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お母さんとわたし

わたしのお母さんのおはなし。

ふとした時に、お母さんのことを思い出すので、書き留めておこうと思う。

お母さんはわたしの誕生日の話をよくする。わたしは難産で、予定日に生まれることが出来ず、お母さんの誕生日の前日に産まれた。「あなたはままの誕生日プレゼントだったの」と嬉しそうに語ってくれていた。お母さんは若くして子供が産めない体と言われていたらしい。だから、わたしは奇跡なんだって。

アルバムを見ていたら、1歳の私が満面の笑みでぐちゃぐちゃの絵を見せている写真があった。お母さんに聞いたら、「あなたが初めてアンパンマンを描いたから、写真に残さなきゃと思って慌ててカメラを向けたの」と真剣な顔で言っていた。大きくなったわたしはどうしてもアンパンマンには見えなくって笑っていたら、「ちゃんとアンパンマンだよ!」と何故かお母さんが怒っていた。

小学生の真夏日、お母さんとふたりで公園に行ってブランコをした。帰りにおばあちゃん家に行って、水風呂を浴びたのも覚えてる。すごい嬉しかった。

また別の日、弟とお母さんと3人で公園に行って砂場でご飯を作った。これも嬉しかった。

夜の公園で友達と、友達のお母さんとわたしのお母さんに見守られながら遊んだ記憶もある。

嬉しかった思い出が引っ越す前ばかりだ。引っ越してから、3人で暮らし始めてから嬉しかったことはなんだろう。

小学4年生の時の初めての遠くへの実習で、お母さんがお弁当にお手紙を添えてくれた。センター試験の時もお弁当を作ってくれたな。

大学の2次試験の時、受験が終わって部屋で待っていたお母さんに会った瞬間泣いちゃった。お母さんが抱きしめてくれて、その後ふたりでスーパーに行ってハーゲンダッツを買った。あれが最後のふたり旅だったかも。

泣いて苦しんでる時、何度も抱きしめてくれた。

成人式に行かなかったわたしのために、好物を作ってくれた。

お手紙で、だいすきだよ大事だよって書いてくれた。

勉強しすぎてキャパオーバーになった時、こんなに頑張ったんだからもういいんだよって言ってくれた。


お母さんはわたしのこと大好きだったかな。大事だったかな。今はどうかな。

嬉しい記憶だけを純粋に思い出すことが出来ない。一緒に、辛かったこと、悲しかったこともたくさん思い出す。

わたしを負担に思っていたこと。愛したいけど愛せないことも何となく感じていた。わたしを頼りにして、寄りかかっていたのも知ってる。

難しいねえ。色んな気持ちと事情が絡み合って、どうしても大事にされていたと思えない。これからも、大事にされることよりも、傷つくことの方が多いだろうと思ってしまう。

かなしいね。わたし、お母さんにずっと大事にされたかったな。気付かなかっただけで、小さい頃から心を踏み潰されるようなことは沢山あったみたいだけど。でも、気づいてなかった小さい頃に戻りたいと思ってしまうよ。

お母さんなりの愛を愛と受け入れられればよかったのかな。どうしようもならないね。

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