私が中国語コーチング(語学サービス)で起業している理由。 #英語 #語学 #第二言語習得
私は今から10年以上前の大学生の頃から革新的なプロダクトを作りたいとずっと思っていた。大学2年の2007年くらいの当時、mixiやfacebook、Twitterなどのサービスが出てきた頃で、インターネットを使ったら個人がとてもおもしろい体験をすることができると漠然と考え、何か今までにない凄いサービスを作りたいと考えていた。
15年経った今でも基本的にその考えのままだ。
一般的に、ベンチャーというとfintechやAIやらSaaSのようなトレンドがあると思うが、私はこれらには自分がやろうと思うほど興味がない。産業構造などを変えるようないわゆる「大きなこと」なのかもしれない。それゆえ、儲かるだろう。
しかし、私からすると、それに関わる個人やユーザーの体験としては大して面白いものではないと思う。マクロで語られることと、消費者などの一個人の体験とは次元が違う。
では、一個人の体験として最高のものは何か?
短期的なもので言えば、極端な話、セックスやドラッグなどになってしまうだろう。
でも、これは所詮「快楽」に過ぎずサステイナブルではない。
では、どんなことが面白いか?
小さい子供たちを見ていると色々な発見がある。
ぴょんぴょん跳ねたり、声を出したり、何かを指差したり、色々なことができるようになることを楽しんでいる。これもできる、あれもできると、楽しそうに色々試して、「できる」ことを楽しむ。
滑り台に挑戦し、できるようになる。
いい顔をしている。
また、ただただ身体を躍動的に動かしたりするのだけでも楽しそうだ。
子供はやはり、人間の本質の塊だ。まだ社会的な偶発的なものがインストールされていない分、生物的な本能に根付くものが言動の軸になる。
それで、何がいいたいかというと、
人間の本質的な喜びや楽しみの一つは、何かが「できる」ようになるということだ。
これまでできなかったことが「できる」ようになることは、これ以上ない充実した体験だ。
それが何のため?
とかとう必要はない。この「できる」ようになるという感覚はそれ自体が素晴らしいものだ。
大人になると、目的ばかりに目が行ってしまう。
別に何かの役に立つ必要なんてない。
これまでできなかったことができるだけで嬉しいものだ。
そういう「体験」は、冒頭のfintechやらAIやらで生み出される価値より本質的に価値がある。
私はそう考えている。
だから、多くの人に中国語という「できる」を体験してほしいと思っている。
アナログな世界かもしれないが、価値としては時価総額1兆円並の取り組みだと本気で思っている。
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