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本のはなし(16)「きみのためのバラ」池澤夏樹



最近、平日の朝にニュースを見ていると、耳がキンキンして聞きたくなくなることがある。朝の支度をしたら仕事に行く、というプレッシャーが関係しているのかもしれないが、朝起きてすぐにたくさんの情報を見て、テレビの
明るい声を聞くと疲れてしまう。(ニュース番組が嫌い、という訳ではないです。ニュースを届けてくれる番組にはいつも感謝しています)
良い意味でも悪い意味でも人々の会話がどこに行っても聞こえ、携帯にもテレビにも情報が溢れている。そして当然のように、他人とコミュニケーションをとることが日々求められ、コミュニケーションが上手くとれる人は重宝される。コミュニケーション能力や言語化力が求められる現代だが、果たして私たちの話す「言葉」は血の通った、意味のある「言葉」なのだろうか。

池澤夏樹さんの『きみのためのバラ』は、沖縄、バリ、ヘルシンキ、フランスなど様々な国を舞台にした、言葉をテーマにした短編小説だ。シチュエーションは様々だが、相手との会話が成立しないことにもどかしさを感じている話が多い。
空港やホテルの「係」との会話では、マニュアルに書いてある通りのことしか返答が来ないため、血の通った会話ができないことに主人公はストレスを感じる。(「都市生活」)
また、日本とロシアで国際結婚をした夫婦の仲が悪くなり、別居をした結果、子供が段々と日本語を忘れてロシア語を話すようになるという「言語の壁」を感じさせる作品もある。(「ヘルシンキ」)

一方、言葉が全てが伝わらなくても、不思議な幸福感や静けさを得られると気づかせてくれる作品もある。
誰とも争わず「逃げる人」と呼ばれる山奥の先住民は、「ンクンレ」を唱えることにより、欲望や怒りを鎮める。(「レシタションのはじまり」)
この話では、「ンクンレ」は「レシタション」と名前を変えて全世界に広まったとされるが、本当に「レシタション」のような唱えがあれば、心穏やかに過ごすことができそうで、羨ましいと思う。
本のタイトルになっている「きみのためのバラ」では、主人公がメキシコの首都に汽車で向かう途中、綺麗な少女と少し言葉を交わし、ホームのバラ売りから買った黄色のバラを少女にプレゼントする。少女のことがとても名残惜しいが、余計な言葉はかけずにその場を立ち去る。主人公にとっては、少女にその場で不必要な言葉をかけるよりも、バラを渡すことの方が重要であった。

「ヘルシンキ」の最後に、主人公の理想像として"木”が挙げられる。
木は人間とは異なり、言葉を必要とせず静かに立って呼吸をしている。『きみのためのバラ』を読むと、日々の生活がいかに言葉に満ちていて、心地よい静かな時間が無いことに気づく。人間が木のように生きることは難しいが、他人と程よい距離間を保ち、自身の心の中だけでも静かな気持ちを持っていたいと思う。

ところで、『きみのためのバラ』の表紙は青いバラである。
作中に出てくるバラは黄色なのに、なぜ表紙のバラは青いのか想像をしてみた。
私の想像としては、「異なるもの同士が繋がること・交わること」を表現しているのではないかと思う。青いバラは自然界には存在しないため、人工的に作られる必要がある。『きみのためのバラ』に登場する人物の組み合わせは、年齢や国籍が異なっている。例えば、内科のベテラン女性医師と院内の運搬屋の青年、ロシア人と日本人、メキシコの少女と日本人男性だ。普段生活をしていたら関わらないような人同士が、あることをきっかけに出会う。交わされる言葉は少なくても、その交流には様々な感情や思いが溢れている。そのような美しい関係を、自然界のフィクションである青いバラに重ねたのではないだろうか。

日々の生活や言葉から離れて静かになりたいときに、本著を読むことをお勧めしたい。駅のホームのバラ売りから青いバラを1本1本受け取るように、
あなたのための美しい小説(フィクション)を見つけられるかもしれない。









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