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耳の野蛮さについて。(「きく」のプレゼンテーション)

主宰長谷川の『きく』創作日誌


※下の記事は、エンニュイのドラマトゥルクを担当している青木省二氏が寄稿してくれました。

耳の野蛮さについて。(「きく」のプレゼンテーション)

今は時代の大転換期であり、それを象徴するイデオロギーのひとつに「傾聴せよ」というものがある。良好な関係を築くためにはとにかく「きくこと」をすればいいらしく、「8割聞いて2割話すと、みんなから愛され、ビジネスも恋愛もうまくいく!」らしい。
しかし素朴に思うのだが、そのゲームに全員が参加した場合、なんと言うかシンプルに数が合わないというか、真に受けたら最後、「水曜日のダウンタウン」みたいな泥仕合になることは明白で、8対2? 8対2ってなんすか? って誰か言うてくれへんかなあ、と常々思っている。

これは決して日本だけの話でもないだろう。と言うのも、上記の様になっている原因のひとつは言うまでもなくネオリベ的、とにかく得をしたい、の精神であろうからで、「返報性の原理」みたいなジャーゴンもすっかり市民権を得ていく中、逆説的な「きく」パイの奪い合いというディストピア・ギャグが津々浦々で散見され、人民相互で饒舌と暴力性の去勢をしあわせるために耳から仕掛けられているような生政治的陰謀さえ感じてしまうほどだ。というのはもちろん冗談であるが、わたしたちは数年マスクを付け続け、話すことは抑制させられ、話すとしてもそのマスク越しの小声には耳を澄まさなければならなかった。

先の大戦後は「みる」のモーダルが芸術創作のひとつの手がかりになっていた。みることは端的に暴力を孕むからだ。演劇だとベルトルト・ブレヒト、ペーター・ハントケ、安部公房、なんならオノ・ヨーコまでもが浮かんでくるが、さておき、要は、見る側に常に(それが仮に愛であってすら)加害があって、見られる側には被害がある、という考え方がまずあり、これを逆転させることが抵抗を意味する時代があったのだ。
とは言え単に昔の話、ということでもなく、マイノリティ一般への理解が進む現在でも、普通にあり得るアイデアとしてこの方法はしばしば登場する。無論、ここではその是非を問わない。オノ・ヨーコは舞台から観客をただ睨みつけたが、アーティストが観客に加害性を行使する権利もまた、それが隠喩であれ転倒であれ、当時だって本当はなかったはずである。

本公演のアフタートークでは、POISON GIRL BANDの吉田大吾さんが、「漫才は三角形で作る。相方と自分、ではなく、お客さんの反応も含めて作っていく」とおっしゃっていた。さらに面白かったのは、近年は観客はマスクをしていたので口が見えず、笑い声も控えることがあったが、結局はお客さんの表情を見るとおっしゃっていたことで、楽しんでいることを表現するにあたっての笑い声は必ずしも指標ではないことだった。つまりライブパフォーマンスに働いているのはみる=ベクトル(方向)の力であることを象徴している。

板の上の魔物、なんて言い方もあるが、あれも「みるの力学」だと言える。あれは客席の空気がいかに醸成されるかという問題で、それは端的に、観客がアクティングエリアと同時に、他の観客の後頭部を見ているから醸成される。観客は得てして、他の観客の反応にハラハラしたり、腹が立ったり、影響を受けたりしていて、吉田さんの言い方を借りるなら、「観客」という行為はまさに逆三角形を形成していると言ってよく、先の三角形とともに常に再帰的フィードバックループが巡り、輻輳でも離散でも(繊細な表現ならとりわけ)コントロールの外に置かれる。ライブアートにおいては「みる行為」の兼ね合いが絡み合い、それが必定、時代のある一般的問題意識をも絡め取り、そうしていくうちに「みるメディア」としての側面が強く現れがちになる。

そこで「きく」だが、上記の通り、「みる」はベクトルであり、見返すことは抵抗の可能性である。人間の目は他の動物に比して黒目が小さく、みると同時に、心の動揺や、視線=関心が丸裸にされる器官である、なんて話もあるくらいで、生理・物理的にもネガポジのポテンシャルを湛えている。「ふれる」だと、ふれることも同じく暴力だが、ふれるもふれ返されることであり、そこから展開が可能になる、もまた言われることだ。

