ごろの空を楽しみに生きてる。朝に起きることはできないから、明るい空からトーンが落ちていく空を呆然と眺めてる。ゆっくりと流れていく雲が好きだし、流れてくれる時間が好き。 時が流れていくから、雲は流れる。 また太陽が僕を照らしてくれることを待っている。 月が綺麗ですね。って言葉、なんで月が綺麗っていうワードなんだろうって考えてた。やっと答えがわかった気がしてる。月ってものは、常に美しく、どんな顔を見せても、全て美しい。新月だって、顔が見えなくたって、美しい。いつも変わ

      • 何度も消しゴムを使ったから、皺がよって薄くなった、黒い紙になった。でも、その上に描いたものに及第点が付けばそれでいいんだ。

        • 梅雨

          いつも blonde を聴いて、雨の中にいる。 光の方へ、戻らなきゃ。ね、 いつまでも、雨に濡れてちゃダメだよね。 どこかへ行ってしまわないように繋いでおく。 この首輪をぼくの心に。 心を楽しませなきゃ、と派手な服を着る。 F **k saudade !! って、ぼくの心に。 New house 新しい家が欲しい。でも、買えない。 実家の部屋の居心地はとても良くて、ひとりでいられる時間が好き。 でも、僕は新しい家が欲しい。でも、それは買えない。そんな余裕も

        終戦記念日。

          "Décadent."

          こんなに、名古屋は遠かったっけ。 こんなに、歩幅は小さかったっけ。 代替的な世界に生きてる。 晴れの日に鬱々としたり、雨の日に晴々としているような。 まだ、紅葉してないんだね、世界は。 もう、紅葉の頃じゃないのかい? カブトムシはまだいないし、セミはまだ土の中にいるらしい。 夜は、すぐに明ける。 日は長い。 まだ、小麦の時期か、まだ。 こんなに、時間は流れてくれないんだっけ。 僕が生きてた世界だと、もう年が明けるくらいなんだけどな。 あの頃のぼくは、も

          5/24

          同じ日付だと、毎年、同じ月の形だと思ってた。 どうやらそうではないらしいね。 去年の5/24は綺麗な三日月だった。 睡眠薬が効いてくるまでにこのnoteを書き切ろうと思う。

          ¥50,000

          いまの、ぼくの、しあわせ。

          栗の花の匂いがするね。 夏の前だなって思う。 匂い、嫌いだけど、これも季節の、日本の趣なんだと思えば、楽しむことは難しくない。 虫歯を治して、歯がキーンとしなくなったことが幸せ。 本を読むことができて、幸せ。 美味しいって思えるパンがあって、パンを作ることができて、幸せ。 自分が踊りたくなっちゃうような音楽をかける友達がいてくれる、幸せ。 犬が、撫でてほしいって、近寄ってくる、幸せ。 誰か、会う予定の人がいる、幸せ。 幸せって思える場所に行くのには、お金を使わ

          いまの、ぼくの、しあわせ。

          吐瀉、それは救い。

          吐き気を催しては、耐える。そんな日々。苦しい。 でも、ウチに秘めた感情を言葉にして吐きだすことは僕にとっての救いである。 だから、この行為を愚行と自覚しているが許してほしい。 この文章に特に意味はない。ただ書いているだけ。 だから、記憶の倉庫、読み物じゃない。 読んでも無駄な時間になるはず。 感覚過敏で神経をすり減らす。 音と光に過剰に反応してしまう。 これまで寝ることが不可能だった電車の中は、寝床と化して、眠気に流されるままだ。 日中、いや24時間ずっと眠

          吐瀉、それは救い。

          廉価旅行

          どこかへ行くような余力は、僕にはない。 でも、ベッドの上で旅に出ることはできる。 それはそれは、美しい感情なんだ。 意識が遠のいていくのが、すごく心地いいんだ。 「幸せだったら俺は嬉しい」と、言ってみた。 幸せだったらそれは嬉しいけど、 心には雨が降り、雫が垂れるんだ。 まともに講義に出れないほど、心は脆い。 苦しくて、苦しくて。呼吸が荒くなるんだ。 この世界から旅に出る。 死んではいけないから、ベッドの上で旅に出る。 生きてるって実感できるのは旅に出て

