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短篇集 『赤い切妻屋根の小屋』 (2023)

       When the wind chime rang

  On the porch, he was hanging

  A new bamboo blind

      (風鈴が鳴ったとき、縁側で、新しいすだれを掛けていた)

 名倉 康晴『Early Summer (初夏)』

エッセイ 


私の職業観と意見 - 自己の理想とバランスを追求して -


 私の職業観や仕事に関する意見をまとめます。まず、どの職業であっても最終的な結果としては給与がもらえるという事実はあります。職業の種類や環境によって賃金の差があることは認識していますが、私自身の場合、具体的には三菱UFJ銀行の普通預金口座に振り込まれる給与を受け取っています。給与の金額は変わるかもしれませんが、お金の価値は同じです。このように、仕事の選択肢は無限にあり、生計を立てる方法も無数に存在します。

 私は自分自身の理想的なライフバランスを追求するために、労働時間、勤務時間帯、職場環境、仕事内容の3つに注目しています。これにより、ストレスなく楽しみながら仕事を続け、理想的な毎日を送ることが可能だと信じています。例えば、自宅で仕事をする人もいれば、カフェをオフィスとして利用する人もいます。また、一定のオフィスで勤務する場合には、自宅から比較的近い勤務地を選ぶことが重要です。

 仕事によって報酬が増えることに一喜一憂することもあるかもしれませんが、私たちが関わる仕事が社会的に有益であるかどうかを考える必要があります。私たちが関わる仕事は他の人との関係を通じて、その人の自我や習慣、将来に影響を与える可能性があるため、自己中心的ではなく他人のことを考える視点が重要です。

 さらに、仕事をする環境では自分と他の人との間に相対的な関係が存在します。相対的な関係によって、人は制約されることもあるかもしれませんが、逆に刺激を受けることもあります。会社の上司と部下の関係では、上司が部下の能力を認めて昇進させることで、モチベーションが高まり、生産性が向上することがあります。また、同僚との関係によっては、協力や競争を通じて互いに成長し合うこともあります。相対的な関係をうまく活用することで、仕事の質や成果を高めることができるのです。

  一方で、仕事とプライベートのバランスも重要です。仕事に全ての時間を費やすことは健康や人間関係に悪影響を及ぼす可能性があります。私は定期的な休暇や余暇活動への時間の確保、家族や友人との時間を大切にすることを心がけています。これにより、リフレッシュされた状態で仕事に臨むことができ、充実感と幸福感を得ることができます。 私の職業観は、単純に給与や職業の選択に囚われるのではなく、自己の理想とバランスを追求することにあります。私は仕事を通じて社会に貢献し、自己成長を促し、充実感を得ることを重視しています。また、仕事とプライベートの調和を保ちながら、自分自身と他の人との関係性を大切にすることも大切だと考えています。

 私の職業観や意見は、私自身が実践しているものです。私はこれらの価値観を持ち、仕事を通じてより充実した人生を送ることを目指しています。

 これらの考え方を総括すると、私の職業観は「自己の理想とバランスを追求して」というものです。私は単に給与や職業の選択に囚われるのではなく、自分自身の理想やバランスを考慮しながら仕事を選び、社会に貢献し、自己成長を促し、充実感を得ることを重視しています。

 仕事は私たちの人生の一部であり、大きな時間を費やすものです。だからこそ、自分の理想やバランスを追求し、喜びや充実感を感じながら仕事をすることが重要です。

 仕事を通じて自己実現を追求し、幸せな人生を築くために、私たちは常に自分自身と向き合い、自分の理想を追求することが大切です。

以上が私の考える職業観と意見のまとめです。

環境問題について、私のできること


 地球温暖化などの環境問題により、eco-awareness(環境意識)が高まっているにもかかわらず、100年に一度の災害が毎年のように発生しています。

 化石燃料である石油や石炭の燃焼により、世界各地で酸性雨による森林の立ち枯れ が報告されています。また、自動車や他の輸送機器から排出される二酸化炭素が地球を覆い、太陽の熱を逃がさずに地球温暖化の原因となる温室効果(greenhouse effect)が生じています。温室効果ガスには水蒸気の他にも二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素、フロンガスなどが含まれます。

