#エッセイ『いつものようにやる!』

 それは先月の事です。私の勤めている会社から取引先へ建材の商品を納めたのですが、残念なことにその商品の多くに多数の不具合がありました。公共の施設に設置する建材のパネルだったのですが、その商品の多くが曲がっていたり傷がついていたりして、お施主さんに引き渡すより前に施工した建設会社から大きなクレームとして連絡が来ました。後日そのクレームの商品を写した写真を見たのですが、当然文句を言われても仕方がないというレベルの商品であったことは確かでした。私の経験上、このようなトラブルが起こった場合、対応すべき事として三つあげると、一つ目は自分たちに非があると考えられるなら、まずはお客さんの所に出向いてまず誠意をもって謝罪をする事です。そして二つ目として、代替商品の納入日程を迅速に詰めて先方に提示をし、同時に三つ目として今後の対策案を伝えるという事に尽きます。この三点セットの初動は早ければ早い方がいいのですが、時と場合によっては代替品の生産日程がすぐに出なかったり、今後の対応策が明確に出せないという場合があります。当事者としてその渦中に入ればそれはそれで分からなくは無いです。その理由の一つとして、自分が所属している組織が大きくなればなるほど自分一人では何も決められないという事が挙げられます。先方のお客さんにはその場しのぎの事を言う事だって出来るかもしれませんが、相手の心証が悪ければ思いがけない突っ込みが入り、ますます関係が悪くなるという事もあります。いじれにしてもトラブルに対して迅速な対応をして治めていくには会社組織の中でそれなりの権限が無いと難しい場合が多いです 今回のトラブルでは、事の発覚と同時に営業の管理職Aが出向いて謝罪と説明に行ったのですが、先方の社長は納得をしてくれませんでした。かなり込み入った技術的な事まで問いただされて、結果としてそれを改善するための方策を提示するという宿題を持って帰ってきたのです。今回の件に関しては、おそらくは先方の社長と私の会社から謝罪に行った社員Aの人間性が合わなかったという事が話を必要以上にこじれさせた原因だったのではないかと秘かに推察しています。そして次回に再度謝罪と説明に向かうために、Aが中心になって社内で色々な検討会を開くことになったのです。生産部隊の工場からはいくつかの生産に関する改善案が出され、事業所の方ではそれを受けてその内容を検討し、説明するためのストーリーを作り上げるという会議を何回も行っていました。実はこの仕事に私はタッチしていなかったので、最後の方の会議にリモートで参加して聞いていた程度だったのです。その会議で話の内容を聞いていて何となく、何が起こってどう対処しようとしているのかという事を掴む程度だったのですが、まとめようとしている内容に少し違和感を覚えたのです。それは、生産工程の手順や精度向上のノウハウなどを生産の専門的な知識を持たない事業所の人間が口出しをしても無理があると思ったからです。その率直な感想として、“事業所の一従業員として聞いていればそれなりに勉強にはなるのだが、そんな込み入った話を聞いていても同じ社内の人間でもそんなに分からないのに、お客さんにこんな事を伝えようとして何を考えてんのだろうか?”と思ったのです。工場の生産課にしても痛くもない腹を探られているような気分で、何とも言えないといった感じがしたのではないでしょうか。そんな事をまとめて先方に持って行っても仕方がない様な気がしていたのです。その時です。ある社員Bが
『でも、今まで工場で同じような商品を何百本も作ってきて大丈夫だったのにね・・・』
と、言ったのです。それを聞いて一つの考えが私の頭をよぎったのです。“今まで問題なく出来ていたのに今回は酷い物を作って出してしまったというのは・・・・おそらく工場の生産ラインの予定が逼迫していたのであろう・・・。要は雑な仕事をして、生産から出荷まで誰もまともなチェックをしなかったのであろう・・・”と思ったのです。私はそこで会議であまりにも黙りつづけている事にバツの悪さを感じたので、
