米沢古文書xchatGPT PJ

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翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑲

41.御看病として発駕まし〱 けるハ -鷹山公、実父の看病に当たる原文 ○御看病として発駕まし〱 けるハ、天明七年八月十七日にて、 道中もいそかせ給ひ、同月廿四日申の半はかりに江戸桜田の御屋鋪につかせ玉へり、直にも長者丸長 門守様御隠居所秋月様御下屋鋪へ入らせらるへき思召なから、御家老江 戸御家老色部典膳へ逢せられ、御国元への御用仰含られ、且御供廻へ御賄下さるゝため御屋形へまつつかせられ、典膳へ御用仰含られ、御供廻に餉なさしめ給へり、  されハ御祝の御膳進奉りしに、御菜の

    • 翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑱

      39.安永七年江戸におはせし時の事 -鷹山公と養父原文 ○安永七年江戸におはせし時の事なり、急の御用とめされて御目見申上しに、只うつむかせ給ひて何の御意もなし、いかゝの御事と伺奉れハ、声をあけて泣玉へるのみ、怪ミ見上て、何のゆへにてましますやらんと伺奉りしに、其御用をハのたまはて、  我小家より斯る御大家を続る事本望何か是に過ん、是といふも畢境ハ殿様の有かたきおほしめしよりなり、然らハ幾はくの心力をも尽して孝行らしき御つかへかたもあらんに、御壮健にましませハ、千万年もさか

      • 翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑰

        37.安永三年の事なり -鷹山公が出会った旅の病人原文 ○安永三年の事なり、江戸御参府の御道中、鍋懸と太田原との間にての事なり、予か中押御供にて登るに、病人あたに行逢たり、世にハ斯る難義なるものもありけりとあたとハ病人をのせて村送するもの駕籠のことく仮令に拵成るもの通過て見るに、伊勢参宮人とみへて、あたの後に羽州米沢粡町粡町なりしか立町なりしか鍛冶町なりしや鉄炮屋町なりしや、年久けれハ覚束なし誰と書付たる笠掛てあり、  扨ハ御国ものなり、国の守の御通行に行逢奉るこそ彼か幸

        • 翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑯

          34.父母のため江戸詰のもの御国もとへ看病御暇給る事 -鷹山公が家臣に看病・介護休暇を与えたこと原文 ○父母のため江戸詰のもの御国もとへ看病御暇給る事、御父重定公御代明和三年の事なり、桜田御屋鋪の将神保作兵衛、其父道喜か病気につき、願の上御暇給りしか其はしめなり、  然とも江戸詰の事ハ我に代りて跡を塞へき余計の人少く、亦家を離れてハ君につかふるの義を取事臣の常なれハ、縦令其父母の病ひ軽からすとも左のみ危程にも告こさぬより、看病御暇願ふに至らさるも亦あり、  安永九年七月の

        翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑲

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        • 翹楚篇
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          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑮

          32.御国におはせし時ハ -鷹山公と野遊原文 ○御国におはせし時ハ、折々鷹野或鳥打なと御野遊の事もあれと、江戸にてハ御慰の事なく、只御座の間に和漢の文を友とし玉ふのみなり、公さへ斯る御事なれハ、つかへ奉るものゝ所々遊覧に気をはらし、心をなくさむるをハ、心なき事にこそおほすへきか  人情の常なるに、梅もひらきぬらん、梅屋鋪こそかほらん、桜ハさきぬ、上野飛鳥山も群集すへし、桃は桃園、牡丹ハ西か原、藤には大森亀井戸、菊ハすかも、紅葉ハ海晏寺、海にハ小舟に棹させるはせ釣の風流、登

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑮

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑭

          29.常々の御物語に -鷹山公の贈り物に関しての気遣い原文  ○常々の御物語に、献上ものハ、軽きに却てしほらしき誠あり、下々同士〱 の贈物も斯あるへし、能品致来の満足ならぬにハあらねとも、善尽し美を尽せる品を贈られてハ、其心遣のいたミ入、又相応の挨拶もかなとおもふより、常々苦にし心にかけて安からす、  譬釣魚の二三も持来り、或茶園の品摘来りて、手作りの品といひ、きのふ釣得たりといひて贈れるにハ、実も其人のしん実おもひやられてしほらし、斯る品とて挨拶の如在をすへきハはあらさ

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑭

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑬

          27.予隠居の風流にまかせて -鷹山公と太華との煙草を通した交流原文 ○予隠居の風流にまかせて、居屋敷のくま〱 より下屋敷まてに百草の種まき、水灌なんとにたのしみ、其か初摘をたてまつる事を常とせり、或年煙草も相応に出たりけれハ、手作の小柳舘 山村の煙草を小柳となんと書付て、是をも添てたてまつりし事あり、  其後の御意に過し頃の種々満足せり、其か中に煙草ハ殊に口にかなへり、またもあらハ献れとのたまはせぬ、故を伺まひらするに、汝か知ことく煙草ハ柔和なるを好むに、何とした

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑬

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑫

          25.天明三年三月の事なり -鷹山公の家臣に対するご配慮原文 ○ 天明三年三月の事なり、世子顕孝公の御室に松平土佐守豊雍の御娘釆姫君を御縁約あり、始て土州御招請の時、表御座敷御祝の御饗応も既に闌に及たれハ、追付御勝手御座敷に移らせ玉ふへし、  御勝手御饗応の物数いかゝ滞もなきやと御膳番の蓼沼友四郎、御膳部の番将を呼て尋けるより、夫々御献立に向ひてしらへたれハ、御勝手御座付のはしめに供しまいらする御餅菓子御用意落に成たり、  御台所役人の申出に御献立表をもて御菓子屋へ申付へ

