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『ステレオタイプの科学』と再現性問題

以前、TBSラジオのセッション22で荻上チキさんが紹介していた書籍『ステレオタイプの科学』を読み終えた。

『ステレオタイプの科学』クロード・スティール(英治出版)↓

■ はじめに

読む前はなんとなく差別についての話なのかと思っていたけれど、読んでみるとだいぶ違った。

社会に存在している「ステレオタイプ(偏見)」がパフォーマンス(テストの点数やスポーツのスコアなど)を低下させるのではないか?

という仮説が正しいのか? その影響を緩和させる方法はあるのか?

これらを心理学者が突き止めていく流れをまとめた本であり、仮説を立て、どのような実験をすればよいかを考え、実験結果から理論を検証していく様子は「ミステリー」として大変面白く、やや硬い話題とはいえスルスルと読めた。

しかし、読了後にステレオタイプに関する理論には再現性が無いらしい、という話題を知った。

この記事では、高校生に物理を教えている自分がどのような感想を持ち、どのようなアイデアが頭に浮かんだかを簡単に整理し、その後で、心理学の非専門家である自分なりに再現性の問題をどのように受け止めたのかをまとめる。

■ ステレオタイプ脅威とは

ステレオタイプによる影響を説明する理論はざっくりと以下のようになる。

ステレオタイプが自分に当てはまることを示してしまうのではないか、という不安が認知資源を食いつぶしてしまい、パフォーマンスが低下する。

このような理論は「ステレオタイプ脅威」と呼ばれている。

著者でありステレオタイプ脅威を研究した心理学者クロード・スティールが、ステレオタイプによる影響について興味をもったのは、大学における黒人学生の成績不振について調べ始めたことがきっかけだった。

調べていくうちに、アメリカの社会に存在している

「黒人は知的能力が低い」

というステレオタイプが、黒人学生の成績に影響しているのではないかと著者たちは考えた。具体的な仮説や実験方法は本書を読んでもらうとして、ステレオタイプ脅威について以下のようなことがわかった。

□ 受験者に対してステレオタイプを喚起させるような言葉をかけてからテストを行うと、ステレオタイプを持たれている集団に属する受験者の成績が低くなる。
□ 簡単なテストではステレオタイプの影響は見られず、受験者にとって難解なレベルのテストではステレオタイプの影響がみられた。
□ ステレオタイプが影響していることに対して受験者は無自覚だった。

例えば、受験者に対して「このテストは知的能力を測定するものだ」と伝えてから、難しめのテストを行うと、知的能力に対してステレオタイプを持たれている黒人学生の成績は白人学生に対して低くなるものの、受験者本人はそれがステレオタイプによるものだという自覚は無く、無意識のうちに影響を受けてしまう、ということのようだ。

■ 教育現場へ導入できるという期待

黒人学生の成績低下のように、そもそも教育現場にかなり近いところで研究が進んできたのだから当然なのだが、ステレオタイプ脅威の理論は「教育現場に導入できるのでは?」と強い期待を感じた。

本書を読みながら、自分が過去に教えていた現場(田舎の進学校)や、現在教えている現場(難関大志望者の物理クラス)へ、ステレオタイプ脅威に関する知見を導入できる、あるいは導入すべきなんじゃないかとアレコレ考えていた。

そのようなことも含めて、読了直後は「『ステレオタイプの科学』は教育関係者こそ読むべき本だ!」と感じた。

■ 女性の理系科目に対するステレオタイプ

例えば、本書では黒人学生の成績だけでなく、

「女性は数学が苦手だ」

というステレオタイプによる女子学生の成績低下の可能性についても言及されている。ご存じの通り、残念ながら日本にもこのステレオタイプはある。

こうしたステレオタイプが実際に女性の理系科目の成績を低下させているかもしれない、という問題提起には、高校生に物理を教えている身として何か対策を講じるべきでないだろうかと考えさせられた。