『ある意味説得力のある話だとは思うんですが、話の内容が専門的で、また詳細にわたりすぎているから、先方さんもこんなの聞かされてもよく分かんないと思うんです。さっきのBさんの発言に答えが出ていると思うんです。あの発言を私なりに言い換えると、結局は忙しさのあまり雑に仕事をしたという事だと思うんです。もし工場に改善を求めるなら、“いつものようにやってください!”の一言で終わりだと思うんですよね・・』
と言ったのです。その一言で一瞬場が凍ったのをリモート越しからでも感じ取ることが出来ました。“ヤバっ・・言っちゃったぁ・・”と思ったのですが、それはもう後の祭りです。せっかく話をまとめつつあったところに横やりを入れられて営業の管理職Aは怒りで見る見るうちに顔色を変えていきます。
『じゃあ、客に何ていえばいいんだよ。ウチが雑でしたっていうのかよ!工場にも“お前ら雑だろ!”っていうのかよ!(怒)』
と画面越しに凄んできました。この管理職のAという男は同期入社ですので私にとってはあまり遠慮をする必要のない人物です。だからでしょうか、私はそのA物の言い方に少しカチンときたので
『そんなの言い方一つだし、問題のどこを話の焦点に定めるかってことも作戦の一つだぞ!お前・・・。お客さんには、製造方法には問題はありませんが、今回の商品の製造時にチェック体制が機能しなかった、と素直に言うしかないんじゃないか?そして工場に対しては工場長と生産課長に労務管理の在り方を見直してくれというしかないだろ。そして工場にそれを伝える時は個別に人の聞いていない所で伝えるんだな!生産方法を変える云々何ていうのは俺ら営業所が考える事じゃないし、それは生産技術部の仕事だ。先方の社長だってそんな事聞かされても“はぁ?”と言うか、場合によっては傷口広げるぞ!』
と思わず怒りを含んだような話し方で言ってしまいました。目を吊り上げたAは、私が言った“人の聞いていない所”という事が引っかかったらしくその理由を怒りながら聞いてきました。それに対して
『こんなことを伝えるのに誰か別の第三者が聞いているところで言ったりしたら、相手に恥を掻かせて終わりだぞ。その場では仕方がないから相手も黙って聞くしかないだろうけど、後に続かないぞ・・。新たな敵を作って終わりっていう事になりかねんと思うがね・・』
と、言いながらも私は“オレのAに対する今の発言だってそうだなぁ”と思っていました(人前で言うべきだは無かったという事です)。彼の周りでは多くの人が聞いています。その発言をしながらも少し言い過ぎたと後で反省はしました。本当は“お前は先方との関係が悪いみたいだから、もうお前が謝罪に行かない方がいい!”とも言いたかったのですが、さすがにそれは踏みとどまりました。
 会議はうやむやに終わり、その後私にはどうなったかの報告も無かったのですが、誰も騒いでいない所を見ると、何だか一応は無事に片付いたのでしょう。企業の中身何てこんなもんです。
 このやり取りの後、私の中で一つのフレーズが私の中に残りました。それは“いつものようにやる”というこの一言です。会社での仕事は基本的に同じ事の繰り返しです。その同じことが形を変えて色々な問題をも含んで次から次へと舞い込んできます。でもその仕事の中身の基本線は大体同じです。経験を重ねていくとそのノウハウは自分の中に蓄積されていき事上である程度先の事までが見えてくるようになります。それは余裕が出来るようになったという事なのかもしれませんが、裏を返すとマンネリ化してくるという事にもなります。仕事ではここに危険が潜んでいます。慣れた仕事ではその手順を勝手に変えてしまったり、または無理なスキップをして幾つかの工程をすっ飛ばしてしまったりしがちです。“大丈夫!だってオレも、もうベテランだし・・・”もしくは“こんな程度の事だろ・・チョロいし・・”と多くの人が心の中でそう思いながら処理をかけていたりするのではないでしょうか?しかも仕事が極端に増えて、忙しくなればなるほどそういう心理状態で処理をかけているのではないでしょうか。こんな心理状態を“慢心する”というのでしょう。そんな状態の仕事ぶりは傍から見れば“やっつけ仕事”と映っている場合が多いですね。それでも多くの事は普通にこなせたりするのでしょうが、そんな事を続けているとある日突然何の前触れもなく大きな問題が起きたりします。