 近年、畜産業が気候変動などの異常気象の問題に関与していると指摘されています。畜産業は自動車産業などに比べて化石燃料の消費量が多く、環境への負荷が大きいのです。国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の試算によると、牛などが直接排出するメタンガスに加えて、畜産業による牧場の開墾や飼料や肥料の生産・輸送に伴う二酸化炭素の排出などが温室効果ガス全体の約18%を占めており、この割合は自動車などの輸送機関で生じる温室効果ガスの13%を上回っています。

 つまり、畜産肉の消費量を減らすことで、地球温暖化対策に効果的に貢献することができます。私自身は環境の観点から、完全な菜食主義(ヴィーガニズム)を実践しています。例えば、大豆由来のソイミートなどを摂取します。欧米では、ビヨンドミートやヴィーガン食品が広く利用されています。動物由来の食品は地球温暖化に影響を与え、森林伐採を引き起こします。

 過去半世紀の間に人口は倍増し、動物性食品の消費やフードロスなどが地球温暖化を加速させる要因の一つとなっています。

 さらに、牛などの反芻動物が排出するメタンガスにも問題があります。メタンは二酸化炭素の20倍以上の温室効果を持ち、全世界の生活活動によるメタン排出量の37%が牛や豚などの農場から発生しています。また、農場における家畜の排泄物からは亜酸化窒素といった温室効果ガスも放出されます。

 結論として、私は地球環境のために動物由来の食品を摂取しないことを選んでいます。自然と動物との共生を大切にし、地球温暖化を含む過去の経済発展や私たちの生活が地球環境に与えた危険性を心に留めることが重要です。


詩 I

女の願い事


いま鳥羽一番街の小さな神社の前を通行する。
其処に若い女が一人願い事をしていた。
私は立ち止まり、その女を見て居た。
そのひとの瞳孔にうつる影なき深い想いを。

それから私の気分は変わって来た。
爽やかな気分が胸を往来し始めた、
それは純粋でそして透明ないいフィーリング。
この感情をはっきりと言葉にする事は出来なかった。

女性のやさしい匂いを感ずる。

兎に角、その女の願い事を訊きたいと云う欲望ははっきりとしていた。
若し訊くことができると考えると、それからは空想になって了う。
その娘の願いをかぐ。この不思議なる情緒。

若女に願い事を訊くという事は迚も出来ない事に思われた。
どれ程恋愛成就したいかは明らかに想像された。
私はなやましき女に違いないと考えた。

窓の外の海を眺める。

私はそれから海産物専門店へ行く。
生け簀の中の伊勢海老は赤くぼんやりしている。
振り向くともう女の姿はなかった。


五月の茶臼山


茶臼山を登っているとき、
わたしの登山靴は白い足跡を残してゆく、
山の頂上にしづかな展望台がある、
そこでわたしは写真を撮っていた。
眼をみぎてとおい山の方を眺めると、
ちっぽけな芝桜がひらひらと風にひるがえっているように思われた。
空には風が流れている。
わたしは三角点を眼に焼きつけてから、
どこというあてもなしに、
ぼうぼうとした山を下山していた。
わたしはときどき、すべての人々から逃れて孤独になりたい。
そしてわたしの心は、自然を愛することによって慰められる。

わたしの心はいまでも、人気のない寂しい山道を歩いているのだ。


郡上温泉


雨霽(は)れた日にひっそりと
サウナの中で立ち上がり
じっと坐って腕を組む
白い煙が颺(あが)ってく
 
ぬれ手拭いを脇に置き
キョロリキョロリと見廻して
首を湯船に引っこめる
酒飲まぬのに赤い顔 
小さく円い美しい
きれいなあわを眺めてる
うすぼんやりと思い出す
柳ゆらめく露天風呂
 
