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米沢古文書xchatGPT PJ
2024年10月11日 15:38
翹楚篇 致仕臣太華源鵬謹撰翹楚篇 致仕臣・太華源鵬 謹んで撰す①治憲公-鷹山公のお名前について原文治憲公 始 ハ勝興と称奉り、諱の字を賜て治憲と称奉つる、御童名を御実家に在らせられし時ハ松三郎と称奉り、御家に入らせられて直松と称奉り又直丸と称玉ひ、御元服あつて弾正大弼と称奉、隠居し玉ひて越前守と改玉ひしなり、 又文学の御風雅とて御学問所を稽古堂と称し、御居間を白鶴台と称し
2024年10月11日 15:47
③公の世子にて-鷹山公が世子だった時の逸話1原文○ 公の世子にてましませし時、 或日馬場へ出て責馬の御なくさみあり時に、御手明組交替のもの桜田御屋鋪に着日なり、其内何といへるものにや、今年始て江戸へ出たるものなり、事々不案内にて馬場を通り御馬見所近く行つめけれハ人々叱して退けぬ、 元より不案内のものなれハ驚あわてゝ御馬見処向諸士小屋の垣の内に入て身をかくせり、斯して久しく待けれとも御責馬
2024年10月11日 15:58
⑤公の世子にて-鷹山公が世子だった時の逸話3原文○ 世子にてまします時、 侍臣某潔斎の日にあつてあやまつて悪火をすゝめまひらする側に侍るもの悪火のよしを告、且進るものゝ不敬を責たりしに、 公きこしめして、 此炭もとハいかなる家いかなる火をもてか製なせる とのたまひて敢て不敬を咎めたまはす、現代語訳 世子でいらっしゃった頃、侍臣の一人が潔斎(けっさい、身を清める日)の際に、誤っ
2024年10月11日 16:10
⑦公立て家督したまひし時-鷹山公が家督を継いだ時の米沢藩の状況について原文○ 公立て家督したまひし時の事なり、 御蔵元の逼迫せしハ実も尤のことなり、其むかし越州を領したまひしころハ其御高も知られぬほとなりしを、百二十万石にて会津に移らせ玉ひ、又三十万石に減して米沢に移たまひ、夫か上に半を減して十五万石を知しめしたれハ、 君ハ元より大国の君、臣ハおの〱 大家の末なれハ君臣ともにむかしをした
2024年10月11日 16:21
⑧公学問を好たまひ -鷹山公の学問に対する姿勢①原文○ 公学問を好たまひ、 平洲先生、姓ハ紀、名ハ徳民、字を世馨と云、平洲と号し、俗名を細井甚三郎と云、当時尾張の処士として江戸に住し、今挙られて尾州家の儒臣たり、 鶴台先生、太室先生、 姓ハ瀧、名ハ長愷、字ハ弥八、鶴台と号し、俗名を瀧弥八と云、毛利家の儒臣たり、姓ハ渋井、名ハ孝徳、字ハ子章、太室と号し、俗名を渋井平左衛門と云、堀田家の儒臣
2024年10月11日 21:14
⑩於琴の御方 -鷹山公の側室於琴の御方について原文○於琴の御方 式部勝延君の三女にてましませハ御部屋と称しまひらすへき御方ならねと、深窓にむなしくましますをもて年寄衆御進め申媒し奉り、御年十ちかひのめまさりにてましますを、正室の江戸にいませしをもて、御部屋と下しまひらせて御奥へハ入らせたまひし、 御部屋と称して公の御奥に入輿したまふ、其御もふけとて御奥殿の経営あり、此年旱して作毛のいかゝ
2024年10月11日 22:00
⑫御年若にましましなから -治憲公の老人への敬愛と交流原文○御年若にましましなから、老人を寵せられしハ、齢を尊ひ玉ふの浅からす、ふりにし事なと尋問ひ玉はんためなるへし、いつも御在国の時ハ近習外様の差別なく、とし寄て其人からも相応なる、又は何そに勝れたるなと聞ゆる老人をハ、御夜咄としてめさせられ、口にかなへる御夜食の御もふけより、菓子酒なとの御もてなしありて話させ玉ひし、現代語訳 治憲
