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最近の私記録(教員からの転職活動)

2月になってもう半分が過ぎた!早い。本当に年が明けてからの3ヶ月は毎年あっという間だ。

6月の半ばから適応障害で病休になり、8ヶ月が経過した。

これまでの8ヶ月間は休んでいたにも関わらずなんだかんだアクティブに行動できていた期間だったので、自分なりにまとめていこうと思う。(本当はもっとゆっっくり職探しをしたいところではあったが、なんせ家のローンが・・・)

6〜8月(病休1〜3ヶ月目)


・何もする気力が起きない

・とにかく罪悪感に追われる日々

・誰にも会いたくない、どこにも行きたくない、とにかく薬の副作用で眠い

「とりあえず元気になれる薬をもらいにいきましょう!」とオンラインカウンセリング(cotree)でアドバイスを受けた私は、カウンセリングを受けたその次の日すぐに精神科を受診したが、薬をもらうだけのつもりが気づいたら7月末までのお休みをもらう羽目になっていた。正直あまりいいお医者さんではなく、話もちゃんと聞いてもらえなかったので、本当に私の当時の体調が休むに値していたのかは謎だが、でもまあ心身ともに限界を迎えていたし、2ヶ月とりあえずゆっくりしようと前向きに考えた。

休み始めた当初は「なぜ働けなくなってしまったんだろう」「周りのみんなも辛い思いをしながら働いているのに」「昨日まで当たり前のように通っていたのに」と、自分自身を否定し続ける日々が続いたが、休んでいくうちに段々と吹っ切れていった。きっとこの記事を読んでいて休みたいと思っている教員の方々は、「毎日行きたくないししんどいけど休むなんて周りの迷惑になることできない」と思っている方がほとんどだと思うが、そんなことはない。自分の人生なのである。クラスの子供たちや保護者、周りの教職員の先生方はそのあなたの人生に責任を取ってはくれない。もし病休が無理でも、1日休んでみると世界が変わると思う。後にも書くが、絶対に無理して続けるような仕事ではない。

9〜11月

・webデザインの勉強をしてみることにする

・ずっと家にいることに限界を感じ始め、東京へ一人旅に出る


この頃はだいぶ心身ともに復活してきていた。外に出たいとか、何かしたいという気持ちが芽生え始め、徐々に行動的になってきているのが目に見えて分かった。この時期、休みをいつまで伸ばすか、はたまた辞めるか、はたまた休職に入るかということで夫と毎日のように話し合った。夫はいつでも私の味方でいてくれていたため、「もう少し休んだら?」と言ってくれてはいたものの、「もう元気なのにずっと家で休んでいるのもな・・・」と思い始め、なかなか休職に踏み出せなかった。

結局、金銭面的なこととすぐに復帰は難しいだろうということで、11月末には3月までの休職を決意したのだった。

9月頭にwebデザイナー養成の学校へ入学したのは以前からwebデザインに興味があったからで、みっちりと訓練すれば4月からwebデザイナーとして働くことも難しくはないとのことだったので、思い切ったのだった。60万。一括で払った。

9・10月と順調に学習は進んでいったものの、私の中で「webデザイン向いてるかも!?」と正直1回も思えなかった。元来アクティブでおしゃべり好きな私は、ずっとパソコンとにらめっこをしてカタカタする作業は向いていなかったようだ。(教員を選んだくらいだからそんなことは最初から分かっていたはずなんだどな)

ずっと家にいてオンラインで受講する日々が続き、完全に頭の中がショート寸前状態になった私は、気分転換にと思い突然思い立って一人旅に出た。何泊するか、どこに泊まるかも考えずとりあえず新幹線に乗り、その日のホテルのみ予約した。

結局家が恋しくなって3泊4日で帰ったが、誰も自分のことを知ることのない土地で、家事も忘れて好きな本を読み、好きなカフェに行きまくったあの4日間は最高だった。ずっとずっと思い出だ。

12月〜現在

・知り合いの会社でwebデザインの仕事のお手伝いを頼まれる

・転職活動を本格的に始める

・内定辞退

・転職活動再開


11月末あたりから、以前知り合った会社さんに誘われ、webデザインのお仕事をボランティアでやってみることになった。無償とはいえど人の目に触れるものであるので、3週間毎日一生懸命パソコンと向き合った。

・・・やはり合わない。根本的に向いていないということを思い知らされた。うまくいけばそこの会社に入れてもらって2月ぐらいからOLエンジョイ!なんてことも視野にあったが、その案はあっけなく散った。

結局振り出しに戻ったが、webデザイナーは向いていないということに気づけただけでもありがたい。この頃から本を読みまくり、映画を見まくり、自己分析をし、自分は何が得意で何をしているときに充実していると感じることができるのか、徹底的に向き合った。

その結果なんとなく転職の軸が見えてきて、3つのエージェントに応募。いくつか求人を紹介してもらい、年末年始にかけて面接を受けた。

1月の中旬ごろ、その時点で第1志望だった会社にわりとあっさりと合格し、(どれぐらいあっさりだったかというと、最終面接開始後3分で採用と言われるくらい)「転活案外ちょろ〜♪」と思うぐらいには舐め腐った態度だった。

もう3月までやることもないし、本当に自由の身になった私はとにかくまた映画を見まくり、本を読みまくり、寝たい時に寝て食べたい時に食べるという最高の生活を送っていた。2月上旬までは・・・

そろそろ友達に報告をと思い、本当に仲のいい友人何人かにラインを送っていたところ、「これこれこういう仕事に就くんだ」というとあまりいい反応が返ってこない。どうやら私が選んだ企業はどちらかというとブラック企業だったようで、ネットの口コミがあまりよろしくなかった。「なんでもっと早く相談しなかったの!」と親友に怒られながら、2人でまた新たな求人を探す日々が始まり、休んでからの期間で一番焦って泣いた。なんでかって、早く入社したいがために退職を2月末にしてしまったのだ。

職を失うまで3週間。まあ不安しかない。

そんなこんなで今日現在に至り、今週あと5つ面接を受ける予定となっている。何事も焦りは禁物というが本当にその通りである。人生生き急いではいけない。まだまだ長いものなのである。

ここまできてまだ内定をいただけていないがために退職したいと思っている教員の方々へ希望を与えられているかは少し疑問だが、きっと大丈夫だ。どの企業の話を聞いていても、教員を1度経験した我々は最強なんじゃないかと思えて自信をもつことができている。もちろん職種にもよると思うが、自分の人生の中で一番大事なものが見えてくれば、きっと次のステップへすぐ進めると思う。

教員採用試験しか見ていなかった視野の狭い私にとって、今回の転職活動は大きな人生の転機となった。日頃1日1日を乗り切ることで精一杯になっていたあの日に比べて、今は自分自身にも周りの人にも余裕を持って生きることができている。

あの日休んだ自分に感謝だ!あとは内定ゲットするのみ。続きはまた今度。


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