見出し画像

少しだけ身軽になった話し

Yevaluのブランドイメージを撮影しているフォトグラファー前原です。

さいきん少しだけ身軽になった話し

まいにち持ち歩いていたカメラ、突然ファインダーが真っ暗に 持ち歩いていたのはFujifilm X100Fというカメラで お気に入りのカメラの一つでした。買い替えるのもめんどうで、カメラを持ち歩かなくなって半年経つ。すっかり軽くなったバック見ながら、なんかいいなあ、と思った。カメラを持って歩かないと落ち着かない時もあったけれど、常にカメラを持つ煩わしさから解放されてせいせいするとか、そういうことではない。

大事だったものを手放して、ちょっとだけ身軽になった気分なのだ。

写真を始めた当時、会社もやめて田舎から上京した直後で心が弱っていた自分にとって、カメラはファッションというより武器や防具の類だった。武装しないと何もできない気がして、精いっぱいの虚勢を張るためにシャッターを切った。若気の至りと言えばそれまでだが、あのときの私にはとても大事なものだった。

でも、いつからか不要になっていたらしい。そのことに気が付かず、惰性で持ち続けていた。カメラの一つや二つ、持ち歩かなくなったから劇的に何か変わるわけではない。でも、常駐していたSNSを停止したくらいの解放感はあった。

それが、いいなあと思ったのだ。そのささいな変化を実感できるのが最高に気持ちよかった。

カメラに限った話ではない。ここ数年、続けていたことをやめる機会が増えた。煙草をやめた。エナジードリンクもやめた。酒もやめたし、理不尽なクライアントとの取引もやめた。きっかけはいろいろだけど、どれもいまの自分には必要ないからやめられた。しかし気持ちの上では、またいつ始めてもいいと思っている。必要なものではないからこそ、執着せず、自由に選べるのだろう。どちらにも寄らずフラットな感じはなかなか心地いい。こういうのを中庸と言うのだろうか。

やめる代わりに始めたこともある。最近は英語の勉強と筋トレが日課だ。しんどいけれど楽しくて、なんだかんだ続いている。しかしこれもまた、いまの自分は気が付いていないだけで、カメラと同じ武装なのかもしれない。「何かに励む自分」という鎧で、不安定な部分を補っているのかもしれない。だからそんな日課も必要なくなる日がくるかもしれないし、それは数年後か数ヶ月後か、はたまた数日後かもしれない。あるいはすでに必要なくなっていて、やめるきっかけが見つからずにいるだけかもしれない。

そして、そのどれであってもいいと、いまなら思う。

やじろべえやおきあがりこぼしのように、いつでも倒れそうなのに倒れない。倒れたとしてもすぐに起き上がる。どちらかに偏りすぎず、しかし一時的に偏ることをよしとしないわけでもない。一か八かを狙わずほどほどに。かといって何もしないわけでもなく。地に足をつけながらふわふわする感じ。そういうスタイルが好きだ。

ずっとそうあれるといいなと思う。

フラットに いろんなことを取り払って
あたらしいジュエリーブランドに関われること、手間のかかるシルバーアクセも味があっていいな。と思っている


Photographer  Ryuichiro Maehara
1980年生まれ 福岡県出身
広告ファッション分野で活動するフォトグラファー
Vogue,Tiffany,BOUCHERON,Mercedes,BMW,Lamborghini,三越伊勢丹,無印良品,UNIQLO等

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?