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挑戦

最近思うことを記したいと思う。ここに書くことは全て、僕が思うことであって、一般化された意見では全くない。
ただの意見である。

最近思うテーマは「挑戦」という言葉は美しいのか。というテーマだ。

少なくとも僕の所感では、この世界で生きている限り、向上し、なにかに挑戦し、励むことが素晴らしい、賞賛されるべきだ。という印象を受ける。

おそらく、無条件に良しとされている言葉はたくさんある。
「頑張る」や「教える」などたくさんあると思う。

この頃、その言葉たちの中で、「挑戦」という言葉がやけに引っかかるようになった。

挑戦についてどう思いますか?

もちろん、挑戦という言葉そのものが引っかかるわけではない。

引っかかるのは、「挑戦はするべきだ」という風潮である。

挑戦していることが美しい。なにかに頑張っている姿が美しい。

帰宅部の彼は、なにも頑張ってないけど、あの人は県大会で○位だ。みたいな。挑戦や頑張っている人が素敵で、挑戦していない人は現状に甘んじている。みたいな。

そんな空気感が嫌い。

そして、挑戦を肯定すべきじゃないと思う。
無条件に挑戦という言葉を美化しすぎじゃないのか?と思う。

挑戦はおそらく、素晴らしいものなんだろうと思うが、

僕らが人生で行き着く先は死であり、挑戦しても、しなくても訪れる。

話は飛躍したが、人生は「幸せを求める」という前提が正であるとするなら、

挑戦は幸せに直結するのか。
マズローの5段階欲求、生理的欲求だけよりも、社会的欲求まで到達していたら、幸せなのか。

そもそも、幸せに大小はあるのか。
そして、幸せは大小、比べなければならないものなのか。

幸せに、挑戦は必要あるかどうかは置いておいて、人に挑戦を促すことも一つの暴力ではないか?と思うんだ、僕はね。

挑戦を無条件に美しいと思い込み、誰かに強制させることは素晴らしいことではないように思う。

でも、僕は挑戦している人を肯定も否定もしない。挑戦しない人を肯定も否定もしない。

ただ、その人の心が求めてる行動をして、幸せなら素敵だなと思う。




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