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台湾美食の意味 【台湾旅行記 vol.1 食べ物編】

『美食』は中国語で『グルメ』という意味である。
台湾旅を通して学んだ数少ない言葉の一つだ。
そしてこの二文字を通して、わたしは台湾を解釈してみたいのである。

妥協なき朝ごはん

鹹豆漿(NT$35)と大根餅(NT$15)

台湾には食堂が多い。ふらっと入ることもできるし、持ち帰りの文化も発達している。腰を落ち着けて、荷物を下ろしてふぅ・・と一息、なんていう間もなく、注文も提供もとにかく早い。そして当然のごとく安い。朝食であれば300円程度でかなり満足度の高い食事がいただける。早い安い、あとはうまいのか。
うまいのである。
例えば台湾の朝ごはんの定番、鹹豆漿。お酢に温かい豆乳?と、恐る恐る口に運んだが、なんという優しさ・・。あっさりさっぱりまろやかなスープに、とろとろにふやけた揚げ、シャキッと歯ごたえのあるザーサイ。朝に弱い人、二日酔いの人、初めての一人海外旅行で緊張する観光客をも包み込むあたたかいスープである。
職場にこれを持っていってしまったら「ここはお布団?」と勘違いしてしまいそうだが、持ち帰りの行列には出勤前と思しき地元の方が多く並んでいた。
台湾の方は、食事に妥協しないのだろうと思う。
並ばずに買えるお店やコンビニで済ませたり、ましてや朝食を抜いたりなんてことはせず、並んででも、美味しく、温かく、身体に優しいもので一日を始める。
台湾のコンビニは日本よりも食べ物は少なかったが、日本のコンビニ飯は、きっと世界的に見てもずば抜けた品揃えとクオリティを誇るのだろう。どちらが良い、という話ではない。ライフスタイルと、価値観の違い。

台湾の米と香りの味

台湾に住んでいる知り合いが、米は日本のものの方が美味しい、と言っていた。
そうか・・と振り返ってみるものの、台湾の米の印象がない。
そこでふと、台湾で白米だけを味わったことがないと気がついた。

ふわふわの鶏モモ肉と、焦げる寸前まで炒めた香ばしいニンニクのたれがかかった雞肉飯。食べ終わったお茶碗は、油でキラキラと光っていた
モチモチのおこわに甘辛いソース、お肉は小さく刻まれていて重くない。半熟の目玉焼きには万国共通の価値が宿る
シンプルイズザベスト。驚くほどぷりぷりの海老チャーハン

このように味のついた米を食べる機会が多かったが、意外なほど、味が濃いと感じることはなかった。
出汁の旨みや炭の香りで深みを持たせる和食と同様、火力全開、繊細とはかけ離れたように見える台湾の料理もまた、強い味付けというより旨味や香りで勝負しているのではないだろうか。
油をまとわせてぱらっと。ニンニクの香りで香ばしく。モチモチのおこわに、脂の旨味が溶け出したソースをかけて。台湾の米は、もしかしたら日本のものよりも美味しくないのかもしれない。けれど工夫次第で、米はどこまでも美味しくなる。

食事を楽しむ心は、言葉の壁を超える

台中では、この旅で最もローカル度の高い(観光客が訪れることが少ないであろう)飲食店に伺った。Google mapに掲載されている写真を指差し、隣の席のカップルの助けを借りてなんとか注文することができた。

ほのかにケチャップの味もする(?)爌肉飯とつみれの入った冬瓜汁

なんとかたどり着いて、美味しいものを食べている・・。それだけで満足し、ホクホクと、地味に身体を揺らしながら味わっていると、食堂のお母さん(これ以外の表現方法が見当たらない)が声をかけてくれた。
言葉は全くわからなかった。けれど、手招きをして、入口のところに自由に取っていい漬物類があることを教えてくれた。

「ラー!」と言われ、唐辛子のことだとわかったのが嬉しくて、辛いものは得意ではないけれどこの後もらいに行った

高菜と食べるのは定番のようだった。なるほど、どのテーブルの方ももらいに行っている。シャキシャキと歯ごたえが加わって、これはもう箸が止まらないやつである。
味変万歳。言葉が通じないわたしにも伝えようとしてくれるほどに、「美味しい」に必要な最後のワンステップだった。地元の人と同じように声をかけてもらい、同じ味を楽しめたことがただただうれしかった。
食べ終わってから、美味しかったことを伝えたくて「ハオチー!」と連呼しながらお店を出るわたしに、お店の方は「美味しかった?よかった」(妄想訳)と笑ってくれた。

美味しさの期限

台北には、インスタで見つけて一目惚れしたごはん屋さんがあった。地元の方に愛される、紛うことなき本場の「町中華」である。
台湾でワーホリ中の先輩と一緒だったので、コミュニケーションは完全に任せ、インスタで見た世界が目の前に広がっていることに終始ニヤニヤしていた。お店のおじさんが注文の時から気にかけてくれて、オススメのメニューを教えてくれたり、お前もこの子を見習って中国語の勉強もっと頑張れ!と激励されたりした(らしい)。本当にその通りだ。

『冠京華』というごはん屋さん。胸が苦しくなるほどの絶景。ヒダも美しい

料理が運ばれてきてからパシャパシャと写真を撮っていると、おじさんがまた声をかけてくれた。先輩によると、「時間が経つと味が変わるから早く食べろ!!特に海老の蒸し餃子は美味しくなくなる!!」と言っているとのことだった。
急いでタレを作り、一口。薄い皮を破ると海老や豚などの旨味を具現化したような熱々の汁が溢れ出す。前述の通り、やっぱり味付けというより旨味だ。

きっと時間が経つと皮が固くなり、スープも冷め、本来味わってほしい味ではなくなってしまうのだろう。自分が作り、提供するものに対するこだわりや誇り、美味しいものを美味しいうちに食べてほしいという思いがひしひしと伝わった。蒸したての小籠包を前に、わたしがすべきことは目を閉じ、味わうことだけだった。

美食の意味

どれも清潔感があり、こざっぱりとしていた台湾の食卓。
小籠包や餃子のヒダから、彩りを添える華やかな食器たちから、作る人や食べる人のこだわりから、『美食』の意味を考える。
美しい食事。美しく食べること。美しく食べ、生きていくこと。


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