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春の暴力性と希死念慮との付き合い方

定期的に顔を出してくる希死念慮が、今日もやってきた。
桜が満開の川沿いを散策している時だった。

死にたい、消えたい、いきたくない、なくなりたい
希死念慮を表現する言葉は人それぞれで、色々あると思う。
人には人の希死念慮。

私にとってのその言葉は、「海の底で眠りたい」と「貝になりたい」だ。
海の底でずーっと眠っていたい。
海の底はなんとなく温かい空気に包まれている気がするから、そこで、貝になって、眠っていたい。

今日はだめだった。
春の桜並木の川沿いと、そばでお花見をする人たち、特に家族連れ、小さな子供、仲の良さそうなグループ、入学式帰りの学生とその親、誰かと桜を見ている人たち。

その光景があまりにも穏やかで、正常で、希望にあふれていて、一人で歩いている自分の異常さをひどく実感してしまう。

一人で過ごすことは何も異常ではないと頭ではわかっている。
けれど、100点満点の春の日を前にすると、そんな考えも小さくなってしまう。
いっそのこと夏の狂ったような暑さや、冬の凍てつく寒さの中にいた方が頭は楽になるんだろうな。

環境が穏やかであればあるほど、自分が外れているような感覚が浮き上がってしまう。


そんなしんどさを感じながら、家に帰って少し寝た。

少し寝るとだいたいのことがどうでもよくなって、なんだかムカついてきた。何に対してかはわからない。

春にかもしれないし、一人を孤独とみなす風潮がある日本社会にかもしれないし(個人の感想です)、突然高くなった気温にかもしれないし(そのせいで普通に今日は汗をかいた)、痩せない自分の体にかもしれない。

月初1週間にしてすでに予算を押している日々の出費も入ってるだろうな。
資格試験のわけわかめな問題にもムカついている。
明日から仕事という状況もいやだ。

むかつくことを考えながら、noteにはどこまで汚い言葉をかけるのだろうと考えた。自粛する。

そんな感じで怒りを感じていると、少し精神が安定してきた。
やはり人間の生を支えているのは怒りなのかもしれないと思った。

そんな感じで希死念慮と付き合う。これからもきっとそうなのだろうな。

おわり

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