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子どもが暴力的になる理由

ありのままを受け入れられていない子どもからのSOS 

子どもが小さいうちは容赦してもらえるかんしゃくは、小学校に入ると暴言暴力と呼ばれ、問題視されるようになります。けれど、その原因が親が子供をありのまま受け入れていないことにあるとはあまり考えられていないように思います。

子供自身が何かしらの問題を抱えている可能性は高いのですが、その問題を含めたありのままを受け入れていないことに親が全く気づいていないか、親自身も何かしらの問題を抱えているかだと、当事者家族である私は思うのです。

家という所がその子にとって安心安全で、ありのままを受け入れてもらえる居心地のいい場所でない場合、子どもは乱暴になります。つまり、これは子供からのSOS。なぜそう言えるかというと、うちがまさにそうだったからです。

小さなことの積み重ねだと思うのですが、うちでの例を申しますと、朝起きること。ムスメが小さい頃は毎朝バトルでした。気持ちのいいはずの朝は最悪の朝になりました。朝、決まった時間に起きて一緒に朝ご飯を食べる。ただそれだけのことが、なぜできないんだろうとずっと思っていました。こんなことができないなんて家族としてあり得ませんでした。

朝は早く起きて朝日を浴び、一緒に朝食を準備して食べる。脳や体に良いことは明らかだし、何より気持ちのいいことだと思っていました。子どもにも良い習慣を身につけさせるのは親の役目です。けれど、ムスメは違っていました。

朝早く起きるのは嫌だし、朝日なんか浴びたくないし、朝ごはんも食べたくないのです。小さい頃はそれが良いこととは思えずムスメを起こす為、悪戦苦闘を続けていました。けれど、中学で起立性調節障害と言われ、私が起こすのを止め、出来るだけ関わらず本人の調子を見守るようにすると、ギリギリで朝ご飯もろくに食べなかったりするものの高校にはちゃんと毎日通いました。

その代わり休日、彼女が起きてくるのはほぼ午後です。これを書いている今も、もうすぐ2時になるところでやっと起きてきました。寝たのは10時だそうなので、14時間寝ていたことになり呆れますが、彼女曰く、疲れていたそうです。

朝一緒に朝ご飯を食べることは、とうの昔に諦めました。これがムスメなのです。無理に人と合わせようとすると問題が起きるので、やはりとことん集団生活に向いていないのでしょう。生活リズムが整わないことで悪循環にはまったとしても、それを自分で改善しようと思うか思わないかは、ムスメ次第ということです。

発達障害の特性のある子は、感じ方から考え方まで何から何までとことん一般とは違うので、それでもやらなければいけないということとの境界線を見極めるのが親としては悩ましいところですが、普通はこうだからこうするのが当たり前という考えは、キッパリ捨てなければいけなかったのだと今更ながら思います。そして、ありのままを受け入れることができると子育ては楽しく、ずっと楽になると実感しています。


モトオの愛情欠如 

うちの問題はモトオでした。愛情が欠けているのは明らかで、ムスメに影響が出ていたのも明らかでした。けれど、当時まったく言うことを聞かないと思われたムスメと犬を抱えて養えるほど仕事ができるとは思えませんでしたので、モトオが変わることを願いながらそのままの生活を続けていました。

ムスメが低学年で、かわいかった頃。その日モトオが珍しく機嫌が良かったからだと思います。ムスメが久しぶりにモトオの膝の上に甘えて座ろうとした時のことでした。モトオがあからさまに嫌な顔をしてムスメを払い落としたのです。その時のモトオの鬼のような顔とムスメの戸惑った顔は今も思い出すと心が痛みます。

私が驚いて「なんで?」と聞くと「暑いから触られたくない」とモトオは言いました。もともと感覚過敏があったのかもしれませんが、それまでそんなそぶりはなかったのに急に?という感じでした。しかも、自分の都合で酷いことをしておきながら、ムスメに謝りもせず不機嫌になるなんて許せませんでした。彼にそれを言ったところで「なんでオレが謝らなきゃいけないんだ。不快なのはオレなんだぞ」と返ってくるのが落ちだと分かっていたので、「パパは暑いから嫌なんだって、ママのとこにおいで」と言ってその場を収めました。

けれども、モトオがスキンシップを極端に避けたり、親らしからぬ言動を取ったりすることは、当たり前ですが、ムスメの情緒不安に繋がりました。そのことについて、冷静にモトオと何度も話し合いをしましたが、勿論何も変わりませんでした。


親として忍耐力と包容力が必要だった 

ムスメが高学年になると、私に「死ね」などの心無い言葉や暴力を振るってきたのは、ムスメからのSOSだったわけですが、当時の私にはそれに気付く余裕はありませんでした。その頃、私はモラハラを受けていましたが、発達障害だから仕方がないと耐えながらサポートしていました。けれど、そこにそっくりな特性の娘が暴言暴力を振るうようになった時は、悪夢のように感じました。全ては発達障害由来としか思えませんでした。

本来なら親としてムスメに対しては忍耐力と包容力が必要だったのですが、モトオで散々我慢させられてきてしまった私には受け止めてあげる余裕が無かったのです。

私が支援をしている学校でもすぐ暴力的になる子どもをよくみます。それでも、外で表すことができる子供はすぐ支援に繋がるので、私などは羨ましく思ったりします。先日も私がついている子供の両親が学校から面談を求められていたのですが、同席した特別支援の先生が「あの夫婦は完全に冷めていて、家での協力は望めないと思う。だから、私たちがあの子にできることは学校で自己肯定感をあげてあげること。子供が変わることで親も変わってくれることを祈りましょう」という話をしました。家庭の問題は根深くそれぞれです。

特性を持つ子供の子育ては、並大抵ではありません。なので、すべての原因が親のせいと言うつもりはないし、自分もそうだったので責めるつもりもありません。
けれども、子供の問題を解決したかったら、子育てを楽しいものにしたかったら、一番いいのは親が変わることだと私は思います。うちの場合、やらなければいけなかったことはモトオとの決別でしたが、苦労の甲斐あって、今私たち親子は私たちらしくいられていると思います。

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