■ 田舎の高校生に対するステレオタイプ

また、かつて私が教えていたような田舎の進学校では、進路や学習指導の中で教員たちは

都会の高校生は2年生で教科書の内容を終え演習に入る。我々よりも一歩も二歩も先を行っているのだ。

ということを繰り返し強調することが多い。もちろん、現実を知り、自分の学習が足りないのではないかと危機感を持ってもらうことで勉強に集中させよう、という意図はよくわかる。

しかし、こうしたことを強調することで

「田舎の人間は勉強ができない」

というステレオタイプのようなものが生徒たちの頭に残り、大学受験のような難しいレベルの問題を解くときに、ステレオタイプ脅威として機能してしまうのではないか。

当時の勤務校のある県では、全国的に見て模擬試験の成績が低く、県教委は国公立大への進学者数、難関大への進学者数の目標値を細かく設定させたり、ことあるごとに「指導力向上」と叫んでいた。

もしかして、上で考えたようなことも一因だったのではないか、と雑だけどそんな仮説が、本書を読みながら頭に浮かんだ。

特に、私が勤務していた高校は、本当に田舎で、その地域には進学校と呼べる高校は勤務校一つしかない。生徒の近親者に大卒が一人もいない、ということもザラ。市内には大きな書店がないので、大きな書店で参考書や問題集を見比べて自分に合ったものを選ぶ、なんてことは電車で一時間以上はかかる県庁所在地まで行かないと無理だ。

クラス担任として卒業生を送り出したが、進路に関わる面談などで話していても「こんな自分がこんな大学に……」というような一種の「不相応さ」が染みついてしまっているように感じることも多かった。

ステレオタイプ脅威の影響がどこまであるかはわからないにしても、こうした観点を踏まえて、生徒たちの指導に当たっていたら、もう少し違った結果になったのではないかと考えざるを得なかった。

■ ステレオタイプ脅威の再現性に関する話題

読了後に、読みながら考えたことをまとめようか、という段階になって、少し調べてみると、「おや?」という話題に行き着いた。

「再現性」についての問題だ。

まず、以下は認知・計算神経科学を専門とする京大の教授によるコメントである↓

上記のコメントは以下のツイートにつながっているものだ。

ここ↑で言及されているのは『Science Fictions』という2020年7月に発売されている書籍のことだ。↓

どうも、ステレオタイプ脅威については再現性がない、という指摘がされているようだ。

このあたりについては、私と似たような立場で再現性についての指摘を知った方が書いたブログの記事が参考になった。専門家ではないが、慎重に書かれている。↓

ただし、再現性が低いからといって、すぐにステレオタイプ脅威の理論が否定されるかというと、そこは慎重になった方がいいかもしれない、という指摘も見つけた。

↑ここから始まる16個のツイートで説明がされている。以下、一部を抜粋↓

■ 心理学の再現性問題

どうやら、2015年にScience誌で心理学の理論の再現性について指摘する論文が掲載されて以来、「心理学の危機」として話題になっていたようだ。

上記のブログ「本しゃぶり」で紹介されていた論文をたどっていくと、『心理学評論』の特集「心理学の再現可能性:我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」に行き着いた。↓

上記の巻頭言↑から一部を引用する↓

2015年,Science誌に衝撃的な論文が掲載された(Open Science Collaboration, 2015)。その内容は,過去の心理学の研究論文について追試を行ったところ結果が統計的に再現されたものは追試実験全体のうちの40%に満たない,というものであった。(中略)
これらの問題に対する関心は今に始まったことではないが,ここ数年,研究者の側もこれらに対して自覚的になってきたというのも事実だ。今や心理学は危機的な状況にある,のかもしれない。このことを踏まえ,我々は,再現可能性,統計の問題,QRPsという相互に密接に関連しあうこれらの問題に対する現状の認識と展望について忌憚のない議論を進めるべく本特集号を企画した。(後略)

論文の著者のリストに「渡邊芳之」の名前があった。いつもツイートを読んでいるあのラジ先生ではないか! そういわれると、ここ何年かラジ先生が「再現性」の話をポツポツとしていたのを思い出した。

