未来は古くて新しい。過去の選択が私を作り続けるThe Paper Palace
親による虐待やレイプシーンを含む本書は、アメリカで初版が出版された当初からかなり賛否両論があった一冊だったのですが、その一方で多くのBook Club (読書会)の課題図書としてピックアップされていた一冊でもあり、気になって購入したまま積読になっていたのを最近読みました。
大自然の描写が大変美しく、夏の終わりから涼しくなる初秋頃に読むのにぴったりな本書。「あんな本読むなんて時間の無駄だー!」という声が出るかもしれませんが、私は感銘を受けました。
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3人の子供を育てるエル・ビショップと彼女のファミリーメンバーには何世代もの間、夏を避暑地で過ごす、という恒例行事がありました。
しかし、今年の夏はいつもと違いました。
昨夜、皆が室内で談笑している間に、エルは初恋の相手である幼馴染ジョナスと、暗い野外で関係を持ってしまいます。
翌朝、エルは優しい夫ピーターとの幸せな結婚を続けるべきか、ある不幸な事件さえ起きなければ本来結ばれていたはずの幼馴染ジョナスと人生をやり直すべきかの選択に迫られます。
エルが究極の選択をする24時間と、エル・ジョナス・ピーターたちの過去50年間を交差させながら描く本書。
何十年間も家族の中で受け継いできたもの、愛、嘘、秘密、そして言葉にできないほど悲惨な子供の頃の出来事がオープンになり、エルは人生を変える選択をしなければらならない断崖絶壁に立たされるのですが…
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本書を読んでいる最中にずーっと頭に浮かんでいたのは川上未映子さんの「すべて真夜中の恋人たち」という小説にでてくる
という一節。
なぜそんなことが頭に浮かんでいたのかというと、本書は「1章・エル」「2章・ジョナス」「3章・ピーター」「4章・今年の夏」という構成になっているのですが、主人公エルの人物像がいまいち掴み切れなかったから。
「ジョナスから見たエル」「ピーターから見たエル」像はしっかり描かれているのに、全体の1/3ページも使って描かれているはずの主人公エルの感情はいつも誰かの感情や選択を重ねたもので、本当のエルの感情はラスト1ページまで全く見えないような気がしたからです。
そして全登場人物に不思議なほど「父親像」が欠落していて、女性たちは様々な感情を抱きながらも、何世代にも渡りそれを無言で受け入れる選択をし続け、傷付いている…。
世代だけでなく、全く異なるバックグランドを持つ女性登場人物が、同じような選択しかしないのは、きっと「家族はこうあるべき」「女性はこう生きるべき」という古い考え方に縛られ、それが次の世代にまるで新しい”考え方”のように蘇ってくるからではないか…と思いました。
ペンギンブックスのブッククラブにこんな質問があります。
この質問ひとつだけでも、沢山の答えがありそうで、まさにブッククラブにピッタリの一冊だなぁ、と思いました。
エルは感情や言葉を人生のしかるべきタイミングで生成できなかった。本来ならその行為が次の選択へ繋がっていくはずなのに、その価値を周りの大人も誰1人理解できなかった。
人間は経験でできている生き物だと思うので、大人になったからといって親が何世代にも渡り引き継いできたルールをサッと捨て去ることは難しいようにも思うので、
ならば、自分で考えた選択や感情を積み重ねることでアイデンティティを生み出す。
むしろ、そうすることでしか自分の人生というものは見いだせないんだよ、と本書にいわれたような気がしました。
まさに「人生は選択の連続」byシェイクスピア
著者Miranda Cowley Hellerの祖父に関する記事がNYTにあります。Mirandaの祖父はエッセイストだったようで、本書に通じるような一節を書いていたそう。こんなところでも家族で受け継いでいるものがあるのだなぁと、こちらも大変興味深かったです。
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