#エッセイ (ニュースより)『大きな流れに抗う為に』

 先日のネットニュースに出ていたのですが、大阪の大手不動産会社の社長が裁判で無罪になったという記事が出ていました。その内容は、社長の会社が取引をしているとある法人の土地を勝手に売却し私的に流用したという容疑だったようです。日本の刑事裁判はその99%が有罪になるので、その様な司法環境の中で地裁の判決が無罪だったという事は、私のような素人の感覚でも本当にこの被告の方は白だったのでしょう。被告として法廷に立った社長もよく頑張ったと思います。

 この数年、冤罪による裁判のやり直しという報道をいくつか見かけます。そんな中でも最近特に印象に残るのはやはり袴田事件だと思うのです。事件発生の1966年から57年、そして最高裁での死刑確定判決が出た1980からだと43年という途方もない永い年月を獄中で過ごさなねばならなかった袴田さんの事を思うと本当に胸が締め付けられる思いです。この事件については事件発生の経緯や捜査や裁判の過程などいくつかの一般的な資料を読んでみたのですが、どうも腑に落ちない部分がいくつもあるのです。詳しい内容は個々には書きませんが、裁判に出された証拠等を見ても、袴田さんが無実であるという事は、素人の私にでも明白に思えるのですが、司法の場では何故裁判で無理な説明を重ねてまで有罪にする方向に突き進んでしまったのでしょうか?どこかで立ち止まるという事が何故できなかったのかが不思議でなりません。おそらくですが、当時事件の捜査をして彼を逮捕した警察官の中にも、起訴をした検察官の中でも、そして裁判で判決を下した判事の中にも”彼は無罪なのでは?”と思っていた人はいたのではないでしょうか。もしかしたら気が付いていた人たちは、組織の中で疑問を口にできない、もしくは上司や仲間に反対の意見すら言えないような状況の中で放置してしまったのではないでしょうか。または敢えて関わらないようにしたのではないでしょうか。そんな気がしてならないのです。この発想は形を変えて実は私たちの国のあちらこちらにあるのではないでしょうか。

 1945年に私たちの国日本は戦争に負けました。その敗戦を迎えることになる第二次世界大戦に、日本はどうやって突入して行ったのでしょう。色々なものを読んでいると開戦前から日本の政府内でも、官僚の中にも、そして軍部の中や戦争協力をした企業の中にさえ日本が戦争に突入すると確実に負けるという事を分かっていた人たちがそれなりにいたようです。それでも私たちの国は戦争に突入していきました。当時の世論も開戦の後押ししたことでしょう。それとは別で当時の日本政府には海外資産凍結などの理不尽な状況もあったりして戦争をするだけの言い分は勿論あったようです。それはそれで分かるのですが、あの当時であっても冷静になれば、アメリカと日本の国力の差を考えたなら戦争という選択肢はい良い手ではないという事は明白だったと思うのです。戦争突入の要因として一番大きかったのは世論だったのかもしれません。要は国民の側からも望んだという事です。その世論をミスリードしたのはその当時のマスコミ報道でした。そして国家全体で無謀な事(日本が戦争に勝てるという事)を信じたのです。あの当時のそのような状況では戦争反対の声を上げるのも難しかったことでしょう。あの時代にの大きな世論の流れの中で、『ちょっと待て!』もしくは『冷静になれ!』という声を上げることは自分の身に危険が及ぶ可能性があった事でしょう。そうなると口を噤んで体制に身を任せて一緒に進むしかなかったのでしょう。このように国家の運命を懸ける事柄ですら時代のムードによっておかしな方向に行ってしまうのです。そうなると冤罪で苦しんだ方には申し訳ないですが、裁判でもそのようなことが起きるのも分からなくはないのです。
 私たち人間は個々の人たちに高い理性と知性があったとしても、組織全体となればその組織の利益もしくはメンツなどによって集団の意思決定がおかしな方に行ってしまうことがあるようです。そこにブレーキをかけるという事は中々難しいようです。問題に携わる人間が多くなればなるほど、その利害は複雑に絡み合い、話が大きくなればなるほど知性の高い人たちでも何となく話の大切な核心を雑に扱ってしまうというのはどういうことなのでしょうか。そのような行為の中で白と黒が入れ替わってしまうのかもしれません。もしかしたら社会正義というのは大勢の人の心の向く方向を正すという事なのかな?と思うのです。その出だしで大切な事は最初の情報を正しく周知する事なのかもしれません。それには権限を持ちながらも表には出てこない特定の誰かのエゴやメンツを慎重に排除するという事がスタートラインなのかもしれません。私はそう思いうのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?