本の棚 #260 『世にもあいまいなことばの秘密』
ことばは便利だからこそ丁寧に。
「この先生きのこるには」
意味わかりますか?
この先、生きのこるには
この先生、きのこるには
こんな間違いはしないよ!と思う人ほど
自分は正しい解釈ができるという過信に
陥る可能性がある。ほかにも、
「結構です」
YESなの?NOなの?
世の中にはあいまいさがあるがゆえに
誤解が広がっていくことがある。
しかしあいまいさという余白があるからこそ
助かっているときもあるとも思う。
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思っている以上にみんなは
自分の解釈が正しいと思い込む。
だから自分と違う意見があったら
どこか否定的な視点で粗探しする。
いやいや、そもそも自分の解釈は正しい?
この世の中で唯一の正解か?
常に客観的に自分の思考を眺めてみる。
名詞のあいまいさだ。
ご存知の通り、日本茶を飲むわけではない。
ほぼコーヒーだ。
だけど「お茶しよっか」と言う。
「コーヒーしよっか」とは言わない日本人。
この「お茶」には…
「喫茶店、カフェでちょっと話そうか」
というニュアンスだろう。あいまいだ。
「の」は自由だ。あまりにも自由。
誰が描いた絵?
誰が所有している絵?
どちらともとれるのが「の」
天空の城ラピュタの「の」は?
千と千尋の神隠し「の」は?
No−−−−−−−−!!!!!
アンジャッシュのコントがそれ。
「あっ、君か!」
と言っている側と言われている側で
ぜんぜん違う認識をしてしまい
会話のすれ違いで笑いを起こす。
「ほんまそれ」と関西で言うけど
会話の中のどこの、どれなんだよ。
なるはや、は本当にやめてほしい。
今やってほしい、のほうが正しいだろう。
最大限の配慮があることで両者がイラッとするやつ。
「これ、おいしそうだね。」についても
ちょっとちょうだい?なのか
ただの感想?なのか
ここまであいまいさのネガティブな面を
いくつかあげてきたが…
やはりあいまいさのおかげ、ということもある。
例えば一つの単語に一つの意味の世界では
単語が増えすぎて困るだろう。
もしくは単語がアホほど長くなる。
覚えられないし、時間の無駄だ
また掛詞、駄洒落という娯楽の世界は
このあいまいさのなかでこそ生まれる。
曖昧さは言葉について回る宿命と
著者が言うように、
人間が生み出した言語だからこそ
不完全で、変化し続けて
ずっと曖昧でいいんだと思う。
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