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友人はスラムに住んでます

“サッカーを通じて世界の人々や文化と交流する”

このテーマのもと世界一周の旅を始めて5ヶ月。


サッカーは予想通り、いや予想していた以上に世界中の人々と自分を結びつけてくれています。

そうした出会いの数々が今回の旅に多くの彩りを与えてくれ、素敵な経験をさせてもらっています。


アフリカ、ケニアでもサッカーを通した素敵な出会いがありました。

この旅の中で一番心を動かされた出来事。
今回はそのことについて綴らせてもらおうと思います。


予め断っておくと、”スラムでの悲惨な暮らしの現状”だとかその類のものを伝えたくて書いた文章ではありません。


是非ご覧ください。



僕のことを知らなくて、なんでこんな旅をしてるのか気になる人は↓を見てみてください。

東大入学してすぐ休学しました|
https://note.mu/yasususu/n/n9ccf5e661b10


アフリカの大都市

ケニア、ナイロビについて最初の印象は
“めっちゃ整って発展してるな”でした。

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前評判には聞いていたものの、着いて早々想像を超える高層ビル群にお出迎えされ、

アフリカ=大草原

のイメージは一瞬にして崩れ去りました。

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充実したサッカー環境

ケニアでは1ヶ月弱Africa Dream Soccer Tourというサッカーボランティアのお手伝いをさせてもらっています。

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対象とするのはスラムにある学校に通う子供たち。普段サッカーの指導を受ける機会に恵まれない子たちにその機会を提供しようという趣旨のものです。


会場は近くにあるサッカーアカデミーのグラウンドを貸してもらっています。

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人工芝、天然芝、土のグラウンド一面ずつとジムを備えた練習環境の充実ぶりに驚かされました。


外からグラウンドを眺めていると、アジア人の来客を珍しく思ったのか、このチームのコーチが話しかけてくれました。

話を聞いてみると以下のことがわかりました。
・ケニア有数の実力を誇るチームであること
・時々(スポンサーをしてもらい)ヨーロッパ 遠征をしていること

また、選手たちの身なりから想像するに比較的裕福な家庭から来ている子が多く思えました。


サッカーの練習の機会に恵まれないスラムの子たちがいる一方で、とても恵まれた環境でサッカーをしている比較的恵まれている子供たちもいました。


練習環境の充実ぶりやヨーロッパ遠征をマネジメントしているという事実から、このチームは運営が上手く行っており、経営陣、コーチたちはそれなりに稼いでることを想像しました。



ここまでのまとめ
・ナイロビめっちゃ発展してる
・恵まれた環境のサッカーアカデミー
・チームとしてそれなりに儲けてる(と想像)


コーチとの出会い

今回焦点を当てるのはボランティアではなく、比較的裕福に思えたサッカーアカデミーの方になります。


そのチームの練習に何度か顔を出していると、1人のケニア人コーチと仲良くなりました。

彼とはサッカーの話からお互いの国のことまで色々と話させてもらっていました。


その中で、
ケニア料理を食べたい
という話を切り出したら、

「じゃあウチで食べよう」

と、彼が家に誘ってくれました。


緊張のお宅訪問

お宅訪問約束の日。

ボダボダ(バイク)に乗り、彼に指定された待ち合わせ場所に到着して合流。それから彼の後に続いて家まで案内してもらいました。


「ここだよ」

と、家の前に着きその外観を見て絶句。
文字通り言葉を失いました。

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彼の家はスラムにあったのです。

彼こそがタイトルの”友人”だったのです。


先述したように、
“比較的裕福なチームの裕福なコーチ”
と決めつけていただけあって、彼がスラムの住人だったことにとてもショックを受けました。

小さな家の一台ずつのベッドとソファがある部屋に家族4人で暮らしていました。


そんな彼ですがとても快く歓迎してくれ、ケニアの代表的な料理であるウガリとティラピアを晩ご飯に振る舞ってくれました。

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忘れられないほど美味しい晩ご飯でした。


驚愕のキベラスラム

後日、改めて彼にスラムを案内してもらえました。

実はこのスラム、アフリカ最大と言われているキベラスラムというスラムで100万人以上の人がここで暮らしているそうです。

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日本の生活とはかけ離れた、
想像を絶する光景が広がっていました。