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑫

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑪

          23.幸姫君の御事ハ -治憲公と幸姫との結婚生活原文 ○幸姫君の御事ハ、御縁台として公にさひあひし玉へる正室にてまし〱 けるか、御虚弱の御病身にて、終御枕を共にし玉ふことの叶はせたまはさりしほとなれハ、御在府の年々御相手のなきをいたませ玉ひ、江戸の御奥に御妾をつかはせたまへと、幾たひか幸姫君より強て願はせ玉ひしに、  江戸には幸姫君在せり、国にハ於琴の方あり、家中江戸詰の諸士誰か妻を供して勤るものゝあるとのたまはせて、切の御願にも終ゆるし玉はさりし、 現代語訳  幸姫

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑪

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑩

          ⑳予か書る此文に処々我名を -大華翁の諫言と鷹山公のその後の反応の素早さ 原文 ○予か書る此文に処々我名を出せること、何とやらん、我を飾るに似て人の下墨もやと恐るれと知らさるハせんかたもなし、知るをもらさんも亦恐れて余りあれハ、爰にことわりはへる、  公御隠居なされし後のことなり、御事も繁からねハ、なをさら常々御孝養の事にのみ御心を尽し玉ひしより、能囃子或御仕舞尽しなとにハ、いつも数番の御相手なされし、  或時予を召れし時の御意に、扨近来ハ隙のなき事なり、  近頃の御

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑩

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑨

          ⑱重定公御隠殿の御庭に -養父 重定公に対するご配慮原文 ○重定公御隠殿の御庭に築山遣水の御もふけありなから、御構の広けれハ、猶も御手を篭八月始に下り十月はじめに帰れり、られたくおほせとも、重き御倹約中、斯る御慰に物費したまはん事の御遠慮に思しめせしゝも、亦有かたき思しめしとそ、  此事公きこしめし、御老年の御なくさみ何か是に過へき、何の御遠慮にか及はせたまはん、おほしめしのまゝにつきたまへとて、数多の人足進られしかハ、御心のまゝに築たまひし、 現代語訳  重定公の隠

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑨

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑧

          ⑮御父重定公、金剛流の --鷹山公と養父 重定公との能・囃子を通した交流原文 ○御父重定公、金剛流の仕形御稽古まし〱て重き習事みな伝受し極たまひしほとなるより、諸御芸事の内能ほとすかせ玉ふハあらす、公ハ元より御稽古の浅きよりおのつからすかせ玉ふといふ場に至らせ玉はさりしかハ、始ハいつの御能御囃子にも御ミつからの御仕形なといふ事ハなかりしなり、或時思しめしつかせ玉ひし、斯まてすかせ玉ひしことなから、公の御きらひにてましますとならハ、御心のまゝになし、にくゝもあらせ給ふへし、

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑧

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑦

          ⑫御年若にましましなから -治憲公の老人への敬愛と交流原文 ○御年若にましましなから、老人を寵せられしハ、齢を尊ひ玉ふの浅からす、ふりにし事なと尋問ひ玉はんためなるへし、いつも御在国の時ハ近習外様の差別なく、とし寄て其人からも相応なる、又は何そに勝れたるなと聞ゆる老人をハ、御夜咄としてめさせられ、口にかなへる御夜食の御もふけより、菓子酒なとの御もてなしありて話させ玉ひし、 現代語訳  治憲公は若い年齢であられたにもかかわらず、老人を非常に大切にされました。これは、年齢

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑦

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑥

          ⑩於琴の御方 -鷹山公の側室於琴の御方について原文 ○於琴の御方  式部勝延君の三女にてましませハ御部屋と称しまひらすへき御方ならねと、深窓にむなしくましますをもて年寄衆御進め申媒し奉り、御年十ちかひのめまさりにてましますを、正室の江戸にいませしをもて、御部屋と下しまひらせて御奥へハ入らせたまひし、  御部屋と称して公の御奥に入輿したまふ、其御もふけとて御奥殿の経営あり、此年旱して作毛のいかゝあらんといひあへるほとなり、公聞しめし、百姓大旱を苦しミ諸山の寺院雩祭其法を尽と

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑥

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑤

          ⑧公学問を好たまひ -鷹山公の学問に対する姿勢①原文 ○ 公学問を好たまひ、  平洲先生、姓ハ紀、名ハ徳民、字を世馨と云、平洲と号し、俗名を細井甚三郎と云、当時尾張の処士として江戸に住し、今挙られて尾州家の儒臣たり、  鶴台先生、太室先生、 姓ハ瀧、名ハ長愷、字ハ弥八、鶴台と号し、俗名を瀧弥八と云、毛利家の儒臣たり、姓ハ渋井、名ハ孝徳、字ハ子章、太室と号し、俗名を渋井平左衛門と云、堀田家の儒臣たるか後挙られて参政たり、  大湫先生姓ハ南宮、名ハ岳、字ハ喬卿、大湫と号し、俗

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑤

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳④

          ⑦公立て家督したまひし時-鷹山公が家督を継いだ時の米沢藩の状況について原文 ○ 公立て家督したまひし時の事なり、  御蔵元の逼迫せしハ実も尤のことなり、其むかし越州を領したまひしころハ其御高も知られぬほとなりしを、百二十万石にて会津に移らせ玉ひ、又三十万石に減して米沢に移たまひ、夫か上に半を減して十五万石を知しめしたれハ、  君ハ元より大国の君、臣ハおの〱 大家の末なれハ君臣ともにむかしをしたふ人情より、其礼其格も分に越たり、尤俸禄こそ其時々に減たれ、大小の諸士凡五千家に

          翹楚篇 チャットGPT現代語訳④