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ルワンダ人家族と暮らして

1ヶ月半のホームステイ生活

1ヶ月半生活をしたルワンダを発ち、タンザニアにきました。なんだかんだで今回の旅の中で一番長い滞在になりました。
それにしても東アフリカ4カ国を回りましたが、隣り合う国であってもそれぞれそのカラーが大きく違うことに驚かされます。

そしてその1ヶ月半の間、4人家族のルワンダ人家庭にお邪魔させてもらっていました。そのなかで、普段はあまり見ることのできないであろう現地の人たちの生活ぶりをみさせてもらったので、それについて感じたことを軽く綴らせてもらおうと思います。

140字じゃ収まりそうになかったのでここで書かせてもらうことにしたものなのでお気軽に読んでもらえると嬉しいです。


ホームステイ先について

まず、住んでた家はこんな感じです。

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第一印象はどうでしょうか??


住んだ身としては特に不自由はなく快適な生活、といった感覚でした(水シャワーと、雨の時のトタン屋根の爆音は少しキツかったけど、、)

中は共用スペース(リビング兼ダイニング?)が1つあり、キッチンは屋外の小屋、寝室は3室あり、その内の1部屋を使わせてもらっていました。


家族構成はと言うと、両親は共働きでそれなりに良い仕事に就いており、子どもは2人とも男の子で4歳の長男と生後4ヶ月の次男でした。


日本との違い

ここまでのところ、何の変哲もない安定した一家族に見えると思います。

が、

実際に住んでみて日本のそれとは違うところも散見されたのでそれについて書こうと思います。


①週休0日のホストマザー

一つ目は、お母さんについて。
いつも優しく、本当の家族の一員かのように接してくれたお母さんでしたが、仕事に関しては大忙しで来る日も来る日も出勤していました。

休日はないのか、尋ねてみると

「年に15日は休める」

と驚くべき答えが帰ってきました。
週休0日、週7日勤務。クリスチャンが大半のルワンダでありながら、クリスマスも、年末年始も関係なく毎日仕事に出ていました。
自分の滞在中は本当に1日も休んでいませんでした。

労働基準法やら何やらは一体どうなっているのかな、、?

ちなみにお父さんはというと、こちらは週休1日が確保されていましたが、夜遅い時間の仕事が多く、これまた大変そうでした。

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②家族と離れて暮らす長男
続いては長男

元気潑剌なヤンチャっ子という印象の彼でしたが、普段は家族と別の場所に暮らしていました。
というのも、彼の祖母が身体を不自由にしているそうで彼はその助けをするべく祖母の元で暮らしていたそうです。
というのがお母さんからの説明でした。

彼は年末年始の間だけ家に戻ってきていたので、その時にたくさん遊んでくれました。

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③共働きの中、赤ん坊を世話してたのは、、?

最後となる三つ目は、育児について。
先述したように両親は共働きで大忙しなので、1人棲み込みのお手伝いさんを雇って次男の面倒を見てもらっていました。
育児の他にも炊事、洗濯をしてくれていました。

と、ここまでは特におかしなところのない話ですが、驚いたのはその給料で、月に20000Rfw(2500円程)で雇っているそうです。
これについてはお父さんが教えてくれました。

反射的に「安っっ」と感じましたが、仕事を得ることも簡単ではないキガリ (ルワンダの首都)で、しっかりとした家での寝床と食事が確保できるだけ良い方なのかなーと、、

彼女は英語が話せなかったので、毎日身振り手振りと少しばかりの現地語でコミュニケーションをとっていました。おかげさまで少しキニヤルワンダ語が上達しました。

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日本から持ってきていた、最早原型を留めていないブラズーカ(サッカーボール)は弟くんに預けていくことにしました。将来が楽しみです👍


おわりに

ルワンダ家庭の生活いかがでしたか?
これほどの長期間、それも社会や文化を異にする家庭の生活に入り込んだのは始めてでした。
暮らしている時にはそれほど違和感は感じませんでしたが、こうして振り返ってみると日本の感覚とは異なる点が多々。

そう簡単に経験できることでもないし、自分としても忘れないようにと、家族に許可をもらった上でこうして書き出してみました。


忙しい日本社会と対比された描かれ方をされることが多いように思えるアフリカ社会ですが、この1ヶ月半の共同生活からは新興国の都市労働者の忙しさが垣間見られました。

お父さんは、「自分でビジネスを始めたくて、今は忙しいけど、それまでの準備期間として耐える時だ」と将来のキャリアとSAMSUNGの家電で埋め尽くされた夢の家庭のビジョンを語ってくれました。


本当に色々な人たちによる色々なストーリーがあるな、と感じさせられる今回の旅です。首都か田舎か国内でも場所が違えば生活も文化も異なるし、同じ都市の中でも多忙な労働者がいたり、大金持ちがいたり、仕事が得られず困ってる人もいて。
アフリカは〜、などと言うのはもってのほか、ルワンダは〜、などとも、大きな主語で一口に語ることは出来ないな、といったところです。


ちなみに両親とも、かのルワンダ大虐殺を経験して育ってきており、それだけで想像のつかない世界です。


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ホストマザーから、出発後にラブメッセージをもらいました。別れ際には、いつか日本に行きたいとも言ってくれました。
実現するかどうかは別として、そう言ってくれたことが堪らなく嬉しかったです。

アフリカにきてから感じるのは日本は“極東”の小国なんだな〜、ということです。ほぼ毎日のように現地の人が「ニーハオ!」やら「チャイナ!」と呼びかけてきます。

これに関しては、仕方ないか、、

と、半ば諦めているのですが、そんな中でも自分の存在を通して日本のことを少しでも知ってくれたり、更には好きになってくれることが自分にとって大きな喜びであることに気付き始めました。




終盤ルワンダ食に飽きていたのはごめんなさい、、またルワンダに戻ってきたいと思わせてもらっている理由の一つのお家です!

Murakoze Cyane!!

最後までご覧いただきありがとうございました!