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1日を$2以下で暮らす人が大半らしいです。


偉大な友人

さらに話を聞いていると、彼が学校を持っていることがわかりました。

どうやって学校を建てたのか尋ねると、

友人のもとを回って学校設立のための寄付を募った

と答えがありました。



オフィス(おそらく職員室のようなところ)に連れて行ってもらうと、そこには学校設立に協力した12人の人の名前が記されてありました。

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今は部屋に電球がないから次はそれを取り付けたい、と話していました。


そして、
12月には大きなイベントを開く
ということを教えてくれました。

パーティーのようなものを想像していましたが、聞いてみると学校の子供たちにリュックを配布するとのことでした。

そのための寄付もいま友人たちから集めているそうです。


彼から、一つだけ頼み事がありました。


寄付はいいから、ここの様子を知らないであろう日本の友達に伝えてほしい


伝えることも助けになるのか

と、ハッとしました。


おわりに

これら一連の経験を受けて、noteを始めてこの出来事を発信することにしました。


スラムという悲惨な環境で生活している人たちを見て同情したわけではなく、ただ目の前にいる人物の大きさに惹かれたのです。

目の前で意思を持って活動している彼を応援したく思ったのです。


白状すると国際協力や貧困者への支援、といったことには全く興味がありませんでした。

主語が大きくなり抽象度が高くなればなるほど当事者意識も持ちにくくなり自分の行動程度で変えられることは何もないと考えていました。


インドでスラムツアーに参加させてもらったこともありましたが、生活環境の悪さに驚きはしたものの、所詮はショーケースの外から眺めた世界で他人事でした。


けれど、今回のスラムでの経験はインドのスラムツアーでは得られなかった心の動きがいくつもありました。

それは友人の存在を挟んだことで当事者意識が芽生えたからでした。友人の家に行くために意図せず踏み込んだスラムの地はとても多くの刺激を与えてくれました。


テレビ、スマホなどを通せば日本にいてもスラムの様子は見聞きすることができます。

しかし、そうした事実を情報として受け取って、心を動かされる人はそれほど多くないと思います。

少なくとも自分の場合は他人事でした。自分の場合はインドで目の前にしてもだめでした。


けれど、彼と僕の間の関係性、そこにあった様々なストーリーが僕に当事者意識を与えてくれ、考えるきっかけとなったのです。


・スラムでの生活という遠い世界の存在だったものが、友人の話と実際の生活環境を覗かせてもらって急に近いものに感じられた

・その当事者が友人であったうえに、かなり整ったサッカークラブのコーチだったから余計に驚いた

・先進国→途上国への支援の構図はよく見られるが、貧困地域の中で自分自身の生活もそれほど裕福じゃない人が問題意識を持って改善しようと活動してることを知った


自分が裕福ではなくとも、人のために動いてお金を使える彼の利他的な一面からは人として学ぶべきことが沢山ありました。


一方自分はというと、大学からお金を補助してもらって旅をしています。


おそらく自分がもらっている金額は、友人が身寄りを頼って集めた金額を遥かに上回っていると思います。

彼の話を聞きながら、いい身分の自分の状況を考えて複雑な気持ちになりました。

寄付をすることもよっぽど考えました。
というか、今もなお考えています。


けれど、自分にお金を補助してくれている大学はそれを寄付に横流しすることを望んでいるわけではないと思います。


今回補助してもらったおかげでこうしてアフリカまできて特別な経験をすることができています。


貴重な経験をする機会を買えました。
僕が貴重な経験をすることを期待して投資してくれているようなものです。


そうであるならば、この特別な経験を自分一人のものにせず多くの人に届けるべきなのかもしれない。


彼から頼まれたのに加えて、
こう考えたために発信するに至りました。


心を強く動かされた背景、彼とのストーリーをなるべく保存したまま届けようとしたため長々とした文章となってしまいました。


読んでくれた人にどれだけの鮮度を保った状態でこの出来事を届けられたかはわかりませんが、どこかで誰かの心を動かし、それが巡り巡って彼のように励む人を助けることに繋がれば嬉しい限りです。





とても素敵な4人家族でした。

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↓ケニアを発つ(11/28予定)までにいただければ全額彼にお渡しします。

最後までご覧いただきありがとうございました!