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生きていると、過去の絶望が幸運に変わっていたりする。1(過去編)

こんばんは。

夜灯(やと)です。


この題名はずっと前に付けたまま、

記事にするタイミングは今じゃないと思ってそのままになっていたのですが、

ここ最近また何度か思ったので、文字にしたいと思います。


と、その前に。

余談ですが、ここのところの私はと言うと、

院に進学するのもありなのでは、と思っていて。

前から絶対学部卒で就職すると決めていて、

だから今年受からなきゃ駄目って決め付けていたのですが、

視野が狭かったのかなあって思い始めています。

さっき親友と電話していたら、理系でほとんどが院進する中、

必死に就活してる私が変わってるんだよ、

なんて言ってくるから、やっぱり面白いし、

当たり前のように救われることを言うから、

敵わないなぁーと思いました。


お待たせしました。

それでは本編です。

タイトルに関する体験をつらつらと書いていきます。


クラス替えと留学

昔はクラス替えすら怖くて、新しいクラスで誰とも仲良くなれなかったらどうしようと怯えていたレベルなのですが、

親友が留学してクラス替えなんてレベルではなく遠くに行っちゃって、

とにかく一緒に帰る人がほしくて声を掛けた子と今はすごく仲良くなれて。

留学があったからこそ、親友ともっと近くなれたとも思うし。

むしろ良かったんじゃないかな、と。


大学受験

第一志望の大学にも落ちたけど、今の大学だからこそ出会えた人がいて。

もちろん第一志望の大学でも出会いはあったのだろうけど、

今の出会いを無かったことにはしたくないと心から思うのです。


恋愛

恋愛も、この人しかいないんじゃないかって思ったこともあったけど、

全然そんなことなかった。

あの時さよならして、今の大切な人に出会えて良かった。

この理論だと今の大切な人よりいい人に出会えることにならない?って感じですが、

この出会いを最後にしたいと思っています。


人生最初の希死念慮

少し話が飛びますが、

私が本気で死にたいって最初に思ったのは

多分小学校4年生の時。

反抗期真っ只中で、親とよくぶつかっていました。

私の身長の伸びも肌荒れも何故か小学校後半がピークだったから、反抗期も早かったのかも。

とにかく些細なことでお母さんと冗談から口喧嘩に発展しては、

父親の爆弾が投下される。

私とお母さんだけなら直ぐに水に流れるのに、

父親は、なんだその話し方は!態度は!

お前はうちの人間じゃない!

とまあそんな感じでした。

どつかれたり、蹴られたり、家を引きずり出されたり、

つい夜にお風呂に入るのが面倒で朝に入ると、お湯を止められ、水しか出ないようにされたり。

父親は今、自分はどつかれて育ったから自分がそんなことするはずがないと言っています。

もうどうでもいーよ、分かり合えないことだけ分かってる。

こんな話聞いたら、付き合いづらそうで嫌だよね。

って、大切な人に対して思ってしまいます。

でも、この過去が私を少しでも優しくなれるよう育ててくれた気がするから、

過去を変えてしまいたいとも思えないのです。


長くなってしまいました。

後編は、就活と結局のところ何が言いたいかとこの記事に因んだ1曲についてです。

一先ずここまで読んでいただき、ありがとうございます。

それでは、後編でお会いしましょう。

夜灯(やと)でした。

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