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もう8割くらいの人はいなくても回るのではないか?全ての労働をコンビニ並みのマニュアル化した理想の資本主義社会

なんとなくの直観なのだが、よくいわれる8−2の法則みたいなもので、今、世界で働いている人々の8割くらいは別にいなくても社会は今と同等の生産はできるのではないか?

いや、さすがに、8割が全くいなくなったらだめだ。ただ、もっと働き方を固定的にすべきだ。

つまり、リクルートでも、楽天でも、三菱商事、電通でも、その社員全員が一見付加価値の高そうな仕事をしているが、8割はコンビニのバイト的な労働でいいのではないか?ということを提案したい。

どういうことか?

コンビニ並みのマニュアル化された労働(8割)

多くの仕事のストレスや問題は、

  • 何をやればいいかわからない

  • 何をやったら成果が出るかわからない

  • どこまで責任を負っているかわからない

  • 報酬が見合わない

などに由来する。

コンビニのバイトの仕事は、逆で、

  • 何をやればいいかわかる

  • 何をやったら成果(と見なされるか)がわかる

  • 責任範囲が明確(レジ打ち、商品陳列などやっていれば、売上が落ちているなどに責任を負わない)

  • 報酬は最初から合意済で、仕事内容も当初のものと齟齬が出ることはほぼない

なので、ストレスなく働ける。(もちろん、単純作業であきたり、あまり稼げないのでいっぱい稼働して疲弊する、などはあるだろうが)

世の中の労働の全てがこうなればいい。

マニュアル労働を作る高付加価値の仕事(2割)

そしたら、働くことがつまらなくならないか?

と思うかもしれない。

いや、そうではない。ここでは「労働」という働き方だけを問題にしている。

もちろん、その上にもっと高付加価値の「仕事」があるべきだ。
つまり、「仕事」とは、ある意味管理職みたいなもので、労働をこのような形の求人につくりあげて、管理する仕事だ。

社会に足りないのは、こういう付加価値の高い「仕事」ができる人だ。

どうやってマニュアル労働を増やすか?

これは、大企業の優秀な人が、細分化された業務を定義し作っていくしかない。

例えば、高付加価値の代表といえば、外資系投資銀行や総合商社、ITエンジニアの仕事などが思いつくだろうが、そこで行う高度な仕事も、一般化し、単純な業務に分けられるはずだ。

ここでいう単純とは、コンビニのレジ打ちのようなものだけでなく、○○業界の契約書のレビューとかそういうスキルが必要なものも含む。
むしろ、ある方面ではかなりの専門的なマニュアル化された労働が生まれるだろう。

優秀な人は、そんな細分化して、下に労働を投げていては仕事の効率が落ちると思うだろう。

実際そうだろうが、それはその企業単体が競争で勝つ、という視点だ。

なんのためにやるのか

今、ここで議論しているのは、もっと社会全体をよくするためという意義。

だから、社会全体で、多くの会社でこういう取り組みが進むべきだ。

つまり、事業の全体像をわかっている人が、そこに必要な業務を細分化し、コンビニ並みの労働に変換させていく。

そうすると、世の中からブルシットジョブが消えるだろう。つまり、何の付加価値も直接には生み出さない糞どうでもいい仕事だ。

これまでの社会では、エッセンシャルワーク2割、ブルシットジョブ8割だったとすれば、これが、エッセンシャルワーク8割、ブルシットジョブ2割に変わる。

個人は生きやすくなる

個人は、世間のあらゆる仕事の見通しがよくなる。何をやれば、評価されるのか?が明確にわかり、迷いなく自分で高めたいスキルを伸ばしていける。

多くの人は、一生のうちで、バイト的な仕事を中心に、いきいきと生きる。

エッセンシャルワーカーとして、至極安定した価値を提供し、お金を稼ぎ、第2軸として、自分の「生まれ」を活かした創造的な仕事をする、という社会。

これは実質、かなりシステム化された市場経済である。

そのいくつく先は、かなり計画経済に近いものとなる。

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