#エッセイ 『伝える力・考える力』

先日の休みの日にぶらりと立ち寄った本屋さんで一冊の本を購入しました。それは『限りある時間の使い方』というタイトルでした。これがまたとても興味深い内容で、大いに共感をさせられる逸品でした。その内容が気になる方はお勧めしますので是非読んでみてください。残念ながら今回はその内容についてではありません。今回は本を読んだ時にいつも思う事を通じて考えるという事と伝えるという事について書いてみたいと思います。私は本を通勤途中の電車の中でちょっとずつ読み進めることが多く、この本もそのように読み進めていました。そしていつも電車が目的地に到着する頃に本を鞄にしまい、駅を出てからさっきまで読んでいたその本の内容を思い出しつつ、そのことについて考え事をしながら歩く事を日常のちょっとした楽しみにしています。
 そこで考え事をしている時に時折ふと思う事があるのです。読む本の種類にもよりますが、基本的には本の中に書かれている事は自分が知りたいと思う事の解説が書かれていたりする事が多いので、それはとても勉強になるのは確かです。政治や経済、または科学や哲学についての内容は、『なるほど・・・』と自分の頭で理解ができたり、または自分の曖昧でバラバラだった知識が一本の糸の様に繋がってくると大いに満足を感じます。このように新しい知識を知ると少しの間だけでも内心ちょっとだけ自分が僅かに偉くなったような気分に浸れるのですね(笑)。ところが人間の思想に関わる様な話について読むと、本はまたちょっと違った事を感じさせてくれます。政治経済などの解説を中心にした様な本の中でも、一般的な人間の物の考え方や、行動や習慣のあり方などに対する著者の考えなどについて書かれている箇所を読み進めていくと、中には『そうだよね、そうだよね!確かにオレも心のどこかでそう思っていた!』とか、または『あー、実はオレもそれは変だと思っていたんだよね・・・・』というように、共感する内容の一節に対して、かつてどこかで自分も考えてきたと思ってしまう事もあったりするのですね。これはおそらく本をよく読む人の中には同じような経験があったりするのではないでしょうか。言うならば“我が意を得たり”という感じですね。私はそんな時にはふと、『俺の発想だってなかなかどうしてイケてるじゃん!』と思いがちなのですが、少し時間が経ってから改めてよくよく考えるとそんな事は全く無いのですね!これはもう恥ずかしい限りで、後でちょっとした自己嫌悪に陥ることもあります。書き手が伝えようとしている本の内容を一冊そのまま、ほぼ『その通りで、オレもそう思っていた!』というならばそうとも言えるかもしれませんが、私の場合は何かの事象を説明する為に書かれている一節(書き手の考え)だけに対して『俺もそう思う・・』という事を感じている事が多いのですね。本当は手にしているその本の中から大いに色々の事を吸収しながら読み進めているくせに図々しい話ですよね。
  人は誰しも長い事生きていれば、その間に色々な事を学校で学んだ事や、また親やよその大人もしくは、日常で出会う多くの人との触れ合いの中から自然と物の考え方を覚えたりと、自分で経験しながら知らずに多くの事を身に付けてきているはずです。そして私自身も、そのような方法で断片的に色々な物の考え方を身に付けてきたのでしょう。しかしそんな自分に対して残念に思うのは、私自身では何か一つの事について本を書く人の様に、自分自身の考えをまとめ上げて、誰かに伝えるために何かを書くというようなことは無かったという事です。何も今から立派な本を書こうと思っている訳ではないのですが、でもちょっとそこは考えてしまします。自分が今読んでいる本のある一節に触れて感動や共感したりするのは、それはそれでも大いに良いことだとは思うのですが、やっぱり全体を通した一連の流れの中での共感や共鳴が出来た方がいいのではないかな?もしくは楽しいのではないか?と思うのです。その考えは啓蒙書だけでなく物語でもそう思うのです。むしろ物語なら尚の事そう思うのですね。面白い小説は何に惹かれるかといえば、やはり作家が自分の思想を登場人物にセリフとして言わせたり、ある行動を起こしたときの心理的な描写をしている部分を味わう事だと思うのですね。少し話が逸れてしまいましたが、もし全く知らない(自分が意識をしたり考えたりしたことの無い)事だらけの話を読んだりしたならきっと頭には何も入ってこないのでしょうね。そうなるとチンプンカンプンで『こりゃ何を言ってんじゃ?』という事にもなるのでしょう。(中学生くらいの子供が哲学書の入門編を読んでもピンとこないのは実はそういったことが原因ではないかと密かに思っています。 
     人はまず他人と話すこという事がまずは基本なのでしょうが、読んだり書いたりすることも基本は話す事と一緒だと思っています。でも書くという事は話す事に比べてちょっと難しい面があり、ちょっと気を抜くと“風が吹けば桶屋が儲かる”的な、話の初めと終わりに因果関係がなくなる傾向があります(実は私自身はそれに対して軽く悩んでいるのですが・・)。学生時代に聞いた話で、『人の会話を録音して文字に起こすと多くの場合その会話は支離滅裂なもんだよ』と教えてくれた先生も過去にはいました。それを聞いたときはなるほどなるほどとチョット深く納得してしまった記憶があります。それと同時に、それは人との会話だけでなく、自分自身を振り返ってみると、頭の中だけで何かについて自分なりに深く考えている時にも同じ様な事なっているのではないかと思った記憶があります。
    私がこうやってパソコンに向き合って何かを書くというのは、自分自身の中の深いところに向き合い、自分が自分になるという感覚を掴みたいという思いと、これを読んでくれる他の人と心理的に繋がり共鳴したいという思いがあるからです。せっかく何かを書くならやっぱり人に分かってもらいたいですし、そしてまた反対意見があっても全く構わないのです。そんな反対意見がもし聞けるのなら、それはそれで『おお、なるほど・・』と自分の肥やしにしたいですし、また時には読んでくれた人の中に『俺も(私も)そう思ってたんだよね!』なんていう意見を持ってくれている人を知ることが出来れば、何ていうか、それこそ言葉にはならない様なうれしさを感じられるのではないかと思っています。そのためには分かり易く書くという事は必要でしょう。そうなると自分の考えがきっちりしていないといけないかなと思っています。自分の中で伝えたいことがはっきりと掴めていないと書く文章はそれこそ“風が吹けば・・”になってしまいがちで、また難解な表現になってしまうと思うのです。難解といえば聞こえはいいですが、その場合は意味不明な文章になっていることでしょう。特に私の場合は・・・(笑)。これからは各文章にテーマを決めて、日常の生活の中で感じたり考えたりした自分の思い伝えていきたいと思いますので、いい事でも反対意見でもいいですので、気が向いた時に伝えてくださったらうれしいです。
    このつたない文章を最後まで読んでくださった方がいらしたらとても光栄です。ありがとうございました。







私がこうや

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