見出し画像

嫌い、という感情について。

わたしには嫌いな人がいる。

嫌いという感情は自分の感情ですので、たしかに大切なものではあるけれど、
同時にすごくエネルギーを使うので、あまり持たないようにしている。

だが、しかし、もちろん例外はある。

最近わたしはようやく自分とは価値観の違う人が存在する、という認識をちゃんと持てるようになってきた。
ああ、この人はわたしとは違う考えだ。とか
まったくもって理解できない。きっと向こうも同じだろうな。とか
世の中にはそんな人もいるのか。とか。
育ってきた環境や遺伝子、友人関係、学業成績などが違えば、そりゃ当たり前に違う。

なによりも人間は自分の目線でしかものを見れず、自分の心を通してしか、物事を見れない。

あなたが見ている文字とわたしが見ている文字。たとえそれが同じものだとしても、"同じもの"だと判断しているのは"わたし"であり、あなたが見ている世界をわたしは分かり得ない。だから価値観が違うのは当たり前だ。

なんとなく生きていると、そのことを忘れてしまいそうになるし、実際忘れてしまっている人もちらほら見かける。

話を戻そう。

わたしは毎週顔を合わせるある人が嫌いなのです。彼女とは特別何か話をするわけではない。顔を見合わせて挨拶するわけでもない。言ってしまえば、同じ空間にいることを余儀なくされた人と人、という関係。

なぜ彼女が嫌いなのか、それはきっと自分の中の許せないポイント、いつも自分がしないように気をつけているポイントを、なんの気なしにやってのけるからだろう。

人に対して、トゲのあるきつい言い方をしたり、自分の得になるような人には甘え、自分より劣っていると思う人には冷たくし、自分がなによりも正しいと思っている節を感じさせる言動の数々。なによりも一番嫌いなのは人のことをじっと見つめることだ。

わたしは見られることが嫌いなので、人の視線には割と敏感であると思う。今日もそうだった、見られている?と思って彼女の方を向いた瞬間に目をそらす。私にとってその行為は虫酸が走るほど不快だ。

でも彼女に向ける感情があればあるほど損であると思っていて、自分の人生を嫌いで埋めたいわけでは到底ないので、早めに処理をして明日を迎えたい。

でもその場に嫌いな人がいる時の対処法、未だに見つけられていないから、模索しています。
今日は「この人どんだけわたしのこと好きなんだ」と思うようにしてました。
新しい考え方探そう。

ものすごく長々と愚痴ってしまった。
人間だもの。たまにはね。こういうのもね。

#日記 #愚痴 #嫌い #感情 #価値観 #人間