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「クズ」をたくさん見てきたのに

喝を入れられて、考える中で僕自身はいわゆる「クズ」に寄りついたり、優しくしたり、気が付かないうちに影響されていたことが分かった。「安田大サーカス」クロちゃん、「コロチキ」ナダルさん「相席スタート」山添さんなど「クズ芸人」あるいは「ヘタレ」として知名度があり愛されている人は数多いるが、自己保身に走ったり、ありえない、非常識な一言を言い放つ。不健康や金遣いの荒さで自分のことすらなおざりにしたり、いつも怒られても極端な思考をぶちまけて、効果ないなど、社会通念上、お世辞でも尊敬できるとは言えない行為は多いし、「笑わせてる」よりは「笑われ、揶揄われてる」。「ホンマに自分のことしか考えんなぁ!!」と僕が言われたのと同じようなことを言い放ちたくなるし、唖然としてきた。そういう人を僕は「反面教師」として学んでこなかった、無力になったがために叱られた節がある。

小学生の頃、僕が寄りついた「クズ」

コミュニケーションを億劫がったり、好きなこと以外の自己主張がないことでいい人が寄り付かなくなったり、離れたりしていた。代わりに小3で転校してきた自分のことしか考える余裕がなく、すぐに「絶交」と言い放っては翌朝ケロりとしてる「クズ」に寄り付いては優しくしていって、自分も巻き込まれては自分の評価を落としていったが、自分のことをどうでもよくしたがために何も考えなかった。

「クズっぷり」は中学でも。

その人は中学でも「クズっぷり」はあのまんまで、部活にて「来よった」というワードで傷ついて騒ぎになったり、先生や体育祭の「よさこい」団長の前でフリーズしたりしていた。極めつきは、僕の独り言を知りたいがために蹴りを入れて、平手打ちしたこと。これはもう自分から「絶交や!」と言い放つ案件ではあったし、「ガツンと言いなぁ」と言われたことを実行するチャンスだったのに、僕は事情聴取で事の経緯を話しただけで許してしまった。ちなみに、後から聞くことになるが、彼の家庭は医療従事者。母親が看護師で、父親が医師とのこと。忙しくて愛されてこなかったのかもと個人的に推察する。どうやっても変わらないまま、僕のことを「クズだ」「人殺し」と恨むわけだ。

おいおい、「クズ」って誰に言われてんのか分かってんの?あんたやからな。

高校の先輩と同期

弓道部にいたとき、顧問の先生に複数回叱責されている先輩や同期は休み時間にヘラヘラ笑ってはテキトーなことばかり言ってたし、練習も雑。先輩は「かい※」の長さが極端に短くてすぐに矢を放つことがクセになっていて、外したとき舌打ちもしていて「テキトーにやるな!」などと小さいボリュームで言われているのを僕は耳にしていた。見ていてそれは先生の言うとおりで、目や動きを見ればそれが分かる。

※「弓を引き、放つ寸前」の静止した状態の基本動作の1つ。コツや考えなければならないことに関しては長くなるので詳しくは出典リンクをクリック。
http://japanesearchery.click/method/kai/meeting/

別の先輩と僕

同じく「会」が短い先輩がもう1人いたが、この先輩はどこか怖気づいていて、先生はそれを見かねて、「怖いんか?」などと親身になってケアをしているのを聞いた。その甲斐あって「会」は短いながら、どこか良くなっていって徐々に復活してきた。そして、僕も先生に弱さを指摘された上に捨てずに本気で愛を持って接し育ててくれたんだと今気づく。そりゃ、「インターハイ出場」「全国出場」という実績を得るわけだし、自分が尊敬する先生達もそんな人たちだ。

素行の悪い同期

一方で、僕の同期に至ってはそもそも素行の悪さが顕著で成績不振。1年の頃は顧問が担任であったこともあって徹底的に指導していた。しかし、「あのハゲ」などと罵る彼女の態度はいつまでも変わってなかったり、「実戦形式」の練習で私語した結果、MAXに怒らせて一部の練習が省略させられ、連帯責任を負った。「怒りたくない」先生のポリシーに逆行していて、相当な悪行だったと僕は思い返す。彼女の動きを見ていると「射場」に入場する際の歩く速度も他の人より遥かに速く動作も雑っぽいし、「会」も先輩ほどではないが短い。結局卒業まであのまんまで、後にインスタを覗くと愚痴が多かったり、浪費癖、「リア充」を誇張するのが見て分かる。新アカに移行した今はフォローせず覗いてない。

大学で

大学生の頃にも、そういう人に出会ったり、理不尽な発言でしんどい思いをして、自分を出さずに生きてきた。一方で自分に悪影響がある人を「縁切り」or距離を取ったり、僕にお金を無心してきた人を断ったり、一気飲みを勧めた先輩に怒りを現したりするなど変わりそうな場面もあった。しかし、自己完結で考えることは変わらず、自分に自信が持てず、「note」始動前で自分の気持ちを現すこともできず、無気力で落ちぶれた。見抜けたのは見抜けたが、そこが無理だった。

バイトで

そして、こないだ叱られたときも、「仕事ができない」「人のことを考えない」などで怒りを買ってる同僚の言うことを聞いてばかりいると言われ、自分自身も彼を優しくして、知らず知らずのうちに影響されたり、「傷つくのが嫌だ」と「低燃費」を貫いていた。思い返すと彼は「しんどい」を頻繁に口走ったり、どこかスローで不安定な独特な動きに、同じくスローな話口調なマイペース人間。あるとき続出する労災について部長がこう話していた。