 それを象徴するような事件が9月末に起きた青森県にある吉田屋の食中毒事弁当件だと思うのです。この会社は百年を超える歴史があり、東北の震災後には無償で多くのお弁当を提供して表彰までされた企業です。そんなに優れた実績のある企業が駅で売った弁当で多くの食中毒を出したのです。ネット等でその原因を読んでみると、やっぱりやるべき手順を踏んでいなかったという事が書かれていました。この吉田屋は生産量が増えた時に、県外の業者から米飯を仕入れていたそうです。その時にどんなところで作っているかという監査と細菌検査、保存検査、消費期限という基本的な事をしていなかったそうです。食品の専門家は、これらの基本的な事をしていれば事故は起きなかっただろうと書いています。これは私の予想ですが、この吉田屋も全ての工程でこのような事をすっ飛ばしていた訳では無かったのだと思うのです。忙しさのあまりについついというのが本当のところではないでしょうか。彼らにしてみれば年々にもわたって毎日やっている仕事です。これまでにも何百も何千ものお弁当を安全に販売して消費者に食べてもらった実績があった為に“大丈夫であろう”という慢心が社内全体に蔓延したのでしょう。気のゆるみと慣れが引き起こしたこの事件はこの後、行政によって営業停止処分にまでなってしまい、この会社は今大きなピンチを迎えています。今後は被害にあった購入者に補償をして、行政には改善策を示し、新たに出直しです。この会社の今置かれている状況はジャニーズ事務所に似てなくも無いですが、本質的に違うのは他者(お客さん)に対する意図的な悪さは無かったというとこでしょうか。この事件の教訓は“仕事とはいかなる場合でもいつでも手順を正しく踏んで、やるべきことをきちんとやる”という事に尽きると思うのです。電鉄会社の運転手や駅員が全ての確認を指差ししている姿は、まさにこのような事を避ける為なんですね!
 少し話が逸れるかもしれませんが、やるべきことをきちんと身に付けるという話で思い出すのは、戦前の陸軍中将だった石原莞爾のエピソードです。彼が陸軍大学に在籍していた時、試験の一つに号令で指揮をするというものがあったそうです。その内容は砲車を倉庫から出して行軍し、砲列をなして射撃をした後、車庫に戻して仕舞うという一連の号令指揮だったそうです。その号令は中々複雑で、多くの陸大生は明けても暮れても号令の練習をしていたとの事です。もちろん石原莞爾も練習はした事でしょう。ところが、いざ試験の日に彼は指揮台に立つと、指揮刀を抜いて一言
『いつも通りにやれ!』
と命令して、後は観ていただけだったそうです。この話を知った時、豪放磊落で合理的な発想を持った人のエピソードとして面白い人もいるもんだ!と思った記憶があります。それでもこの話のポイントは、“やるべきことをちゃんとやる!”という事です。スポーツでもそうです。練習と同じ事が出来れば試合に勝てるという人もいます。いつ何時でも同じことをするというのはやはり難しいのでしょうか。
 人間とは不思議な生き物です。巧みな言語を操り、過去の出来事から多くを学ぶ生き物です。学問とはまさにそういうものですよね。そして学問に限らず、人はテレビや新聞などを通して事件や戦争、又は企業の不祥事等を何回も見てきているのに、大切な時にはこのような他者の経験から得られる教訓が生かされないという事が多い様な気がします。同じような過ちを色々な人が繰り返します。その何割かは企業が引き起こす問題で、いつものように仕事の処理をかけていなかった、という事が原因になっていると思うのです。私個人の意見ですが、人は初めてやる事では、実はあまり失敗はしないと思っています。実は慣れ親しんだ事で失敗をするものだと思っています。だからこそ、日常の生活の中で慣れているつもりの事こそ気を付けないといけないのかなと思います。時には自分自身を振り返って車の運転をする前にも気を付けたいと思っています。

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