杜仲茶の「杜仲」とは何者かの謎について調べました
はじめに
まず「杜仲」とは何でしょうか?
実は杜仲というのは木の名前です。
その樹皮には薬効があり、漢方の薬剤として利用されています。
日本では「杜仲茶」がドラッグストアなどで安価に買えるのをご存知でしょうか?
しかし樹皮を採ると当然木に大きなダメージがありますので、主に再生の早い葉っぱが用いられています。
話は変わりますが、
最近、もっぱら私を苦しめる原因といえば血糖値です。
いわゆる低血糖やら血糖値スパイクと呼ばれる症状があり、
めまい
ふらつき
倦怠感
異常な空腹感
などなど。
「異常な空腹感」については、胃から上の方に昇ってくるような不快感がありました。
食べたのにすぐお腹が空くこともあり大変苦痛でした。
私はどちらかというと痩せているのですが、おそらく食事を面倒臭がって、炭水化物ばかり食べていたのが原因だと思います。
これをお読みの方で炭水化物や甘い物を頻繁大量に食べている方がいらっしゃいましたら、一度変な空腹感がないか、めまいは無いか、身体がダル過ぎることはないか。
苦しくなってからでは遅いので、老婆心ながら一度顧みてはいかがかと存じます。
今は対策を講じたので基本的には大丈夫なのですが、その対策の一つがまさに「杜仲茶」だったのです。
これまでただの水道水中心の飲料生活だったものの、どうやら飲み物も大事らしく、お茶を頻繁に飲むようになりました。
別にルイボスティーでも黒豆茶でも何でも良かったのです。
ただ、こちら選んでしまう理由がありました。
気になって仕方なかったのです。
「杜仲って誰なの?」と。
杜仲って人間なの…?
中国・明代の医学書「本草綱目」には、杜仲の名の由来としてこう書かれています。
【意訳】思仲・思仙(それぞれ杜仲の別名)。李時珍(本草綱目の著者)は言いました。『過去に杜仲が服して道(仙人になる奥義)を得た出来事があって、その名前に因んでいる。思仲・思仙と呼ばれるのも皆この意味に由来するのだ。』
つまり、杜仲というのは仙人になった人の名前らしいです。
「杜」も”唐代の詩人・杜甫”など有名な姓ですし、「仲」も”春秋時代の斉の名宰相・管仲”など名前によく使われている字なので、私も最初「人名がもとなのかな?」と思ったのでした。
そして、仙人と言われると、なおさらどんな人物なのか知りたくなります。
なので調べました。
調べました、が。
わかりませんでした。
「杜仲とは仙人になった人の名前だ」という本草綱目を由来にしたらしき情報は見つかるのですが、杜仲がどういう人物だったのか、いまいち情報が見つかりません。
こうなってくると疑惑が湧いてきます。
「杜仲」というのは本当に人間なのでしょうか…?
「杜仲」という漢字
「杜」には日本語では「もり」という訓読みがありますが、それは本来この字にある意味ではありません。
「杜」は甘棠(かんとう:バラ科の落葉高木。ナシのような見た目で、甘酸っぱい実をつける)や、木の根を指す言葉で、動詞としては「閉ざす」「塞ぐ」などの意味があります。
同じ「杜」のつく植物で「杜若(とじゃく)」があり、「若」もよく人名に使われる漢字なので、「杜仲」が人名っぽい雰囲気を持っているからと言って断定することはできません。
杜仲も甘棠と同じ落葉高木なので、似たようなものだからと、特に深い意味無く「仲」の字を付けられた可能性も大いにあるでしょう。
ここまで調べて考えついた時、私には「杜仲」の由来はどうでもよくなってしまいました。
すみません。
杜仲がどういう人物であったか。
それは結局わからずじまいなのですが、中国語サイトにて杜仲に関する故事を見つけました。
日本語情報がとても少ないこともあり、私が訳したものを拙筆ながらご紹介いたしますので、杜仲とは何者か。
その夢想を深めるご参考にしてくださればと思います。
「杜仲」にまつわる故事
陝西省、華山の麓にある小さな山村ではこんな言い伝えがある。
ある家に李厚孝(りこうこう)という息子がいて、誰に対しても真面目で誠実な人柄であった。
ある日、彼の六十歳になる母が突然病に倒れ、寝たきりとなってしまう。
李厚孝は医者に診せて、母に薬をいくつか飲ませてみたものの、病はまったく好転せず、彼は心配で心配でたまらなかった。
医者は彼に言った。
「華山の断崖には霊芝草が生えておるのだ。
これさえ採ってきてくれるなら、お袋さんの病を救ってやれるのだがな」
ただちに李厚孝は籠(かご)を背負い、鍬(くわ)を握って、華山へ登っていった。
華山の絶壁は削いだ如く荒々しく尖り、雲を貫くほど高くそびえ立っている。
李厚孝は山路の激し過ぎる険しさに注意しながら、岩をよじ登り、深い谷を越え、ついに大切な霊芝草を採ることができた。
「これで母を救える!」その喜びときたら、言い表せないほどであった。
しかし、いざ絶壁を降りようとしたその時。
無理な体勢がたたり、腰が挫け、激痛が走った。
辛うじて岩肌を掴んでいた手も震えだす。力が入らない。
ゴロゴロゴロゴロ!