ところが「きく」は受け身の行為であり、それどころか、さまざまな音がある中でどの音をきくか、は、自分の意志では、選べそうで、選べない。手話通訳士の和田夏実さんがアフタートークで話されていたように(千秋楽の配信には和田さんのトークも収録されているのでぜひご確認ください)、その場に相応しくない音はあまりにも聴こえ過ぎ、場を(多くの場合、悪く)支配してしまう。きく行為には不自由があり、故に「きいてあげること」は奉仕的な行為であり、故に「きくこと」は正義の実践とされるのだ。

耳は野蛮な器官だ。耳は殺すか殺されるかのヤクザな世界を想定した器官で、正しいとか正しくないとかそんな次元には初めからいない。だからこそそれを制圧すること、すなわち「きいてあげること」は野蛮に対する理性の勝利であり、それそのものが人間性であり、進歩であり、リベラルユートピアであり、優しさであり、市民であり、倫理であり、宗教であり、利鞘なのであろう。だがそう簡単にはいかない。そうもいかないことを考えないと泥沼へ沈んでいく。取り扱いは慎重にしなければならない。

「きくこと」を批評対象として扱った芸術作品は寡聞にして知らない。例えば、コンテンポラリーアートでは、インタビュー映像形式(例えば限界集落とかへ、ドキュメンタリーの方法を用いて)のものも見るが、これは飽くまで話すこと=「声」の問題系であり、つまり「きく」ではなく「はなす」の、謂わば演劇における基礎的な条件に基づく方法であると言える。

「きく」を取りざたすことはある種の不誠実であり、茶々である。人間的理性と動物的肉体の狭間にある渾沌を顕わにすることである。しかし、これこそまさにある種「原演劇」的なものに思える。
子どもの頃、教師がその場の思いつきで言った話を勝手に真に受けてしまって人生の道標になったように、きくことは呪いを生むケースもあり、他方で、今この瞬間のきかねばならぬ話がきけない、ききそびれる、間違ってきこえる、こともまたあり、いずれにしてもわたしたちが当たり前のように思いなしている「きく」の理想の裏側には、それを不可能にする「野蛮でだらしない思考/体、コンディション」が存在し、その事実は、ドラマツルギーの裏側に存在する原演劇的事態ではないだろうか。

この文章を書いている最中に、ふと立ち上がり、鏡で自分の耳を確認してみた。ひどい形である。生き残るために醜く、ぐにょぐにょと形を変え、耳は不格好に生きのびてきたのだ。

だからなんだ、それでいいじゃない、という気もしてくる。


青木省二


青木さん寄稿の過去の記事↓

エンニュイperformance きく

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公演概要


3月24日ー26日
三鷹SCOOL

【脚本・演出】 長谷川優貴
【出演】
市川フー 、zzzpeaker 、高畑陸、二田絢乃
以上エンニュイ
浦田かもめ、オツハタ、小林駿 (50音順)

【スタッフ】 ドラマトゥルク:青木省二(エンニュイ) 制作・演出助手:土肥遼馬(エンニュイ/東京軟弱野菜)・四木ひかり 映像:高畑陸

【エンニュイとは?】
長谷川優貴(クレオパトラ/CHARA DE )主宰の演劇組合/演劇をする為に集まれる場所 。

名付け親は又吉直樹(ピース) 「『アンニュイ』と『エンジョイ』を足した造語であり、 物憂げな状態も含めて楽しむようなニュアンス」

2022年11月に新メンバーを加えて、組合として再スタート


「文字通り、誰かの話を「きく」ことを主題とする作品です。他者が話していること、そのイメージを聞き手が完璧に共有することはできない
人間は、自己が体験したことから想像することしかできない。誰かの話を聞いている最中、私たちの思考は徐々にズレていく。言葉から連想して脱線したり、集中力が切れて別のことを考えたりするそんな、「きく」感覚をそのまま体験するような上演にしました。
僕は母親が未婚の母で母子家庭でした。親戚もいなくて唯一の家族だった母が数年前に他界しました。その時に作った作品です。亡くなったばかりの時に心配してくれた方々と話をした時にズレを感じて、話を聴く時は経験などによって想像や処理のされ方が違うのだと体感しました。別々である人間に共感を期待してはいけない。共感よりも大切なものがあるということと、他人への想像力の大切さを伝えたいです」

あらすじ

「母親が癌になった」
一人の男の語りから話は始まる。

最近、言葉が溢れていて聞き取れない感覚に陥る。
「きく」ことによってその話を「背負う」。
聞いた話の足りない情報を想像で埋める。
「きく」ことの大部分は想像。
そんな「きく」ことを体験できる公演。

次回公演


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