良い主張の2つの条件〜我々の範囲と時間軸〜
人は何かを主張し、共感されたり、批判されたりする。
よい主張とは何か?
そこには2つの条件がある。
我々の範囲〜誰にとっての善悪かという観点〜
まず、前提として、1つ確認したいことがある。
あらゆる主張は、ポジショントークである。
ということだ。
ある人間が発する主張というのは、原理的にある観点での善悪基準に基づく。
どういうことか?
例えば、日本社会をよくするという観点で主張すれば、日本国外は「外部」と捉えるという宣言であるから、それは日本全体というのが1つの観点となる。(日本全体の効用をどう測るかという問題はここではおいておく)
また、A社という企業の観点で語れば、そのA社がハッピーになることが至上命題となり、外部は究極的にはどうでもいい、ということになる。もちろん、環境維持のために外部に一定の配慮が必要だが、それもA社のハッピネスが起点に考えられている。
では、世界をグローバルに捉えて、地球規模の全人類的な目線にたったらどうか?
これはもうポジショントークではないと思うかもしれないが、充分にポジショントークである。
人間社会に視点を定めるのであれば、その外部である自然環境や宇宙の未知の領域については外部として切り捨てることになる。今、自然環境が問題になっているのは、「人間が生存できない危機」に対処するためであり、人間社会中心の考え以外の何物でもない。
ガイア理論というのがある。
これは、地球の環境を第一に考える思想であるが、その観点に立てば、人類が消え去ることが最適解となる。
そう、つまりは観点がどこにあるかで結論は全く変わってくる。
これは、「我々の範囲がどこまでか」ということといえる。
時間軸
もう一つは時間軸だ。
仮に、日本全体の個人の幸福を最大化するポジションにつくとして、時間軸により行動様式は変わってくる。
仮に、超短期な視点に立てば、海外を欺き、いっときはバブル的な景気のいい社会を実現できるかもしれない。
でも、長期的に考えれば、外部の他国を裏切ることはマイナスのほうが大きいわけだ。
また、今生きている世代のことだけを考えているのと、今後100年を見据えて戦略を立てるのか、あるいは1000年を考えるのかにより、やることが変わってくる。
まとめ
ということで、ある主張が真っ当であるかどうかは、結局、どんなポジションであるのか(我々の範囲)、そして、どれくらいの時間軸なのか、が明確かに依る。
これがはっきりしない主張は、掴みどころがなくなり支持することができない。
もしみなさんが、誰かの主張に賛同するかいなかを決めるのであれば、この2点が自分の感覚と合うかを検討してみるとよいだろう。
ちなみに、なぜこの2点が根源的に重要かというと、そのヒントは哲学者のカントにある。
カントは我々の認識の最根底には、空間と時間があると想定し、それが多くの人に支持されている。
我々の認識は、空間と時間を除外した認識はありえない。その2要素で、態度を明確にすることが良い意見の条件なのである。
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