見出し画像

駆け込み寺のない介護のシステム

新年明けましたが
新年明けた感覚もなく
喪中なのもあり

新年明けましたが
皆さんにとってどんな年末年始を
お過ごしになられましたか?
(σ´∀`)σ

という感じにしておきます( ´艸`)


前回アップした過去記事

11/3に書いたまま忘れてて
どうしようか考えましたが

まとめてざっくり書くよりも
別記事としてあげた方が
わかりやすいかなと思い

この記事をアップする前に
先に載せることにしました🙌

書いてたことすら忘れてるなんて
私もヤバいなぁ〜😂💦


前回のを読み返してみて
半分は父とのこと
もう半分は自分の内面について
のような記事だったなと思いつつ

父の状態については詳しくは書きませんでした


今回は自分の「身内の中」で見てきた認知症と
その経験から思うこと
思うこと
感じることを書きたいなと思います


認知症の進行具合も
認知症の症状の出方も
人によって違ったり

認知症とは言えど
色んな認知症があるようで

父の認知がおかしいと思い始めてから
改めて認知症とはどんなものかを
知ることになりました

というのも
父方のおばあちゃんも
昔、認知症で特養に入っていたので
私の中での認知症の基準は
そのおばあちゃんでした


おばあちゃんも
おじいちゃんが亡くなって数年は
1人で生活していました

お父さんが長男ということもあってか
おばあちゃんが私の家で
一緒に暮らすようになっても
しばらくは
少し物忘れがある程度
だったように思います


でも段階がもうひとつ進むとは
こういうことかなという感じで

自分のものが狙われている or 盗られた
とか
トイレがちゃんとできない
とか
自分の行動を覚えていない
とか

しまいには徘徊が始まって
とか

いわゆる認知症のありがちな症状
は徐々に始まり進行した
という記憶はあります


おばあちゃんは
人様からの目を
特に体裁をすごく気にしていた人なので
家族以外の人がいるとシャンとしてたし

もともとプライドが高く
偏見持ちなところもあり
女性特有の気性の荒さもあったので

第三者としてはなんとも判断に難しい
という感じだったのか

なかなか介護度が上がらなくて
特養に入れてもらえるようになるまで
何年もかかっていたと思います🤔


私の父の場合

母が他界してから
父に元々あった怪しげな認知度が
まさに坂を転がり落ちるように
医者も驚くほど急激に進み

最初の頃は

実際には家に来ていない
私の妹や弟が来てたことになってて

リビングに戻って来る度に
「あれ?どこいった?」
とか

「あれ?お母さんどこ行った?」
から始まり


しばらくすると
人影が見えたり
見知らぬ人が家にいるようになったり

もうずっと前に亡くなった
父方のおじいちゃんやおばあちゃんが
別の部屋に居てることになってたりして

実際に声をかけたり
誰かと喋ってるようなことがありました

それでも車やバイクを自分で運転して
1人で病院に行くこともできてたし
自分の身の回りの事は全部自分でできていました


9月の下旬には
お金とか大事なものを
自分でどこかにしまったことを忘れて
失くすことが増えてきて
(無くしたお金は行方不明のまま)

失くされると困るので
通帳や印鑑関係は
父に管理させられなくなりました


10月の中頃には
調理中に火にかけてることを忘れて
色んなものを焦がしてしまうようになり

10月の下旬には
自転車に乗っても転けてしまうぐらい
足元がおぼつかなくなって

この頃から父に運転させられないと思って
車とバイクと自転車の鍵を
全部私が管理するようになりました

大事な手続きの書類で
自筆はかろうじてできても
住所と名前を書くにも
説明がないと1人で書けないぐらいになり

物の使い方が分からない
お風呂の入り方が分からない
服の着方が分からない
携帯の充電の仕方がわからない
などの
行動の順序がおかしくなったり
自分の物と人の物の区別がつかなくなったり


11月の初旬には
電話の仕方が分からず
充電器のプラグ部分を耳に押し当ててたり

頭が錯乱状態になったのか
自分の家なのに
家に帰ると言って出ていこうとしたり

最愛の妻であるお母さんの顔も
家族の顔も分からなくなったこともあったし

中頃には
私が奥さんと思われてたり
親子と夫婦の概念がめちゃくちゃになってたり

本格的な徘徊も始まり出したりで
買い物すら父を家に置いていけないほどに
なってしまいました

そんなんで
徘徊が始まる頃にはもう
とにかく24時間アンテナを張って
神経をずっと
父に向けてないといけなくなったので

夜もろくに寝れない
お風呂にも入れない
そんな日々が続きました


あるあるなんだろうなとは思うんですけど
病院に行ったり
人が来ると気を張るのか
その時だけは割と普通に振舞ってましたが

それでもやっぱり
言動のおかしさは出るようで

それと並行して
私の疲弊具合も顕著に現れてたのか

弟は家で見れない代わりに
私からの報告を受けて緊急性を感じ
育児と仕事をしながらもずっと
病院や介護福祉関連との窓口になって
色んなとこに掛け合ってくれてましたが