ある少年が言葉なく
親爺と共に湯につかる
息子の髪は濡れ光り
莞爾々々(にこにこ)顔を浮かべてる 


家族の肖像


ある日、父さんが会社をサボってパチンコへ行ったとき、母さんは家で内職をしていた。ミシンでカバンを縫う仕事を母さんはしていた。セサミストリートのカバンを縫う仕事。その日、父さんの職場の上司から家に電話がかかってきた。

「家に旦那さんはいますか?」とその上司が尋ねたとき、母さんは居ないよ、と答えた。母さんは〈おかしいな〉と思い、近所のパチンコ店へ父さんを探しに行った。

父さんは其処でパチンコを打っていた。

母さんは父さんを見つけて、父さんの隣の席に座った。そして父さんのパチンコ台からパチンコ玉を手に取ると、ジャラジャラとそれで母さんは打ちはじめた。

〈やめろ、お願いだからもうやめてくれ〉、と父さんは思ったんじゃないかと僕は思う。

口を閉ざす父さん。

賑やかなパチンコ店に訪れる静けさ。

その後、「なんで会社の上司に口裏を合わせておいてくれなかったのか?」と父さんは母さんに怒った。

私は知らないよ、と母さんは言った。

僕は母さんが正しいと思う。

七月。どじゃぶりの雨音が聴こえる中、父親の書斎で、その頃の出来事を、二十五年以上前の昔のことを、僕は回想している。

セサミストリートのカバンを見れば思い出すでしょうね。それらの日々のことを。そして両親によって、少しはまとな大人に育ったかということを、僕は実感するでしょう。

よくこのカバンのことを僕は思い出す。そして反省したり、あるいは励まされたりする。

たぶんそのカバンを部屋の壁に貼って飾っておくべきなのだろう。

もしその頃のカバンが見つかれば。


春の金華山を感ずる


しとしと降る雨音を聴きながら
しづかにおれは登山の記憶を辿る。

おれは山城の展望台で瞳をひらいている。
さびしい犬鷲の羽音をきいて心は涙ぐむ。

長良川のほとりを過ぎゆく遊覧船
乗客は誰なのか?
その船の先に長良橋がかかっている。
俥が橋を渡って行く。
ちまたにスタジアムが二つ。 

にしへいき
風が全景にながれている。
ひとり冠雪の伊吹山を眺め
城の瓦葺きを眺め
遠くに伊勢湾の海の光を感ずる。

ああ内部へさし入るデーライト。
麗らかな春の日を感ずる。

しづかな感情が城内にあふれているようだ。

松葉が光る ひとが栗鼠のように見える。
ああ故郷が見える。

夏に此処で見た山をたづねて行こうかね。
そうしておれの腐蝕した魂にさよなら。

百曲りの山路を踏み降りたとき
わが瞳に金色のちさき天守 中空に光る。

宇賀渓


ふと目が覚めて筆を執る
切り立つ山を思い出す
山から風が吹きすさび
池の水面(みなも)を波立てる

記憶の山を蹴り進む
心の中に生きる山
いくつか滝に触れてみる
日陰に生える毒草も

薄紅色の石楠花に
銀の雫がレトリック
葉陰の鳥を眺めたい
わたしが死ぬるその日まで

左に曲がり人をよけ
しばし躇い(ためらい)駆け上る
人こそ踏まぬ道があり
やさしく白き雪見える


観覧車と


正気?
硬いベッドから起き
一杯の水をいただく
清く躰にとけゆく

陽気?
朝靄を吸込む
かの観覧車を
しきりに眺む

思い巡らす
昨夜、ロマノーバが去ったことを
静謐

「東京で生きてみたい」と云ったのは
わたしには叶えてあげられない夢

ロマノーバは二人の人生より 
一人の夢を追いかけていた
置かれたモミの木

翌朝ふたたび観覧車に目を留める
