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大学を卒業してしまいました。23です。 文学部で音楽を学んでいました。もちろん文学も…

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大学を卒業してしまいました。23です。 文学部で音楽を学んでいました。もちろん文学も。 今は音楽のそばにいます。 色々なことを吸収して、自分の言葉に変換していくためのnoteです。

最近の記事

夜のはなし

去年の4月から、人生で初めて知らない土地で一人暮らしを始めた。 22年間生きてきた場所は、都会ではないけれど極端な田舎でもない。田んぼのあぜ道を通って通学したこともない。平たく言えば閑静な住宅街だった。だから、アルバイトが終わって夜家に帰る道は、街灯がぽつぽつ光っていて、コンビニが1つあるだけだった。静かで、嫌なことがあって泣いていても気分が乗って歌っていても自分しかいない、そんな道だった。 ひとり暮らしを始めた土地は都会と田舎の半々で、もちろん今まで住んでいたところより

    • 気づけば2周していた話

      今年で24歳になる。 2023年は嵐のように過ぎ去った。今、2024年だということを疑ってしまうくらい記憶がない。 2023年は社会人になって、自分を取り巻く環境や立場、存在価値や時間など全部が変化した。 読みたいなと思った本は一度開かれただけでいつの間にか何段にも積み上がっているし(これは大学時代から同じだったような気もするが)、やりたかったことは何一つできないまま今になってしまった。 社会人になって、今まで出会ったことのない人達とたくさん関わるようになった。関わりた

      • 音楽と歩んでいく話

        (就職をする前、2022年に書いたnoteです。ずっとまとまらず投稿できずにいました。) 音楽とともに人生を歩んでいける仕事に就けることになりました。 物心ついた頃から、将来の夢が「音楽家」で、恥ずかしげもなくそれを公言して卒業アルバムにも書いて、吹聴してまわっていました。 音楽科のある高校を受けたいと中学生の時に親に相談したら、「音楽では食っていけないから」と反対されました。 「音楽は才能とお金がある人しかできない、ウチには才能もお金もないから」 しぶしぶ普通科の学

        • 色々

          あなたのようになりたいと、そう思うことがある。 自分を「色」で例えると、どうだろう。あの子は主人公っぽいから赤、あの人はいつも冷静だから寒色系かな、あの子は穏やかで雰囲気が柔らかいから淡色かな。 …… 何色っぽい?と友達に尋ねてみたことがある。だいたいの人は、「鮮やか」な「暖色」であるオレンジや赤っぽい!と答えてくれた。明るいし、にこにこしているし、自分の意見はっきり持ってるし…… だけど、異なるコミュニティに同じ質問をすると、「黒」や「紫」といった答えになる。他の人

        夜のはなし

          バランタイン17年

          時々、朝4時くらいまで父と話し込む。 だいたいは似たような話で、父親の昔話。昔聴いた音楽、見たテレビ、好きだった人、行った国、若い頃の「ヤンチャ」話。 よくもまあそんな遅くまで話すことがあるよなぁ、などとスマホを片手にふんふんと聞いてる(聞いてないとも言える)のだけれど、音楽やテレビの話が出た時だけ検索してみる。 「昔なぁ、玉ねぎたまちゃんっていう曲があってなぁ」と父親が言えば、「玉ねぎたまちゃん 歌」で検索する。 全然タイトルが違ってたりするのだが、面白いことにだい

          バランタイン17年

          4年

          大学4年になったのも、就職先がないのも、こんな人間になっちゃったのも、全部エイプリルフールで笑い飛ばせたらいいのにね

          適合

          何をやってもダメな気がする。 ゴミみたいな言葉しか口から出てこない。 「あなたの長所は?」「あなたのやりたいことは?」 なんでこんなに追い詰められてるんだろ。 利益もビジネスもお金も興味ないし、好きなことを好きでいたいだけなのに。ただそれだけがとてつもなく難しいんだろうな。働くなんてわからないよ。 社会に適合できない。痛いよ。なんで? なんで?頑張ってきたのに、嘘ついてないのに、なんでダメなの? 苦しいよお、やだよ

          支柱

          雨だから、天気に気分が左右されやすい私は布団で蹲ることしかできない。 少なくとも高校生までは豪雨の日も寒い雪の日も定刻通りに学校に行けたのに、なんて考えながらしんどくなる。 幼少期にあまり親に甘えられず、親からも褒められずに育ってきたからか、いわゆる「自己肯定感」が低い。だから、ちょっとしたことで自分がグラグラ揺れて、消えてなくなりそうになる。 大学受験は、ずっと地に足が着いていない自分を、周りの友達が何度も何度も絶えず励ましてくれて、「あなたならできる」と声をかけてく