2024年10月11日 22:13
⑮御父重定公、金剛流の --鷹山公と養父 重定公との能・囃子を通した交流原文○御父重定公、金剛流の仕形御稽古まし〱て重き習事みな伝受し極たまひしほとなるより、諸御芸事の内能ほとすかせ玉ふハあらす、公ハ元より御稽古の浅きよりおのつからすかせ玉ふといふ場に至らせ玉はさりしかハ、始ハいつの御能御囃子にも御ミつからの御仕形なといふ事ハなかりしなり、或時思しめしつかせ玉ひし、斯まてすかせ玉ひしことなか
2024年10月11日 22:32
⑱重定公御隠殿の御庭に -養父 重定公に対するご配慮原文○重定公御隠殿の御庭に築山遣水の御もふけありなから、御構の広けれハ、猶も御手を篭八月始に下り十月はじめに帰れり、られたくおほせとも、重き御倹約中、斯る御慰に物費したまはん事の御遠慮に思しめせしゝも、亦有かたき思しめしとそ、 此事公きこしめし、御老年の御なくさみ何か是に過へき、何の御遠慮にか及はせたまはん、おほしめしのまゝにつきたまへと
2024年10月11日 22:51
⑳予か書る此文に処々我名を -大華翁の諫言と鷹山公のその後の反応の素早さ 原文○予か書る此文に処々我名を出せること、何とやらん、我を飾るに似て人の下墨もやと恐るれと知らさるハせんかたもなし、知るをもらさんも亦恐れて余りあれハ、爰にことわりはへる、 公御隠居なされし後のことなり、御事も繁からねハ、なをさら常々御孝養の事にのみ御心を尽し玉ひしより、能囃子或御仕舞尽しなとにハ、いつも数番の御
2024年10月11日 23:02
23.幸姫君の御事ハ -治憲公と幸姫との結婚生活原文○幸姫君の御事ハ、御縁台として公にさひあひし玉へる正室にてまし〱 けるか、御虚弱の御病身にて、終御枕を共にし玉ふことの叶はせたまはさりしほとなれハ、御在府の年々御相手のなきをいたませ玉ひ、江戸の御奥に御妾をつかはせたまへと、幾たひか幸姫君より強て願はせ玉ひしに、 江戸には幸姫君在せり、国にハ於琴の方あり、家中江戸詰の諸士誰か妻を供して勤る
2024年10月11日 23:10
25.天明三年三月の事なり -鷹山公の家臣に対するご配慮原文○ 天明三年三月の事なり、世子顕孝公の御室に松平土佐守豊雍の御娘釆姫君を御縁約あり、始て土州御招請の時、表御座敷御祝の御饗応も既に闌に及たれハ、追付御勝手御座敷に移らせ玉ふへし、 御勝手御饗応の物数いかゝ滞もなきやと御膳番の蓼沼友四郎、御膳部の番将を呼て尋けるより、夫々御献立に向ひてしらへたれハ、御勝手御座付のはしめに供しまいらす
2024年10月13日 18:40
27.予隠居の風流にまかせて -鷹山公と太華との煙草を通した交流原文○予隠居の風流にまかせて、居屋敷のくま〱 より下屋敷まてに百草の種まき、水灌なんとにたのしみ、其か初摘をたてまつる事を常とせり、或年煙草も相応に出たりけれハ、手作の小柳舘 山村の煙草を小柳となんと書付て、是をも添てたてまつりし事あり、 其後の御意に過し頃の種々満足せり、其か中に煙草ハ殊に口にかなへり、またもあらハ献れ
2024年10月13日 20:01
29.常々の御物語に -鷹山公の贈り物に関しての気遣い原文 ○常々の御物語に、献上ものハ、軽きに却てしほらしき誠あり、下々同士〱 の贈物も斯あるへし、能品致来の満足ならぬにハあらねとも、善尽し美を尽せる品を贈られてハ、其心遣のいたミ入、又相応の挨拶もかなとおもふより、常々苦にし心にかけて安からす、 譬釣魚の二三も持来り、或茶園の品摘来りて、手作りの品といひ、きのふ釣得たりといひて贈れるにハ