二人で乗ったはずの
わたしの心はまだそこに乗ったまま

あゝ刹那にまわれ
徐に
 
ロマノーバを想うように
そっと


八月のレクリエム


霧雨の中 風の彼方に彼女は消える
残り香はかなく沈み果てる
一人残された僕は 消えた彼女の背中を
ずっと見つめていた

僕はそれが辛くて悲しくて
その場で泣くことしかできなかった

彼女が死んだのは 八月のことだ
レモンソーダを飲むのにふさわしい月
レモンソーダ・・・
彼女との出会いもレモンソーダだった

彼女は僕の心の中で
ソーダ味と共に
永遠に生き続けている


ヴィヴィアン・リーの人形


 昔のことだけれど―たぶん一九四一年か四二年だったと思う。―私は十代で、すでに母親をパーキンソン病で亡くしてていて、阿智村という長野県南部の小さな町にある祖母の家に疎開してきた。生活のために父親の八百屋の仕事を手伝っていた。 

 私はその日、父親と妹と新鮮な野菜を仕入れるめに、歩いて町の朝市へ行った。蜜柑とか林檎とか葡萄とか柿とか置いてある隣にあのピンク色のわんこのぬいぐるみが置いてあった。私はわんこが大嫌いだった。―でも妹のヨシ子はわんこのぬいぐるみに目がなかった。わんこのぬいぐるみがほしいよとヨシ子が言ったのだ。 

 私が覚えているのはその人形がヴィヴィアン・リーという名前の女性によって一九一〇年に製作されたということだけだ。それは私の母親が生まれた年と同じだったからだった。



 ある夏の日、女の子が僕の家を訪れた。「どうしましたか?」と僕が訊くと、彼女ははじめ黙っていた。それから彼女は自分の家に鍵がかかっていて入れない、と口ごもりつつ言った。僕はその知らない女の子を居間に入れてあげた。しかし僕は学校の宿題を終わらせていなかったので、イライラしていて、しばらくその娘を無視していた。すると、女の子はすぐ家に帰ってしまった。

 僕は思った。もしまだ家の鍵がかかっていたらどうしよう、こんな暑い日に。またこうも思った。もしかしたら、本当は、僕と遊びたかったんじゃないかな、と。僕は振り返る。その日の出来事を。そして僕がどれくらい彼女に冷めたかったかということを。

月日は流れ


銀河が流れる
月の下に
我らの思い出が流れる
私は思い出す 
過ぎ去りし日々の出来事
日が暮れて 
イルミネーションが輝き出す

月日は流れ 
時が流れる
日が暮れて 
突風が吹く

流れる星のように 
思い出も死んで逝く
風もまた死んで逝く

日が暮れて
雨が止む
月日は流れ
彼女は帰らない
日が去って
月が行く
過ぎた思い出も
昔の愛も
再びは帰らない

銀河が流れる
月の下に
日が暮れて
子どもの声が聞こえる
月日は流れ
私は独り


台湾女人


この町で唯一の台湾人女よ 
一度だけの恋をしようよ
台北か桃園へ 
小舟でいざなって
そこでは
恋人は恋をするのだ
狂ったパンダのように

いつか僕は死ぬだろう
もしも君が僕に寄り添ってくれるのなら
僕は死ぬだろう 
毎日でも

詩 II


赤い切妻屋根の小屋


私は午後、赤い切妻屋根の小屋のところへ行って、一晩過ごした。小屋の右側の土地は傾斜していて、崖のように崩れていて、ドクダミが咲いていた。

私は木造のテラスデッキでコーヒーを飲み、心静かに休んだ。芸術家はここでなら幸せな生活が送れるれるかもしれない、と思った。もしも芸術家に安定した生活があるのなら。もし私がここで本でも書いていたら、ものごとは好転するような気がした。