李厚孝は絶壁に弾かれるよう、転げ落ちていった。
気絶してどれほど時間が過ぎただろうか。
李厚孝はゆっくり目を覚ます。
生きているのが幸運なほどだが、彼の心配は霊芝草のことばかりである。
痺れる手で籠を探ると、ちゃんと霊芝草は残っていた。
李厚孝は安堵したのも束の間、起き上がろうと思っても叶わず、かえって足腰がズキリズキリと疼く。
やむおえず、もたれて休もうと大きな木の下へ、歯を食いしばりズルズルと這っていった。
木に身体を預けていると、空はまたたくまに真っ黒になった。
意識が朦朧としている中、突然鶴の鳴き声が聞こえ、ぱっと眼が覚める。
すると目の前に一人の白髪童顔の老人が立っていた。
李厚孝は苦しさにあえぎつつ叫んで言った。
「おじいさん!どうかお助けください!
私は急いで帰り、母を救わねばならないのです……」
老人は慈愛に満ちた笑みを浮かべ答える。
「坊や、腰の怪我がちと重いのう。動くでないぞ。ワシが治してやるでな」
そう言いながら懐へ手をつっこむと、小さな瓢箪(ひょうたん)を取り出した。
手を伸ばし木から樹皮をむしると、樹皮を切れ目ごとに折って細く糸のように剥ぐ。
それを瓢箪に放り込み三度振ると、樹皮はたちまち液体になった。
老人はそれを李厚孝に飲ませる。
しばらくすると彼の腰の痛みは全く消えてしまった。
老人はかっかっかっと笑い、李厚孝を助け起こして言った。
「坊や、早く家に帰るがいい。お母ちゃんが薬を首を長くして待っとるでな!」
李厚孝は老人の手を握りしめ、感謝しても仕切れないと、しきりにお礼を述べ続ける。
そしてどうか恩人の名前を教えて欲しいと頼んだ。
老人は大樹を指すと、吟じて唱える。
「此木土里長,人中亦平常。扶危祛病魔,何須把名揚!」
(この木、土に里(お)って長し、人中もまた常に平らかなり。危うきを助け、病魔を払うも、何ぞ名を把(と)りて揚げんと須(もと)めん!)
言い終わると、鶴に乗って、ふわりふわりと飛んでいってしまった。
老人が遠くへ去り往く背中を、李厚孝は彼方に隠れるまでじっと見送り続ける。
しかしその間どれだけ考えても、詩にどんな意味があるのか全くわからなかった。
見送り終わると、すぐさま家に帰って母親に霊芝草を食べさせ、見事その薬効は病を除いたのだった。
幾日かあと、李厚孝はあの樹の元を訪れると、ふと樹の上に、フチがのこぎり状になっている楕円の青葉が目に入った。
樹は太く、そしてまっすぐである。
李厚孝はこの樹の名前を知っていた。
「杜仲樹」と呼ばれているのである。
気づけば、老人が詩を吟じた情景を思い返しながらあの四句を、口の中で繰り返し繰り返し唱えていた。
「あ!これは”杜仲”の二字ではないか!」
李厚孝は謎が解けた喜びから、ひとりごち始める。
「”此木土里长(この木、土に里って長し)”から、”木”の右に置かれた”土”。これで”杜”だ。
”人中亦平常(人中もまた常に平らかなり)”では、“人中”がそのまま“仲”になる!
もしや杜仲樹には腰の痛みを治す薬効があるのでは…?」
大変不思議がりながらも、李厚孝は剥がした樹皮を持って帰った。
その途中、ちょうど腰を痛めたばかりの村民に出くわしたので、樹皮を煎じて飲ませる。
すると予想通り、腰が癒えたのであった。
杜仲は肝臓腎臓を補い、筋骨を強め、体内の老廃物を除き清め、細胞の新陳代謝を強化し、肉体や骨の老化を防止、血圧を整え、コレステロールを分解、体脂肪を減らし、血管の弾性を回復、利尿作用、免疫力を高め、中枢神経を活発にさせ、白血球の数を増やし、自己回復力を増強するなど、著しい効能を備えている。
あとがき
最近風邪をひいてしまい、熱が出て節々が痛み、持病の坐骨神経痛も悪化して辛かった時。
薬局も閉まってる時間で「どうしようか…」と思った時、飲んだのが杜仲茶でした。
すでにその時には翻訳が済んでいたので、薬剤の杜仲には鎮痛作用などがあるのを思い出したのです。
杜仲茶にも同じ効能が期待できるか自信は無かったのですが、2時間ほど経つと体の疼きが軽減されていることに気づきました。
「これは本当にすごいお茶だなあ」と感じ入ったのは言うまでもありません。
ただ杜仲茶は薬ではないので、平常時に飲むお茶としても楽しむことができます。
茶葉は乾燥した昆布のような香りがしていい匂いです。
実際に飲む時は、例えるならスッキリした正露丸のような香りがして、妙な軽めの甘さがあるので、残念ながら食中茶には向かないでしょう。
ただカフェインは入ってないので、寝るまでの時間に私は飲んでいます。
最期に辛うじて、こちらに日本語情報で詳しめの由来が二つありましたのでご紹介いたします。
短くまとめると、
杜仲という人が仙人になったお馴染みの説
杜冲と呼ばれていた木が、時間が経つにつれ「杜仲」になった説
ということでした。
故事の中の「杜仲」と思われる仙人が良い人だったので、誤解の無いようこちらの人物像について補足しますと、「美女」というのは「仙女」のことです。
「美女との出会いを楽しんだ」と見るとドスケベなイメージを持ってしまいますが、仙界に昇ったことを意味しています。
まぁ、エッチなことも無かったとは言い切れないのですが…。
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