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慌てん坊でおっちょこちょいな自分のためにしていること。

 気持ちが前へ前へ。次々と気になるところが目に入る。わたしはそんなタイプの人間だ。気になる!知りたい!そこのスイッチが入ると心の底からワクワクする。今思えば、小さな頃のわたしはそんな子だった。


 それがいつしか「ちゃんとしなくちゃ」という漬物石みたいな重りがワクワクを封じこめた。知りたい欲求のスイッチがオフになる時間が多くなっていった。


 子育てで悩んだ三年前。もうこのままのやり方ではしんどい…そう感じた。そこから 漬物石をどかす作業が始まった。今までの自分なら「ありえない」と思っていたルールを一つひとつほどいていった。

子育て中だけど、学びに行くこと。
それは、わたしにとってとても勇気のいるルール破りだった。


 漬物石をとる作業をすすめていくと、知らないことを知ることやチャレンジして変化することを観察するのが好きだったことに気づき始めた。

あっ!
わたし、こういうの好きだったな。

 久しぶりのその感覚に自分が一番痺れた瞬間だった。そして、封印していたスイッチが自然と入り、ただなんとなく日常をすごしていたのが嘘みたいに変化していった。


 興味のあることを学んでいくと、本来の自分の姿がひょっこり顔を出した。慌てん坊でおっちょこちょいという一面だ。

 
 わたしはメモをするのが好きだった。新しいことを学ぶときには、ノートやペンが必需品だった。書くことが好き。そうわたしは捉えていたけれど、最近気づいたことがあった。

 ただ、好きで書いているわけではないということだ。そこに気づいた自分がいた。何のために書いているのか?そこがハッキリとわかって、思わずニヤけてしまった。

 わたしには何度もいうが慌てん坊でおっちょこちょいな一面がある。これは変えられないところだ。「自分らしさ」として受け入れられるようになったところでもある。そんな自分のために、夢中でペンを走らせていたのだった。

・忘れないようにするため
・繰り返しできるようにするため

そんな工夫があったのだと気づいた。


 慌てん坊だから忘れやすい。スピードをもとめて動きすぎるから大事なポイントをキャッチしそびれる。またやろうと思ったときにすぐに行動にうつせないのがもどかしい。良いよと聞いたことは体感があるまで繰り返し続けたい。

 
 そんなことがあるから、わたしは書いていたのだと気づいた。すべては「自分のため」にしていたことだった。


 一年前から苦手だったお料理をオンラインで習いはじめた。先生からもらうレシピのなかに「自分のため」のメモがいくつも書いてある。例えば、ボウルを使うのであれば、大きさや色も書いておく。材料はどこのお店で購入できるのかも書いておく。代替えできる食材も先生の口からでた瞬間にメモをする。慌てそうなポイントのところには「ここ大事」と書いておく。洗い物が多めだったお料理にはレシピの上に「洗い物多め」と書いておく。 


 苦手なことやはじめてチャレンジするものほど、次に行動する自分が少しでも気負わずにできるように工夫が大切だとわたしは感じている。少しでもハードルを下げることが「自分のため」である。


 慌てん坊でおっちょこちょいな自分のために、メモを残す。これはわたしにとっての「セルフケア」の一つだ。そこに気づけたら、右手中指にあるペンだこがとっても愛おしく思えた。自分を知るって、本当におもしろい。だから、やめられい。

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