私はもう1杯コーヒーを飲んだ。それでコップはおおかた空になった。
そしてペアリーというタイ人女性から昨日連絡が来ていたのを思い出した。

「やぁ」と私は言った。
「Miss you」と彼女は言った。
「私は小屋でコーヒーを飲んで、スイートポテトを食べている。私は少し眠たい」
「あなたのラストネームは何ですか?」
「なぜ?」彼女は言葉を置いて、沈黙した。
「なぜなら、知りたいから」

彼女は語るのを辞めた。私が彼女に参るのも無理はない。彼女は私と夢を共有し、その思い出に浸りたいと望む。その気持はよくわかる。しかし私と彼女は共有できるものなどありはしない。何もない。ラストネームさえわからない。

ミステリアスな連絡だった。
人生でただ一度しか訪れることのない連絡。

その日は月が綺麗な夜だった。

私はほとんど恍惚状態に近い目で月を眺めながらそこで寝ていった。


車窓からの富士山


じっくりと考えてみる。 僕が何を撮るべきか、何を撮らないべきかについて。 そしてそれを実行する!こんなふうに、言葉をもちいて。

いくつかのファインダーを通して見た。山と海と花。 それらの日々を、僕は自分の意志によって生きてきた。 誰にも負けるものかという気概をもって、 誰にも僕を止めることはできない。

ずっとそうしていくのさ。


短篇

夏の夜の夢


 ある台風の過ぎ去った次の日の夜、僕はどんな絵を描こうか悩んでいた。そして駅近くのバー“スターリン”へ行った。あるいは空想だったのかもしれない。酒が飲みたいという抑圧された深層心理が歪み夢として現れたのかもしれない。バー“スターリン”の左隣のお店にはスナック”千津代”があったのは確かである。

 スナック”千津代”はカラオケ・スナックバーである。店主はメイドの格好をしているが店内に流れる音楽は演歌だ。スナックのカウンターには「8 JUKE (エイトジューク)」が置かれていた。それはジュークボックスと8トラックテープにちなんだカラオケ機だ。「8トラックテープ」は環状のエンドレステープが4本平行に並んでいるので、録音可能な磁気トラックが8本ある。それで「8トラック」と呼ばれる。大きさは幅30センチ、高さ10センチの正方形に、奥行きが25センチ。カウンターひとつに椅子が10ほどしかない3 ~ 5坪の小さな70年代風のスナック“千津代”にはぴったりである。サラリーマンが自分の金で酒を飲むには安価なスナックだ。

 スナック“千津代”に関する補足として、店主の40代後半の女性の名前は本名ではない。僕は彼女の店ではじめてボトルキープを経験した。

 バー”スターリン”に行った行きさつとしては友人のジェシカに誘われたからである。ジェシカは僕より2、3個年下で日系ブラジルの彼女がいる。彼女の名前はセシル、バイセクシュアルだ。セシルに関する一切の情報は物理が苦手であるということだけである。僕はひょんなことから彼女ら2人と酒を飲むことになった。

 駅近くのバー“スターリン”の店主はラテン系と黒人の血が混ざった人種で同性愛者であった。彼は社会主義・マルクス・レーニン主義と酒をこよなく愛していた。店主の風貌は頭が禿げかけていて、肌がツルツルとしていた。薄茶色のサングラスをかけ、茶色の革のベストに白と紺の横縞のシャツを着て、グレーの短パンを履き、海賊風の身なりをしていた。

 店主の前には美しい女性が座っていた。その女性はラメの入った金のサテンのワンピースを身にまとい、ロンドンジンで割ったマティーニを飲んでいた。少し話を交わすと彼女はタイ出身のトランスジェンダーで、繁華街のナイトクラブでダンサーをしているという。チップだけで多い時に1万円を稼ぐとも言う。羨ましい限りだ。

 店内にはもう一人の女性がいた。バーで働くスタッフの彼女はベトナム出身で日本に出稼ぎに来ている。今は日本語学校の学費を払うためにコンビニとバーのアルバイトを掛け持ちしているらしい。彼女の日本語は片言であったが、英語が話せ、発音には癖があったが流暢であった。

