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明日、また明日、そして明日こそ、きっと世界は少しはくらいはマシなはずだ

昨年、英語圏の多くの読者が「今年のベストブック」に選書していた「Tomorrow And Tomorrow And Tomorrow 」読みました。
本のタイトルはシェイクスピアの「マクベス」に出てくる『トゥモロースピーチ』から来ていて、人生の中で成功していられる期間は短く、ピークが過ぎるとまるで何も成し遂げられなかったかのように忘れ去られる…というような内容。読了後、移り変わりの激しいゲーム業界で起業した主人公たちの心境をとてもよく表してしているタイトルだなぁ、としみじみ思いました。

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Sam がハーバド大学の1年生だった、寒さが身に染みる12月のある日。地下鉄車両から出たSamはプラットフォームにいた大勢の人の中に長年音信不通になっていた幼馴染Sadieを見つけ、彼女の名前を呼びます。一瞬、Sadieは聞こえないフリをしましたが、その後、振り返ったまさにその時、物語が動き出します。

幼い頃の事故で母は死亡、自身は足が不自由なったSam。彼は現実の悲惨さを少しでも忘れてさせてくれるゲームを作ろうとします。
その一方で、裕福な家庭で何不自由なく育ったSadie。彼女はMIT(マサチューセッツ工科大学)に入学し、教授であり有名なゲームクリエイターDovと関係を結んでしまったことがきっかけでゲームクリエイターとしての才能を爆発させ、より複雑なコードを書いた美しい映像に暗い現実を表現したゲームを作ろうとします。

2人がゲームに対して違う考え方をしていたからこそ、彼らをスターダムにのし上げたゲーム『Ichigo』が誕生し、2人はゲーム業界で大成功します。

ですが、Samは足が不自由だから”普通”の人ではない。という現実を乗り越えられず、幼少期からずっと低かった自尊心が満たされません。
Sadieは、ゲーム業界ではクリエイターは”普通”は男性だ、ということが理由で、クリエイティブパートナーのSamばかりが注目され続けることに、自尊心を傷つけられ続け、やがて2人はすれ違っていくのですが…

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世の中で一般的に認められている”普通”ということに迫られつづける人生というのは、なんとも息苦しいものではないか。

特に20代というのは子供から大人へ向かって意識が本格的に変化してく時期。
振り返ってみると、その時期に何をしていたかによって、その先の道も変わっていくので生き甲斐のある面白い時期でもあった反面、「女性である」「皆んなと同じでない」ということで10代の頃から少しずつ自尊心を傷つけられるという経験もあったことを思い出し、その多感な時期に傷付けられた自尊心を癒そうとする主人公たちの行動にとても共感しました。

私は主人公の2人とほぼ同世代なので、主人公たちが影響を受けた80年代から90年代に流行った任天堂のスーパーマリオブラザーズ、ドンキーコング、小島秀夫(メタルギアを作った天才クリエイターで小説の中にも実名が出てきて歓喜)、宮崎駿、攻殻機動隊などをリアルタイムで経験したのですが、その当時「私は本を読んだり、ゲームをしたりするのが好きなんだよね」と誰かにいうと「げっ。暗いやつ」「オタクっぽい」などいわれ、バカにされたように感じることが多々ありました。

結局、私が自分の好きなものを誰かと本当の意味で共有できるようになったのは、30代に入ってからだったのですが、物語の中でSadieが「いわゆるZ世代の若者は私たちとは全く違っていて、自分の暗い趣味やトラウマを皆んなに話すんだよね」とSamに語るシーンがあり、新しい時代が来ているんだ…となんだかとても喜ばしく思いました。

あと、本には、ウィリアム・モリスの有名なテキスタイル「Strawberry Thief 」について語るシーンがあり

This was William Morris’s garden.Theses were his strawberries.These were birds he knew.No designer had ever red or yellow in an indigo discharge dyeing technique before.He must have had to start over many times to get the colors right.This fabric is not just a fabric.It’s a story of failure and of perseverance, of the discipline of a craftsman, of the life of an artist.

これはウィリアム・モリスの庭だ。これはモリスの苺で、これはモリスが知っている鳥だ。インディゴ抜染テクニックで赤や黄色を後から足すなんて、誰もやったことがなかった。彼は、綺麗なカラーを出すために、間違いなく何度も何度もやり直したはずだ。これはただの布なんかじゃない。これは、失敗と忍耐、職人技術の継承、そして1人のアーティストの人生が詰まった物語なんだ。

という、内容。
(物語とは別の筋なのですが、スタジオジブリの大変な読書家でいらっしゃる鈴木敏夫さんの書庫はウィリアム・モリスのテキスタイルが壁紙だそう。物語で何度か宮崎駿のアニメを引用していた著者がそのことを知っていたのかどうかは調べても分からなかったのですが、なんだか偶然とは思えないウィリアム・モリスのストーリーに驚きました)

「何かをやり遂げる」ということは成功するか否かという結果ではなく、”普通”を飛び出して沢山失敗するという過程のストーリーが大切なんだなぁ、としみじみ思いました。

そうして、沢山失敗を重ねた先に手にした成功も、誰も彼もの趣味嗜好がsnsよって画一化されるような現代においてはすぐに忘れさられる。そのことをSamもSadieも実感しながら物語はクライマックスへと進み、すっかり存在しない第3の主人公になりきった私は「私たちの青い時代は終わっていくのだね…」と感傷的な気持ちになっていたのですが、この小説の本当の凄さはラストにありました。

何回も失敗してきのだから次は少し優雅に転倒してみないか?とでもいいたげなところ。

「明日、また明日、そして明日」と、自分たちの好きなことで、より良い世界を一緒に作らないか?と言われているような気持ちにさせてくれたところです。

何かを「好き」って尊い!!









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