気づけば2周していた話

今年で24歳になる。

2023年は嵐のように過ぎ去った。今、2024年だということを疑ってしまうくらい記憶がない。
2023年は社会人になって、自分を取り巻く環境や立場、存在価値や時間など全部が変化した。

読みたいなと思った本は一度開かれただけでいつの間にか何段にも積み上がっているし(これは大学時代から同じだったような気もするが)、やりたかったことは何一つできないまま今になってしまった。

社会人になって、今まで出会ったことのない人達とたくさん関わるようになった。関わりたくなくても上手く取り繕っていかなきゃいけない。

今まで、自分は周りの人に恵まれてると思いながら生きてきたが、今回ばかりはそうじゃなかったのかもしれないとまで思った。
見えない線引きや縦の関係に縛られながら、窮屈だなと思いながら日々を必死で生きている。

小学生の頃、たしか二分の一成人式の時だったか、人生年表というものを書かされたことがある。周りが100歳まで生きている予定の中、その当時はひねくれて反抗心満載の尖った子供だった私は「20歳で死ぬ」という年表を書いた。

先生には苦言を呈されたが、私はどうしても「学生」以降の道が見えなかった。(実際には22歳までは大学生なのだが、当時はあまりにも遠い未来だったため20歳くらいまでが大学生だと思っていた)

「私は太く短く生きたい!60歳とかまで生きられない!生きていたくない!」というようなことを言っていた記憶がある。

気がつけば、あの頃思い描いていた人生年表の空白の続きを4年も描いている。干支はぐるんと2周して、もはやもう「子ども」とも言えなくなってしまった。

にこにこしてたらなんでも許されていたあの頃ではなくなった。自分の一挙手一投足が他者から冷ややかに精査され、褒められることも減った。

こわい。社会って。

もうすぐ社会人1年生が終わる。先輩になる。
「1年目だから」の免罪符で許されていたことの全てが翻って「自分でやりな」になる。大袈裟かもしれないけれど、それくらい世界は変わるんだろうなと思う。

22歳はつらかった。周りの話題がそれぞれ変わっていって、孤独で、置いていかれるようで。
幼馴染や友達との恋バナも「あの人かっこいい」から結婚や将来の話になった。これからどんどん、自分と他者との間で、歩く道が異なっていって、溝ができるような予感がした。わかっていたことだけれど。

23歳はどんな歳にしよう。
干支が2周するまでに、今のうちに、やりたいことは山のようにある。
積読したまま手をつけられていない本のように、やりたいことリストには永遠にチェックがつけられない箱がたくさんある。あまりにも足りない。時間も能力も。

つまらない大人にはなりたくない。
なりたい大人になりたい。

ずっとそれだけを考えている。

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