 我々はウィスキーサワーを注文し、一息で飲み干した。店内は人種のるつぼと化し、夏の夜のニューヨークの土地柄のような光景であった。店内ではなぜか中華人民共和国の国歌《義勇軍行進曲》や《東方紅》が流れていた。

東の空が赤く染まり

中国に毛沢東があらわれた

彼は人民の幸せを考える 

ああ、彼こそ人民の大いなる救いの星

 やれやれ、どうして僕はこんな音楽を聴いているんだ?僕はいったい何を考えているんだ?夢だ。すぐに夢から醒めた方がいい。夢が激しくなっていく。どんどん激しくなって・・・・・・

 音楽はそこで終わっていた。僕は店内に飾られていた金縁の額の中に書かれていたカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの共産党宣言の一文を一瞥した。

 そこには「プロレタリヤは、自分の鎖よりほかに失ふべき何ものももたない。そして彼らは、獲得すべき全世界をもつてゐる。萬國のプロレタリヤ団結せよ!」と書かれていた。

 僕の記憶では2021年の夏が終わり秋が始まる夜の出来事である。


かつて僕は机の前に座って


 満月に四日分足りない月の夜、僕は手書きのメモ用にB 5のノートを事務所のデスクに置いていた。僕は新しい鮮やかな水色のノートに持ち手が緑色のシャープペンシルで文章を書いていた。そこに書かれていることは一語たりとも思い出したくはない。そこには中学生時分にある同級生に殴られた出来事による心の傷が書き記されている。疑いの余地もなく、僕の中でまだ憎しみと怒りが膨らんでいた。そしてある種の殺人によって欲求不満を解消しようとした。僕を殴った田口という男はアトピーで人当たりが悪く無能であった。僕のノートの中で彼は入水自殺をしたのだ。救急車が到着したとき彼はまだほんの微かに呼吸をしていたが、深い昏睡状態にあり意識は失われていた。ここまでくると助かる見込みは百パーセントない。肌は冷たくなり、呼吸も間近で検査しないことには感知できなかった。救急隊員は彼がもう死んでいるとおもっていたが、実際に彼が死亡したのはそのおおよそ一時間後であった。息が途絶えた。彼は死んだ。この事件は死んだ。

 みんな忘れてしまった。落としどころに無駄がない。

 ベットに入ってすべてを忘れてしまえ。いいえ、忘れることはないでしょう。そしてノートの内容を消しゴムで消したのはそれが訳のわからないでっちあげられた作り話だったからだ。

 次の日の朝、消された完全な告白書を推察していた。僕はそれを読むことができなかったが、現実には他の誰も殺してはいないし、彼を殴り返さなかったし、彼は入水自殺もしなかった。僕はそれをやったんだ。僕がいいやつということに関して言わせてもらえれば、彼をガス室に送り込んだり、ギロチンで首を切ったり、電気椅子で焼いたり、ロープにぶら下げて打首にしたりしていない。フラペチーノを頼む子供たちにも聴かせることのできる作り話さ。仮に僕が彼を殺したところで近所の人たちは口を揃えて「蚊も殺せないような穏やかな人に見えました」と証言するだけなんだ。

 僕はドアを開け、事務所をさっさと出た。人間はいったん殴られると、どこまでも憎しむらしい。僕は憎悪からくる怒りの激情に駆られて田口の存在を殺した。巷の少女に頭が狂っていると言われかねない。

 しかる後に舞台設定を整えて、香川という男の殺害にも及んだ。いつかの夜に彼に向けて拳銃を発射した。しかしわからないのは、そして永遠に答えられることがないであろう疑問はどうして香川は教師でありながら、為すがままに権力を振るったかということだ。テニス部の女子生徒に対してわいせつ行為をした。それなのに地域の住民に謝罪もしていない。公務員が彼の職業だったし、ほとんど我々の税金で給料をもらっているはずだ。ところががわいせつ事件についてはただのひとことも話さなかった。あの男はテニスコートの中で若くして死ぬべきであった。時間というものはすべてをみすぼらしく、汚らしく、歪んだものに変えてしまう。年を取るということは穢れていくことなのであろうか。僕はそれとは無縁のままで終わることでしょう。さよなら、香川。