かかりつけ医と訪問看護師さんも
それに気づいてくれて
ケアマネさんや役所の人も
素早く対応してくれて

その時はまだ介護認定はおりてはなかったけど
見込みで施設を探してもらって

11月の末頃にようやく
ショートステイの施設を見つけて
入所の手続きをしてくれました


やっと自分の時間ができる!
と喜んだのですが

そのショートステイの施設見学に行った時
父がやたら他人事のような感じだな
と思って見ていたら
なぜか私の休養施設だと思ってたようで

ショートステイ前日には
自分が行く施設だと認識はしていたようですが
その施設に入ると死ぬまで出られない
と思ってしまってたみたいで

夕飯を食べてる時に突然
自分を捕まえに来るから逃げんとあかん
と言って家から逃げようとして

いくら説明しても聞いてもらえず
しまいには私も敵と思われたのか
敵を見るような目で私を見て

止めようとする私の手を
振りほどいて逃げようとしたので
力づくで部屋に引っ張りこんだものの

時間にしたら1時間か2時間ぐらいですが
訪問看護師さんに相談しても
納得いく解決方法が見つからず

父の中では1番信頼度の高い
私の弟と話すまで膠着状態が続きました

身体的な異常なら
救急車を呼んで対応してもらえるのですが
精神的なものは
そういうのが無いので

対応しようがないのに
何とかしないといけない状態

というキツさが
介護者にとっての精神的な1番の苦しさ
じゃないかなと思いました


結局その日は
弟と話したことで落ち着いて
弟の説得で納得して
施設に行くことを理解してくれて

その後叔父さん(父の弟)が
体調悪いのに来てくれて
一晩中父と過ごしてくれたので

一時はどうなることかと思いましたが
ショートステイ初日の朝は
穏やかに行ってもらえたので
ほんとにホッとしました


病院の診察日の関係で
その後一度施設を退所して
2日ほど家にいましたが
話の内容がおかしなところはあっても
その間は驚くほど穏やかで

私も久々に父と穏やかな時間を過ごせたし
次施設に行く時も
穏やかに行ってくれたので
私も父を思うゆとりができて
良かったなと思いました


その後介護認定が降りて
要介護3
だったのですが

施設内でコロナの陽性者が出たことと
日数制限(19日間/月)のこととか色々あって

多分家で過ごせる
最後の年末年始になると思って
本当は年末年始は
家で過ごさせてあげたかったんですが

1週間悩んだ末
ショートステイからロングステイに
切り替えてもらいました


コロナがなければ一度家に帰れるはずが
帰れなくなったことで
父にはかなりのストレスになったでしょうし

そのストレスがまた
認知症に拍車をかけて悪化する
ことを想定すると

またあの地獄のような日々が始まるかもしれない
とか
前回より増して新たな未知の言動が起きたら
と思うだけでこわかったし

一旦ゆとりが出来て嬉しかった反面
介護のための気力は
これまで以上の覚悟がいる
と考えると
何かあっても対応しきる自信がなく

こういうとき
駆け込み寺のようなものがあれば
家で介護する側としては
だいぶ気持ちが楽なのに
と思いました

何より
介護者にとってまず最初に1番きついのは
助けのない状態
家族はどこまで頑張らないといけないのか
という出口の見えないトンネル状態です


色んな施設や色んな福祉制度があっても
そういうのがないこの日本の福祉は
まだまだ制度が整っていないんだな
と思うと同時に

これから益々高齢者が増えて
介護の負担が増していくと考えると
一刻も早い対応策が必要だなと思います


介護疲れで殺してしまった
というニュース
なんとも悲しいことではありますが

その気持ちがよくわかると思う今

これ以上そんな人が増えないためにも

自分も含めて
今現在介護で困り果ててる人や
疲弊しきっている人達のために
今すぐなんとかして‼️

と声を大にして言いたい
とこえもんでした🙌

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?