翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑨
⑱重定公御隠殿の御庭に -養父 重定公に対するご配慮
原文
○重定公御隠殿の御庭に築山遣水の御もふけありなから、御構の広けれハ、猶も御手を篭八月始に下り十月はじめに帰れり、られたくおほせとも、重き御倹約中、斯る御慰に物費したまはん事の御遠慮に思しめせしゝも、亦有かたき思しめしとそ、
此事公きこしめし、御老年の御なくさみ何か是に過へき、何の御遠慮にか及はせたまはん、おほしめしのまゝにつきたまへとて、数多の人足進られしかハ、御心のまゝに築たまひし、
現代語訳
重定公の隠居所には、すでに築山(つきやま)と遣水(やりみず、人工の川)が整えられた庭がありましたが、敷地が広いため、さらに手を加えたいと考えられていました。しかし、当時は厳しい倹約の時期であったため、このような慰みのために物資を費やすことに対して、重定公は控えたいという思いもお持ちでした。それでも一方で、心からそうした楽しみを求めておられるお気持ちもあったようです。
このことを聞いた治憲公は、「老年の慰めがこれ以上に勝るものがあるだろうか。何も遠慮することはない」とおっしゃり、そのまま工事を進めるよう命じられました。そして、多くの人夫(作業員)が派遣され、重定公の希望通りに庭を整備されました。
⑲いつの事なりしか、其年ハわすれぬ -駿河守勝承公との交流とお気遣い
原文
○いつの事なりしか、其年ハわすれぬ、江戸に在せし時の事なり、公御国に在すれハ、度々御招請進られ御なくさめも進らるへきに、御留守年にハさそ御徒然にも在せらるへし、駿河殿御末家駿河守勝承公、下りの上ハ、定て時折ふしの招請ハ有へけれと、不如意の駿河殿なれハ、不時の御なくさめといふまてにハ中々用人の取量むつかしからん、
定れる招請のことき事々しきもてなしにてハ、度々の御入も御いたみ思しめさん、軽きもふけにさしかけて御案内申上、花の日、月の夕、夏の御涼ミ、冬の御つれ〱 を御なくさめ申上らるゝため、内々にて駿河殿へ御手当申せ、
扨我等斯心遣せしなと大殿様の御聴に達しなハ、是も亦御気遣ハしく思しめす道なれハ、かならす是式御手当申せし事の露顕せぬやうに能取量へと、能々河野に申含て、其相応の御手当申せとのたませしかハ、思召のしか〱 を四郎左衛門へいひ駿河殿様御用人四郎左衛門、含て御手当の金子わたせし、
現代語訳
これは、治憲公が江戸におられた時の出来事で、具体的な年は覚えていないが、その時のことを思い出して書かれています。公が藩におられた時は、しばしば招かれて慰めの宴が催されていましたが、留守の年は公もやや退屈していたことでしょう。
駿河殿こと、駿河守勝承公は御末家の一員で、彼が江戸に下向してきた際には、時折の招きがあったはずですが、駿河殿は健康が優れないため、突発的な慰めを申し出ることは用人にとっても難しいものでした。
正式な招きであれば堅苦しいもてなしとなり、勝承公もそれを度々受けるのはお疲れになられるでしょう。そこで、軽く手軽な方法で御案内を申し上げ、花見や月の夜、夏の涼み、冬の侘び寂びなど、四季折々の慰めの場を設けて、内密に駿河殿をもてなすようにとの指示が出されたのです。
このような心遣いがもし大殿様の耳に入れば、それもまた気にかけられることになるため、決してそのような計らいが外に漏れないよう、注意深く取り計らえとの命が下されました。公は河野にその旨を伝え、相応の金銭を用意して駿河殿の用人である四郎左衛門に渡し、適切なもてなしを行うようにしたのです。