次、危なっかしいことする人は誰やって言うたら皆さんお分かりかと思いますが…まぁ言うと、実は〇〇君なんやな。

と彼の休日のであるときのミーティングで名出しして、指導するぐらいだし、リーダーが喝を入れても効果なくて、匙を投げられる。そして、僕が新たな担務を任されるのを知ったときに彼が僕に言ったことは

〇〇さん(リーダー)に怒られんようにしぃや。めっちゃ怖いで。

ということだけでそれ以上は僕は言わなかった。今思えば、「なんちゅう、無責任なこと言うねん」と言いたくなる違和感しかないし、それを見抜けなかったと思うとどこか情けなくなる。しかも、規定量を超える「畳んだ台車」を運ぶという行為もルールを破るできない人間だし、リーダー含めて全員放置していたのも分かっていたのに。

「クズ」から学ばず20年

24年も生きてきて、いろんな「クズ」に出会してきたが、20年以上も何も学んでこなかったり、見抜けても何も言わなかったり、1人で解決しようと抱え込んだり。そして、自分も「クズ」に落ちぶれて叱責されるわけだし、悔しい。ホンマに悔しい。

捨てる神あれば拾う神あり

とはいえ、「捨てる神あれば拾う神あり」。僕を育てて良くしようとといろいろ仕事を振ったり良く接してくれる人は見てて、いるわけだし、陰ながら良い言葉をかけてくれる人もいるし、僕自身声色は気をつけて明るく振る舞っている。これをバネにして今年の干支のように「飛躍できる」余地があると僕は思う。一連の叱責の中で「僕は救われている」という行動は目にしてきたわけだ。「どん底に落ちたら這い上がるしかない」というのも分かった気がする。

昨日の晩

ライブ後、汗を撒き散らした床。「大寒」やし雪降ってるのにここはどないやねん笑 それぐらい「暑い」いや熱いライブだった証拠だ。

さらに、大学の同期がやってるバンドのライブさそわれ、楽しんでいると「必死こいてやってんねん」というワードがいい意味でフラッシュバック。どうやら僕はあのリーダーに良い方向に変えられようとしているし、なぜかいつもよりめっちゃ楽しい。そして、ボーカルが口にした

命かけて、あなたに届けている!
ロックで人生変えられました!
やってやるしかねぇ!!

と言ってるのを聞いて、涙腺が緩んだ。以前はそんなことなかったのに。そんな彼らは「クズ」ではない。この彼が紡ぐ言葉を聴きゃ分かるし、キャパ100人程度でもたくさんの人で会場を埋め尽くすぐらいみんな応援している。誘ってくれた人もドラマーで「師匠」と呼んで慕う僕と共通の先輩に教えを乞いて上手くなり同じバイト先で親しくなっている。パチンコ好き、勉強にルーズ、なんてもんは霞むぐらいそこに努力した人間から誘われるほど光栄なことはない。

それから今朝

それから夜が明けて、今朝はいつもより10分早く出た。ちょうどリーダーと同時に着いて、そこから着替えて、「畳んだ台車」の配置状況や現時点での荷物の到着状況。変化などを見てメモ。さらには今日何の荷物が来るのか、その量も書き、ミーティングの言うことも雑多な話以外は書き、「何が言いたいか!😀」という部長の声にも耳を傾けた。さらに変化や気づいたこと指摘されたことをその都度メモったし、「畳んだ台車を欲しい」というドライバーに自分のメモを基に指示して成功した。その結果あるお姉様2人が「どうしたん!?」と言われて当のリーダーに聞いてきた。本人は「大したことしてんけどな」と謙遜していた。この流れは「しめた」と心の中でガッツポーズ。そして、リーダーの態度もこれで大正解。さらに良い言葉をかけられたり、いろいろ気にかけてくれること、一緒に考えることが増え、その度に感謝やジェスチャーもした。これが成功したなら1週間でどこまでできるか試そう。そして、時間帯関係なく上手い人をよく見よう。

ちなみに、担務を共にした別のリーダーと話してると、できない彼を豪快に笑い飛ばして揶揄って「あ、やっぱり、あの人クズやったな」と再確認し、個人的にもやり返そうな勢い。まぁ、今年度で辞めはるそうだし、無責任な言葉もこれだけはテキトーに答えときゃあいい。そして、この1日だけで終わらせんように「心の火を灯し続よう」

真の「クズ」

「クズ」という悪口をたくさん使ったが、どんな人間でも生きてて心にあるべき言いたくなることで、そういう性格の人を「反面教師」として理解し学ぶ人が真に優しい人だと思うし、本音を隠さず言葉が粗くてもそうやって指導する人もまたそうだ。反対にそれを理解せず無気力のまま、変えようとしない人のことは「クズ」と呼ぶしかなくなるし、そこに寄りつく優しい人は僕も含めて「お人よし」と揶揄われる。特に自分の弱みを指摘されたときにどう出るかだ。そうやって前向きになれた僕は幸せなのかもだし、周りの目が変わるわけだ。やる気がみなぎるなんていつぶりやろか。喝を注入してくれたリーダーには変わりゆく自分を目に焼き付けてもらうことを無礼の詫び、感謝の代わりでアクションしていく。

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