見出し画像

創作に影響する3要素:「使える時間」「見られる範囲」「日常との乖離 」


「使える時間」「見られる範囲」「日常との乖離 」、これは創作する際にたいせつなことだ。

これだけだけだとわからないだろうから、それぞれ説明しよう。

もし、小説、漫画、絵画、論文、脚本などなんでもいいが創作をするのであれば、そのときの精神状態は非常に重要である。これは創作に限らず、あらゆる作業や或いは読書などのインプットなどにも言えることだが、やはり創作時にもっとも核心的に重要になる。

使える時間

まず、「使える時間」という観点。例えば、僕が「中国で感じた日本との違い」とかいうテーマで何か書こうとする。もしも、これが朝仕事に行く前、6時からの1時間であれば、常に尻の時間が気になってどうにかアイデアを捻り出そうと力みすぎてしまう。昼休みの1時間でも同じだ。

逆に金曜の夜で、23時くらいからじっくり取り組めて「最悪午前4時とか徹夜でもいい」というような状態で望むと、力みがなくなり冷静に思考を着実に進めることができるだろう。「使える時間」というのはそういうこと。

見られる範囲

次は「見られる範囲」。これは公開する範囲。例えば、僕がブログで何かを書く場合、そこには不特定多数、さらに特定の僕が知っている読者が読むことを想定してしまう。明確に意識しなくても必ず影響がある。

そういう場合、かなり狂気的な発想や下ネタなどは読まれることを想定して書かないし、何なら自己をこう思われたい、というような発想で無意識に書いてしまうこともありうる。

人によっては本当に自分のコンプレックスであったり、直視したくないようなこともあるだろう。実はそういうところが深くて創作に必要な部分でもある。夏目漱石だって、小説に自己評価として適当なキャラに自分を投射している。こういう風に何次元かずらして表現することで何とか自分とまっすぐ向き合えるのだ。

多くの情報発信者は、比較的知っている人に読まれることが想定された場所以外に、その他にも個人的にいくつか創作場所を持っているものだ。

ネット上に発表する場合、本音度は絶対に下がってしまう。できれば、コピペとかできず電子データで拡散の恐れのない、ノートとかに直筆で書くのがよいだろう。そのノートもさらに、絶対に人に発見される可能性がないことを確認しながら書くのがいい。過去の失態や自己の人格を築いた要素など恥ずかしかったり恐かったりする部分にも向き合える私的な表現空間を持つのがいい。

日常との乖離

最後に、「日常との乖離 」である。これは、日々の日常のことがら、例えば仕事であるとか学校のこと、家族のこととか喫緊の課題と離れるということ。でないと、何かとそれらが頭のなかに割り込んできて創作の邪魔をする。基本的に、人間の意識内での想起は物理的な環境からくるので、家とか普段の日常と密接に関わる場所から離れれば離れるだけいい。ブラジルとか最高。

ということで、
「使える時間」「見られる範囲」「日常との乖離 」を確保したら、自分の記憶の軸をつくっているような本質に触れられるかもしれない。

スイスとかでゆっくり創作活動してみたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?