文字の書き方について(汚文字から普通文字になった方法)

私は字が下手である。
いや、昔は少し上手い方だと思っていた。
バイト先で宛名書きを全部任されたこともあったし。
でもあれはもしかしたら嫌がらせを受けただけなのかもしれなかったなと今になって思ったりする。そのときは気付かなかったけど。

でも、多分歳を重ねるにつれて確実に字は下手になったと思う。
字だって衰えるのだ、きっと。

キレイな字を書くには芯がしっかりしている必要がある。
線がぶれている字は美しくない。
字をぶれさせないためには、体に芯が通ってないといけない。
つまり筋力がいる。
だから歳をとるごとに字は汚くなっていくんだ。
これはただの持論なので異議は認めます。

今の職場に入って3年になる。
入社したときにいた先輩は字がキレイで、目にする度うっとりした。
半面、自分の字の汚さに羞恥心を抱いた。
先輩は私が入った3か月後に辞めた。
その後任として入ってきた今の同僚は、私と同じように文字にコンプレックスを持っていた。
美文字先輩は去り、字が汚い二人が残った。

仕事は基本ワードで書類を打つばかりなのであまり字を書く機会はないが、たまに提出物に書かないといけない場面もある。
そのときに本当に困っていた。
圧倒的に字が汚い。
線はぶれ、バランスが取れていない。
心の中が見透かされたように、字も不安定だった。

色々練習はしてみた。
美文字の学習帳とか、ゆっくり丁寧に書いてみるとか。
でもなかなかキレイな文字は書けなかった。

だがここ最近、汚文字を脱する兆しが見えたかもしれない。
字の書き方のコツが分かってきたのだ。

私は今まで、文字の仕組み・成り立ちというものを考えてこなかった。
ただがむしゃらに「きれいな字を書こう」と、線をまっすぐにしてみたり、はらいをキレイにしてみただけだった。

それが、きちんと字のことを考えて書くようにしてみたら、少し変わってきた。
たとえば、「清」。
セイと読むこの漢字は、さんずいと青が組み合わさっている。
それぞれを見てみると、青が字の割合を大きく占め、さんずいはおまけ程度にちょこんと寄り添っている。

青はそれだけでセイと読む。
「清」は、水っぽいものを表すさんずいと、セイと読める青を合わせて作られている。
セイと読みたいだけだったら、青だけでもいい。それに「水っぽいもの」という意味を足したくてさんずいがついている。
でも、あくまでさんずいはおまけで、この文字のメインは「青」なんだ。
ということに気付いた。
だから偏のさんずいは小さくていいんだ!

早速、さんずいを小さめに「清」を書いてみた。
うん。しっくり来る。
この法則にのっとって他の字も偏を小さめにしてみた。
うん。けっこうキレイに見える。
部首が分からない文字はネットで調べてみたりする。
何て名前の部首なのか、また知識がひとつ増えたりしてそれも楽しい。

全てがこの法則に当てはまるわけじゃないかもしれない。
今更wと思われるかもしれないが、漢字の書き方について深く考えてこなかった汚文字の私にとっては世紀の発見だった。
これを知ったことで、漢字を書くのが楽しくなってきた。
キレイな字をかけるのは楽しい。

文字を書くことは面倒なことである。
かつての私はそうだった。
でも一文字一文字、漢字の成り立ちを見つめて書くことってけっこう楽しい。
「文字を書く」という些細な、取るに足らない行動にも楽しさを見つけられたことは、きっとこれからの人生の小さな彩りになっていく。
今までコンプレックスだったものが人生の彩りに変わるなんて不思議でおもしろいものだなぁと、文字の書き方を通して学んだ体験でした。

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