 僕は今、絵を描くことを職業としている。

 ほとんどどんなものについても絵で表現することができる。怒りも憎悪も人の苦しみも我がこの身のすべてを捧げた芸術家として。

 十月。この湿っぽい事務所のデスクで僕は一編の詩を読んでいる。僕はその詩が書かれたときの気分に浸っている。日が短くなって日の光が弱まり、窓の白いカーテンから柔らかな光が差し込む。事物が枯れ落ちていく。

 十月はレモンソーダを飲むのにふさわしい月ではない。十月について何か絵が描けるかもしれないと思った。もし僕がそのとき交わされた言葉や起こった出来事のすべてを頭に記憶しておけば。しかし今日のところ何も描いていないし本当はまだ九月だ。たとえそれでも僕はこの人生における望みは果たしのだろうか。そして僕はいったい何を望んでいるのだろうか。秋の午後に僕は一編の詩を読み続けていた。僕は精一杯人生における望みについて考えていた。


伊良湖デイト


 山下宗司(やました・そうし)と鈴木晴星(すずき・はるね)は二年同棲している。彼らがどこで出会ったか全く知られていない。薄暗いじめじめとしたアパートに住んでいる。宗司はここで晴星にプロポーズをした。しかし晴星にとっては二回目のプロポーズであった。結婚式の日取りも決まっていた。彼らの結婚式の半年前、晴星は宗司にこう言った。

 「宗ちゃんの車、少し汚れているから車を洗ってきてあげるね」と彼女は言い、笑った。「ちょっと車を綺麗にしておかない?」

「僕はちょっと忙しいんだよな。ありがとう。頼んだよ」と彼は言った。

 宗司はめったに外を出ることがない。職業は小説家だそうだ。彼は三十二歳、終日書斎にこもったきりほとんど出て来ることはない。しかし実際は世間が言うような小説家ではない。彼はよく書斎で電子キーボードを弾いていることがある。余りに長く弾き込んで、汗をぐっしょりとかいていることなどもある。彼は作家である。まだ著作はない。

 晴星は彼の車の置いてある駐車場へ行った。彼の車を洗車するために。彼女は車をガソリンスタンドに併設されている洗車場で洗車した後、洗車場の隣りの駐車場で周囲を確認しながら彼の車の裏側にGPSを取り付けた。そして車内のゴミや埃をきちんと取り除いた。春の柔らかな日差しがバックシートを明るく照らした。その日の午後、晴星は友人のマイコにメッセージを送った。二日後の四時五十八分に電話をかけるようにと。晴星はモデルである。彼女の特技は写真を撮ることとファッションコーディネート。

 その日の夕方、宗司は晴星にボードクラブに行くと言って嘘を付いた。実はスペイン語教室へ行った。

 「なぁ、車の鍵を貸して。ちょっとボードクラブに行ってくる」と彼は嘘を付いた。

「わかった。はい」と彼女は言った。

 彼は車を運転し始める前に座席にもたれかけ小声で言った。

 「あっ、今日はドミンゴ先生のレッスンか」

「uno( ウノ) , dos (ドス), tres , (テレス), cuatro (クアトロ), cinco (シンコ)」と彼はカバンの中からスペイン語の教科書を手に取って一から十まで溌剌にスペイン語で数えた。それから彼は車のエンジンをかけスペイン語教室へ出発した。中古の軽自動車は静かに街道を軋って行った。落陽していた。街のビルの上に夕月が美しくかかっていた。

 翌日、宗司と晴星は伊良湖近くの海沿いをドライブしていた。真昼中に。白い雲が日の光を帯びて緑と共に光っている。二人は午前中に結婚式の準備を進めていて、彼女は式のドレスの試着が終わったばかりで疲れていた。結婚式場からの帰り途の車の中、彼女は彼に言った。

