note一ヶ月経って、長い自己紹介。後編
では、前回投稿した前編(ドラムを始めた高校生の頃の話)の続きです。
1 大学・社会人になって
高校の文化祭でデビューしたぼくたちのバンド、ハンプティーダンプティー(ルイス・キャロルの不思議の国のアリスに出てくる双子の卵の兄弟)は高校生活が終わるまで集まっては練習していました。(一回6時間くらい)
そして、卒業。それぞれ京都・大阪・地元に進学したぼくたちは、それでもなんとか月イチ程度集まって続けていました。
1回生、2回生となる内、みんなだんだん変わってきて、ガロ(日本のロックグループ)みたいに肩まで髪の毛は伸ばし、15センチのハイヒール・シークレットブーツにḠパンの前足を20センチほど切って前からブーツを見せて身長185センチで歩いていました。ただし、コンパの時、畳の部屋なんかでは殿中松の廊下でḠパンうをズリズリさせてかっこ悪かった。(わかる人は「なつかしいなあ。」とおもっているでしょ。)
だんだん演る曲も変わってきて、京都でブルースがバリバリ流行っていたので、京都に行った奴がブルース曲を持ち込んで来てBBキングやオールマンをやったりしたし、大阪に行った奴はストーンズの曲を持ち込んで、これもやりました。また、BeatlesのアビーロードのB面をやったり、日本のバンドでジャズフュージョンのスクエアーもやりました、ホンマに種々雑多バンドになってしまいました。
みんな音楽性が違ってきてたけど、やりたい曲はそれぞれ大学でやって、ハンプティではみんなが持ち込む曲を文句言わずにやっていました。
でも、5年位バンドやると普通誰かがオリジナルをやりたくなるのですが、みんな全く興味がなくて、やりたい他人の曲ばかりやっていました。
そして、大学4回生で就職が決まって来た頃、みんなかりあげクン頭になっての最後の秋ごろから、いろいろお呼びがかかって、大学祭周りも3・4校行かせてもらって、ダンパんバンド(ダンス・パーティー用のバンド)で演奏したり、秋祭りの前座、企業のダンパんなど、色々やらせてもらいました。練習もしまくりました。
それでも残念ながら、オリジナルのないバンドのハンプティーダンプティーの活動はここまででした。
大学卒業。みんな新人社員になって、忙しくて、そして、極めつけはヴォーカルが東京に就職して、ついに自然消滅、1回目の活動が終わりました。
余談ですがこの時、オリジナルやっていたバンドたち、大阪芸術大では太金きんた、世良公則というメッチャうまいバンドが一つ後輩にいてデビュー。憂歌団も一級先輩(生野高校)、東京の方ではサザンオールスターズ(青学だと思います。)というメッチャうまい人達がいました。とびきりは別格先輩ですが、格が違うはっぴぃえんど(細野晴臣さん、大瀧詠一さん、松本隆さん、鈴木茂さん)さんがいてはりました。このバンドはすごいですよ。この時代もすごいでしょ。松本隆さんドラムですよ、ぼくと同じ。
2 バンドやってください。
さて、ハンプティーダンプティーが解散して、ぼくも40歳になっていました。
ある日、突然、職場の後輩から。
「バンドやってください。」
と告白のようなあつい言葉をかけられました。
何でも、彼はぼくが音楽室にあったドラムセットに懐かしいなぁと、座り込んで1時間ほど叩いていたのを聞いていたんです。彼は以前からバンドをやりたくてやりたくてウズウズしてはったと言うことです。
何でも、彼はぼくが音楽室にあったドラムセットに懐かしいなぁと、座り込んで1時間ほど叩いていたのを偶然見つけて、聞いていたんです。
それで、彼は以前からバンドをやりたくてやりたくてウズウズしてはったと言うことです。
ヴォーカルが不在で辞めていたぼくは、歌い手が言ってきたので、二つ返事でOKしました。早速久しぶりにギターとベースに連絡しました。勿論、2人ともOK。 というわけで40歳になって突然、バンド活動が再スタートしました。
今度のバンド名はメイクル・タウン・バンド(MTB)といいます。ヴォーカルの知り合いが福祉作業所を立ち上げるのに協力して、ライブをやったのがきっかけで、その作業所の名前がメイクルタウンでして、その名前をもらってメイクル・タウン・バンドとしました。
ぼくたちは年1回、10回のライブをやりました。曲はヴォーカルが持ってきた曲(ブルーハーツ)を最初はやりました。だんだん僕たちの若い頃のいろいろなアーティストの楽曲もやりました。なんと数曲オリジナル曲も少し作りました。
3 そして今はカホン走者
64歳までライブに出たり、スタジオで練習したり。楽しくバンド活動を楽しんで、みんな2回めの退職を契機にもっと活動を活発にしょうと思っていましたが、残念ながらコロナandヴォーカルが退職後、突然 超多忙な役職についてしまって、自然と2回めの活動停止になりました。
さて、これがぼくの長い自己紹介でした。お付き合いくださってありがとうございます。現在は残った者でウクレレ・ベース・カホンの3人トリオで活動しています。3度めのバンド名はウクメル(ウクレレのメイクル版の意味)にして。月イチ、スタジオで楽しくやっています。
70歳 80歳 行けるところまで行くぞー。ありがとうございました。いつか、このウクレレバンドとカホンのことをお話しします。
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