上記『心理学評論』のラジ先生の論文(『心理学のデータと再現可能性』渡邊芳之)をざっと読んでみた。主張としては以下のような感じだろうか。

「再現性の無さ」にも種類があり、区別する必要があるし、再現性の無さが妥当性の無さを表しているとも限らない。もちろん、実験方法やデータ、その分析が間違っているのであれば、それは正すべきだが、再現性は必ず示すべき「目的」でなく、研究の妥当性を示す際の「手段」の一つである。

具体的には、1章で再現性の無さを分類し、2章では、心理学ではデータがエビデンスではなく、しばしばデモンストレーションとして用いられてきたために追試に積極的でなかった経緯をまとめている。そして、自然科学のようにエビデンスを重視する心理学へと移行する中で再現性の問題が生まれてきた、という考えを述べている。

最後に3章で、心理学が再現性とどう付き合っていくべきかをまとめている。論文中の「3.おわりに」から一部を引用する。

(前略)まず,実際には再現性のある現象についてのデータから再現性を奪うような,不正や捏造,変造を追放するとともに,方法論上,統計解析上の問題を解決して,実験のデータを「正しいもの」にする必要があることは前にも述べた。その上で,自分たちが研究対象にしている現象について,どのくらいの再現性が求められ,かつ可能であるのかについての理論的・方法論的な検討をさらに進めて,問題ごとに必要な再現可能性をあきらかにして,その実現を目指すことが求められるだろう。
 その上で,再現可能性を「目的」にしないことが重要である。データや研究成果の再現性はしばしば「科学であること」の条件とされているために,再現性は高ければ高いほど望ましく,それによって心理学も科学の仲間入りができるというような考えが起きやすい。
(中略)
必要な再現性の大きさは研究対象や研究の目的,方法によって異なるはずだし,低い再現性が検出されることのほうが現象を妥当に反映している可能性もある。データの再現可能性はあくまでもわれわれが研究対象とする現象を正しくとらえるために参考にできるさまざまな指標の一つに過ぎない。(後略)

■ 今後の自分の課題

ステレオタイプ脅威の再現性に関する指摘がどの程度有効なものなのか?『Science Fictions』のように具体的なデータを見たわけでもないし、心理学の非専門家の自分が見たところで今の知識では判断もできないだろう。

特に、自分の統計に関する知識は全然足りてない。この際、p値のことやその扱いなどをきちんと理解したい。と思いつつ、自分の中での、統計の勉強の優先順位はまだ上位には来ていない。なんとかして時間をつくろう。

また、本当に再現性がなかったとして、ステレオタイプ脅威の理論には結局のところどの程度の妥当性が残るのか?

こうしたことを非専門家の自分が読めるようなものとして日本語でまとめてもらえるまでには、まだ少し時間がかかるだろうか。「注視していきたい」とか言うと、誰のせいかは知らないが(知ってるけど)説得力ゼロなので、別の言葉で書くが、やはり続報を待ちつつ、もちろん、知らないだけで何かしらがもう出ているかもしれないので引き続き探していこう。

また、再現性そのものについては、物理を含む自然科学にも当然関わることだから、だいぶ前に買って、ちょこちょこ読んだだけでまだ読み切れていない『疑似科学と科学の哲学』を改めて読んでみようと思う。

↑リンクを張るためにAmazonで検索したら、自分がこの本を買ったのが2012年の年末だったことがわかった。相当前だな……

この記事を書く際に、パラパラっとめくっただけでも再現性についていろいろ書かれていた。今改めて見てみると、自分の興味が当時とはまた違った部分にあるので、新鮮に読めそうで楽しみだ。

■ おわりに

教員経験に関わることについて。

学ぶことや教えることについて書いています。

教材作成においてiPad proで何ができるかについて書いています。

ブログにはnoteの編集後記など色々ごちゃ混ぜで書いています。



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