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初めて分かり合えない価値観に触れて

おはようございます。きいろいうさぎです。
昨日に引き続き、旦那さんと話した内容について書いていきますね:-)

(前回:たわいもない会話から)

ちなみにソファに座っている旦那さんの膝に足を乗せてiphoneでゲーム、旦那さんはテレビゲームをしながらお互いに顔を見合わせることなく話している感じです笑

なので、特に真剣に真面目な雰囲気で話してるわけではなく、淡々とわたしが「もし死ぬなら〜」「死ぬってわかってたら〜」なんて言葉を頻繁に使いながら会話をしていると旦那さんの表情が曇りだしました。

そして、旦那さんが口にした言葉は
「俺らはまだこれからなのに、なんでうさぎは死ぬことばかり考えるの?
 俺はそんな考え方嫌だよ。普通に生きてたらいつか時がきたら死ぬんだから。」

と、こちらを見ることなく言われました。

旦那さんにとって「死」というものは、
          いずれ仕方なくやってくるもの。という認識

”         でも   ”

わたしにとっての「死」というものは、人の最後の瞬間という認識。

だから、生きている時間を何の意思もなくただ過ごしていたら、あっという間に時間は過ぎてしまう。気づいた頃にはやり残したことがたくさん....なんてこともありそうで怖いです。でも、この考え方は、前職の介護士の仕事でたくさんの人生の先輩方の最後を看取ってきたからなのかもしれません。介護士をしてなかったら旦那さんと同じような認識をしている気がします。

わたしは介護士として最後を看取るたびに、『〇〇さんにとってわたしは何ができていたかな。少しでも楽しい時間が過ごせたかな。』などといったことを考えることが多かったので、そのたびに「死」について考えさせていただく機会を旦那さんよりは多く経験してきています。そのため「死」に対する認識が違うのだと気付きました。

でも、旦那さんの「生きていたら時がきて死ぬ」という考え方は、『自分らしく生きていけばいい』といった感じなのかな。たしかに、旦那さんは自分のしたいこと・意思をしっかりと持って生活をしている気がしますね...。なんていうか、自分に素直というか....まぁ、自分に甘いとも言えますけど笑

 わたしはどうしても性格や仕事柄、人に尽くすことで「相手が幸せになったらわたしも幸せだなー」っていう価値観の人間でありまして笑、きっと第三者からしたら「ただの世話焼きでしょ」と言われるかもしれませんが...笑、

そういった性格を理解すると、どうしても自分の気持ちに素直に生きるという生き方のほうが不慣れなのです;-)だから、「最後は死ぬのだからいまを生きる」といった考え方のほうが、わたし自身の生活を大切にしていくという意味では、背中を押してくれる言葉なのかもしれません。

「死」という言葉の意味や認識は人それぞれ異なると思います。
どれが正しい。間違っているなんて簡単に決めつけられるものではない。
だって、どんな生き方をしながら
どのような場面で「死」を体験したかによって
「死」に対するイメージが構築されていくと思うからです。
(美しい・怖い・嬉しい・哀しいなど)

初めて分かり合えない価値観にふれてみて

誰一人として全く同じコピーした人生を送っているわけではないのだから、そのなかで息の合う友人や恋人、仕事の仲間とかって思っている以上に大切な存在だと気付かされた気がします:-)

旦那さんとわたし。
生き方、育ち、性格も違う時点で同じ価値観をもたないほうが普通なのでは。

全くちがう人間がお互いに惹かれあって
似た価値観をもって一緒にいるなんて奇跡なのかもしれませんね :-)

それに、全く違う価値観をもっているからこそ魅力的なのかもしれませんね:-)
むっとすることもあるけど、それ以上に大切なことに気づかせてくれる旦那さんは
わたしにとって最高のパートナーだと思ってます:-)    いつもありがとう:-)

最後まで読んでいただきありがとうございました。 
またよかったら足を運んでください:-)

そして、新しい価値観に触れる機会として私のために
今回の記事を読んで感じた感想や意見があったら
コメントして教えてくださると学びになります:-)  それでは!

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