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亡き教え子の子の卒業式のこと。

先日、10歳下の教え子3人と飲んできた。
ボクが教師になりたての25歳のときに彼らは15歳。つまり高校1年生だった人たちだ。
場所はウラタワー。中華居酒屋と、ビルの4階にある立ち呑み屋と、おおばこバーの3軒をハシゴして。

京都の山奥にある、田舎の小さな学校で、酒屋や和菓子屋、郵便局、役場のどこに行っても保護者の方々が仕事をされているし、休日のレストランやスーパーでは生徒の方々まで仕事をされている。そういう地域柄もあって生徒・保護者と教師の距離は近く、とても居心地のよい学校だったことを覚えている。

だから、彼らとも師弟の関係以上に親しく接していて、Mとはトリオ漫才で学校祭に出場し、Nのバンドではボクがドラムを叩き、Sからは部活動でのつながりからよく人生相談を受けていた。

生徒と教師とはいえ、今では50歳と60歳なのだから、たとえば今の高校生から見ればほとんど同じなのかもしれない。だいたい、あと10年もすればみんなジジイだし、そうなればどっちが先にこの世を去ってもおかしくない。

いや、もうすでにこの世を去っていたのだった。彼らと仲のよかった生徒で、もし生きていればきっとその日もボクらと一緒に飲んでいたであろう人。「卒業してから夏までに彼女ができなければ、みんなの前であそこの毛を焼く」と断言し、その4ヶ月後、日本海の砂浜に張ったテントの中で、約束どおりプライドもろとも焼き払ってしまった人。

彼が1年生のときは「現代社会」を教えて、2年生のときは「地理」を教えた。彼は男子バスケットボール部の副キャプテンで、ボクは女子の顧問で、だから校内でもよく言葉を交わしていたし、彼が高校を卒業して京都に本社のある有名な企業に就職したあとも、よく会っていた。

しかし、卒業後、新しい関係を築き、仕事や家庭を持ち、様々な経験を積んでいく中で、たいていの教え子はだんだん疎遠になっていく。毎年、多くの生徒を見送っているので、そんなことにはもう慣れている。意見の食いちがいでぶつかるとか、イヤな思いをするとか、そんなことは全然なく、ただ時とともにあたりまえのように彼とも自然に疎遠になっていった。

その後、彼の名前を久しぶりに目にしたのは、8年前のことだ。

その頃、ボクはある高校の副校長をしていた。
1年生の女子生徒の父親が亡くなったという知らせを受け、葬儀への出席者や供花、弔電などの段取りを事務的に行っていたところ、忘れるはずもない名前、姓は平凡だが、名はこの時代にしてはかなり珍しい彼の名前を発見したのだった。

もし彼が愛娘の入学式に出席していたならば、司会を務めていたボクにまちがいなく声をかけてくれていただろう。そうではなかったということは、衰弱していたのか、入院していたのか、おそらく病気が理由で参加がかなわなかったのだと思う。そういうこともあって、彼が亡くなるまで、ボクは彼が女子生徒の父親であるということに気づけていなかった。

それから2年と少しが経ったある日の卒業式。同じ学校の校長になって壇上に立つボクの目の前には、彼の愛娘が立っていた。

礼。
ボクは女子生徒の名前をゆっくりと読み上げ、学習成績優秀者に贈られる盾を渡す。
成績優秀とは縁遠く、あのバカな約束をした、もし生きていれば保護者席に座って得意満面の笑みを浮かべていたはずの彼の愛娘が、ボクから盾を受け取る。
礼。

女子生徒の降壇を見届け、今度はボクが降壇する。ここで泣くわけにはいかないと、気を引き締めて階段を降りた。

それまで、校内で何度か会話をしたことはあるが、ボクは彼女に父親のことは話していなかった。彼女からも父親の話を聞いたことはない。だから、父親がボクの教え子で、かつ単なる師弟以上の親交があったことを彼女が知っているのか知らないのか、今もわからないままだ。

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