          劣等感は原動力になり得るか

          私は、他の人から見て「頑張っている」ように見えるらしい。 それは、実際に努力して何かに取り組んでいることの証明というより、「頑張っているように見える」「余裕がないように見える」みたいな意味なのだと自虐している。 もし、本当の意味で私が「頑張っている(努力している)」とすれば、それは、私が「人並み以下」だからである。 他の人が難なくこなせることが私には途方もなく難しく感じる。そういったことがこれまで何度もあった。私は努力しなければできないのだ。何事も、「何かできた笑」と笑っ

          劣等感は原動力になり得るか

          レプリカ

            続けておけばよかったな。ピアノも、書道も、三味線も。 幼い頃にしていた習い事は、高校受験を機にすべてやめてしまった。 これは余談だが、驚くべきことに、その当時「ガラケー」で、メールや電話でやり取りしていたのに、今は全て「スマホ」で、「LINE」のメッセージひとつで済んでしまう。 私が通っていた中学は、県内随一の進学校であった。大学の附属中学校で、「良い学校に入ることこそが、いい人生だ」というような価値観をそこで私は植え付けられた。当然、そのような学校に通わせようと思

          レプリカ

          グライダーで空を飛ぶ

           何度も読み直した本のひとつが、外山滋比古『思考の整理学』だ。その本で最初に出てくる章に「グライダー」というものがある。そこでは、学校教育を主な例として、受動的に知識を得ることをグライダーに、自分で物事を発明し、発見することを飛行機に例えている。言われた通りに物事を進める能力だけに長けている人は、今後コンピュータに仕事を奪われるといった文章で締められており、著者はグライダー兼飛行機のような人間になることが理想的であるとし、続く章でそのためにどのようなことを心がければよいかを考

          グライダーで空を飛ぶ

          書くこと

          文章を書こう書こうと思えば思うほど、焦って言葉が出てこない。 すっかり読まなくなって積み上げられた本の中にあったはずの「ヒント」を横目に、何の根拠もないまま自分だけで言葉を作ろうとする。  古典とされている古代ローマやギリシアでは、芸術とは「表現」ではなく「模倣」であったらしい。過去の作品を手本としながら、まずは正確に「模倣」する。そして、それと同時に、発展していた医学や解剖学の知識と照らし合わせて筋肉や関節などに変更を加えていく。その当時に主流だったのは絵画ではなく彫刻

          書くこと

          800字

          私にとって、「800字」はとても苦しい字数だ。 高校3年生の夏休み、現代文の先生に小論文の対策と論述の対策をお願いしたとき、はじめて渡された問題が「相田みつを氏の『一生感動一生青春』の文章を読んで「本当の愛情」についてあなたの考えを800字以内で述べなさい」というものであった。 何もわからずに書いた800字は、「B」という1字で返された。 「800字でこのテーマなら、2つのことが言えたのではないか」という評価をされたが、全く理解ができなかった。 「本当の愛情」ってなん

          ひとりで

          「人はひとりでは生きていけない」 よくこういう言葉を耳にする。しかし、例え私達は一人になったって、死ねやしないと私は思う。 「生」という字には150通りもの読み方があるらしい。確かに、いきる、じんせい、なま、だけでなく名付けでも様々に変化して読まれているように思う。 対して「死」は「し」ただ一通りしか読めないという。 なんだか不思議な話だ。生き方は何通りでもあるのに、結局死ぬことだけは免れないとでも言われているかのようだ。 私はもうすぐ20歳になる。 「大人0歳」

          ひとりで

          未来

          将来が不安だ。 これは、私が生きてきた中で1番の恐怖である。かつて芥川龍之介は「唯、ぼんやりとした不安」で自ら命を断った。 私にはそれを実行する勇気はないけれど、この不安は拭えなくて、どうしようもなく、怖いものだ。 こんなに将来が怖いと感じるのは、「今」何ができるか考えること、何かをすること、やってみること、そういう『今』を軽視しているからなのかもしれないと私は推測している。 今何かに熱中できていたら自ずと道は開けてくるだろうし、今成功していたら将来も少しは明るく見え

          新しい財布

          9歳か10歳の時に親に買ってもらった財布を使い続け、約10年お世話になった財布を変えた。 自分は「まだ使える」と感じていても、やはり10年は長いのかなと思ったり、という日々が続いている中で購入した新しい財布は、それも5年ほど前に発売された某ブランド物の財布で、偶然デパートで見つけた。 「今買わなかったら将来やっぱりほしいと思っても買えなくなるだろうな」と思って思い切って買った。 19歳には高すぎる値段だったけれど、うれしい気持ちと、「使えるのにな」という罪悪感のようなも

          新しい財布