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ビジネスパーソンが30歳から、ハイデガー『存在と時間』を2年間研究した話 #哲学

私は30歳から2年間、ハイデガーの『存在と時間』を研究していた。

大学時代からベンチャー企業で働き、その後、インターネットやエンタメ方面で仕事をしていたので、そういうバックグラウンドで『存在と時間』を研究するのは異色かもしれない。

「ハイデガーにおけるフッサール現象学の継承と逸脱」として論文をまとめた。

私を惹きつけたハイデガーの根本的な問いは

なぜ何もないのではなく、何かがあるのか

という、中二病的なとってもラディカルな問いだ。

20世紀最大の哲学書と言われる『存在と時間』は、その問いを追求したハイデガーの代表的な哲学書だ。

86歳まで生きたハイデガーが38歳くらいに書いた本だし、途中までしか仕上がっていないので主著というと語弊があるかもしれない。しかし、体系的にまとめられている数少ない作品であるのは間違いない。

本書は何を論じているのだろうか。

一言でいえば、

存在は時間から了解されるということだ。

平たく言うと、

「いま、ここ」について深く洞察していくと、時間性が鍵になっている

ということ。

一見すると、

冒頭に紹介したラディカルな根本的な問いを回収していないように見える。

ハイデガーのいう「存在」とは、いまここでわれわれがこのいまここに開かれていること、それを指している。

それは何なのか?というのが根本的な問いだ。だから、やはりラディカルな根本的な問いだ。

突き詰めていくと、そこには時間がある。

ん?概念を概念で説明するだけ?

まず、「いま、ここ」の構造を洞察すると、そこには何かしらの了解が伴っている。

過去はこういう状態であったという把握

少し先の未来はこうなるのではないかという予視

また、何かしらの情動のようなものが常につきまとっている。

こういうもんが入り混じっている。

さらに、洞察していく。

すると、

こうした「いま、ここ」を成り立たせているものを取りまとめる一つの概念にいきつく。

それが、、時間なのだ。

時間により、「いま、ここ」(現存在)のすべての存在構造は可能になっている、というのが『存在と時間』の結論。

たまに、非本来性から決意や覚悟により本来性へ向かう箇所を、「生き方」へのアドバイスみたいに読み取る人がいるが、全くの誤解。そもそも本来性というより、その訳は固有性のほうが的を得ている。

なぜ、固有性(本来性)の考察が必要かというと、それは現存在(いま、ここ)の洞察をより深めていくための探求として行ったものであり、あくまでも存在とは何かの探求目的なのである。

では、

時間性からから何がいえるか。

過去の経験があるから、そこの方向性、物語のようなものが出てきて、それが何かを何かとして認識させるのだ。

コップは「水を飲むもの」かもしれないし、「怒ったときに人に投げつけるもの」かもしれないし、「おしゃれなインテリア」かもしれない。その認識は認識者がどのような物語を歩んできたのかによる。

なにかの意味の根拠は過去の記憶である。

われわれは日々、意味の流れを生きている。その意味は、過去に根拠を持つのだ。

「いま、ここ」を深く洞察すると、時間という概念が根底にあることがわかった。

しかし、これで冒頭のラディカルな問いに答えたのだろうか。これだと根本的には解決になっていないかもしれない。

ハイデガーが師匠フッサールから受け継いだ哲学の方法である「現象学」とはそういうものだ。

現象学とは、

信念対立を乗り越え、他者と共通了解を形成するための思考法なので、誰にでもトレース可能な思考でないといけない。

主観外に根拠があるものを取り出すと、それはおとぎ話になってしまう。

中二病的に、「何故何もないではなく、何かあるのか」という問いに対してのハイデガーの答えをまとめると、

まず、ある答えが「正しい」というのはどういう状態か、ということを確定させる必要がある。そして、絶対的に正しいことはない。「正しい」とは、主観内に還元して根拠をたどって確信を高めるしかない。主観の外の根拠は使ってはいけない。

ポイントは、あらゆる判断や事実といわれるものも、「確信」にとどまるとうこと。そして、確信の強度が強いものの条件は、五感で感じるもの、記憶として反復しても揺るがないもの、などがある、というふうに考えることだ。

何か正しい絶対的なものがあり、それに的中しようという態度が間違いで、逆に、その正しい絶対的なものと思っているものを、どうしてそう思ったか、その根拠を主観の中で探す営みが現象学だ。

ハイデガーは存在を探求したら、そこで、まずは、自分のあり方(存在)を徹底して洞察したら時間にぶち当たったのだ。

今、存在に疑問を抱くのも、それは過去の記憶にルーツがある。

それは自分の幼少期の経験だけでなく、時代をも超える。

ハイデガーは自身の営みをギリシャ時代のアリストテレスの反復だというのもそのため。

当初のラディカルな問いは一定程度回答されている。

ここまで突き詰められたら、納得感はけっこうある。

私はここまで研究して、

とやかく思考ばっかりしてないで、行動しようと思うようになった。


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