          コーヒーゼリーにクリームを浮かべたい。

          コーヒーに月を浮かべる。 コーヒーにフレッシュを落とせば、暗い海ではなくなるように。 僕はコーヒーゼリーにクリームを乗せる。 表面は明るくなる。心の中は暗いまま。 混ざり合えない。そんなものだ。 暗い日々に遠くから眺めてくれ。 月のようにひとりでいつもいる。 生に肯定を、と、自分を楽しませようと必死。 これまでのトンネルより深い深い、重たい空気がただよってる。 何をするにも無意味で堕落。 なんで生きなきゃならないのかわからない。 死のうとしても死ねなかった

          コーヒーゼリーにクリームを浮かべたい。

          挑戦

          最近思うことを記したいと思う。ここに書くことは全て、僕が思うことであって、一般化された意見では全くない。 ただの意見である。 最近思うテーマは「挑戦」という言葉は美しいのか。というテーマだ。 少なくとも僕の所感では、この世界で生きている限り、向上し、なにかに挑戦し、励むことが素晴らしい、賞賛されるべきだ。という印象を受ける。 おそらく、無条件に良しとされている言葉はたくさんある。 「頑張る」や「教える」などたくさんあると思う。 この頃、その言葉たちの中で、「挑戦」とい

          2024年、この頃。

          2024年、この頃。

          クソ世界を生きるためのマイルール。備忘録:偽本能。

          クソな世界をクソではなくするために。 現時点のクソな世界をクソじゃなく生きるためのマイルールは ① 時間の密度を濃くし過ぎないこと。 ② 世界の主人公は自分であること。 ③ 正を考えないこと。全てはゼロかもしれない。 それぐらい。 ①時間の密度を濃くしないように生きよう。というもの。 どう足掻いても今の世界は情報に溢れ過ぎている。と思う。 いつも時間を奪うのは携帯電話という盗人である。 彼らは時間の窃盗団で、時間を奪い、幸せから遠のかせてくる。 彼らとはうまく

          クソ世界を生きるためのマイルール。備忘録:偽本能。

          自然と暮らすという決断。

          自然が好きだ。という言葉を耳にすることが多々ある。 僕も少なくないその一員だと思う。 4月から大阪の大都会に住み、自然とはかけ離れた暮らしをした。 どこにでもコンビニはあるし、食べるものも、エンターテイメントも。 いつだって、そこにある。それが大都会。 利便性を求め続けた人たちはすごい街を作ってしまったわけ。 車がなくたって、電車でどこへでも行ける。 便利だな。なんの不自由もない。 そう思いつつも、この利便性に嫌気が差していた。 いつの間にか逃げ出したくなっていた。

          自然と暮らすという決断。

          ただ、生きる意味を求めるだけ。

          僕の人生のテーマ。生きる意味を与える。 生きたいと思えることは無く、死のうと思えることも無い。 僕はこのまま、ただ波に揺られ、時の流れに逆らうこともできずに死んでいくのだろうか。 あなたの人生に生きる意味はあるか。 生の使い道は決まっているか。 命を賭けたいと思えることはあるか。 幸せとは何か知っているか。 幸せなんて、そもそも存在するのだろうか。 あなたの人生に問いを投げたい。 生を賭けたいと思える事はありますか。 それが、金、愛なんだっていい。 愛がなんだ。欲が

          ただ、生きる意味を求めるだけ。

          薔薇と菫

          Ⅰ, 薔薇 今となっては、僕の人生に薔薇が必要だった。 時に優しい棘で人生に刺激を与えてくれる。今の僕がこうしていられるのは、限りなく僕の生きてきた道に一本の薔薇の花があったから。 愛とは何か。 それは全てを許容する振る舞いに現れるのではないか。 いつだって、限りない海のような心で受け入れてくれたんだ。 美とは何か。 ぼくにとって、美しいとは言葉で表すことができないものだ。 美しいという言葉は数えきれないほどの情景を網羅する。 しかし、美しいと思うその心はあなたによって