 「はあ、私、前の時と比べてウエストが少し太くなったみたい」

「ああ、僕は疲れた」と彼は言った。

「何もやっていなかったじゃない!」と彼女は言い怒った。

「いや、僕は君のカバンを持っていたよ」と彼は言った。薄紫色の小さなパースバッグの手提げにはゴールドのチェーンがついている。

「しかし最初に着たドレス?あれはいけないね。中国の結婚式みたいになりそうだ。白のチャイナドレス風!別に中国が悪いって訳じゃなくてね。ここは日本だ」と彼は不満げな顔で言った。

「何言ってるのよ!」と彼女はすかさずに言った。まるでアメリカ南部のコメディー映画に出てくる女優の三文芝居のように。

「そう言えば宗ちゃんのお姉さんに久しぶりに会った。私のことを気に入ってもらったみたい。けどお姉さん、私の身なりを見て〈質素〉と言ったわ」と彼女は言った。彼女は宗司の姉に最後に会った日の出来事を思い出した。

「そうなんだ。姉さんはマンション経営や管理のビジネスで忙しいから最近会ってないな」と彼は呑気なな口調で言った。

 晴星は〈質素〉と言われたことにずいぶん不満だった。なぜなら彼女はモデルだからだ。彼女の専門分野はファッションコーディネート。それに加え宗司の姉は企業経営者の資産家で大金持ちであったから彼女は彼の姉には気に入れられたかったのである。

 ドレスの話が終わり、ハネムーンの話が始まった。それと同時に一羽の黒雁が街道を斜めに突切るように飛びちかった。時刻は一時を過ぎていた。

 「ねぇ、私ね、ハネムーンはタイに行きたい。バンコクのソンクラーン祭りに参加したいの」と晴星は突然言った。

「何だいそれ?楽しいの?」と宗司は首を傾けて言った。

「えっと水鉄砲でお互いに水を掛け合うお祭りらしいの。素敵なお祭りだと思わない?」

「いや別に、象には乗りたいな」と彼はタイで象乗りをしたことを思い出しながら言った。 

「馬鹿ね。象乗りは高額だわ。チップも要求してくる。宗ちゃんはトゥクトゥクがお似合いよ」と彼女は嘲笑って言った。

「そうかな?」と彼は言った。彼は不思議に思った。

「それか網走がいい。今年のクリスマスに。私、雪を見たことがないの」と彼女は幸せそうに言った。

「雪は白いよ」と彼は冷たく言い返した。それから晴星が歌い始めた。

「雪やこんこ 霰(あられ)やこんこ。降っては降ってはずんずん積もる。山も野原も綿帽子 (わたぼうし)かぶり、枯れ木残らず花が咲く。」と彼女は口ずさんだ。

「あのさ、今春なんですけど」と彼は怪訝な顔で言った。

「いいじゃない。別に」と彼女は言った。

「ほら、こう何か春っぽい、アイドルの曲を歌ってよ。例えば、アクロバティック・アクロバティックとかさ」と彼は言った。

「嫌」と彼女は軽蔑した口調で言った。

「いいじゃない。キッラ キラメク 海辺の風 感じて 空を見上げて あなたを想うの 零れていく 涙の理由(わけ) 察して 笑顔のあなた ここに置いていこう」と彼は熱唱し自分の世界に入っていた。

「もう辞めて!」彼女は大きな声で言った。「歌ってないでちゃんと運転しなさい!」

「はい。通常運転です。なんかトイレに行きたいな」と彼は言った。なぜなら晴星は宗司に透明のプラスチックコップに何度も水を注いでいたからだ。彼がそのコップの水を飲み干したらすぐに彼女は水を注ぐ。まるで動物実験のように。彼は彼女が水を注いでくれたらありがとう、と言いそれを飲み干した。またそれを十回は繰り返していた。  

 宗司はトイレ休憩を取るためにコンビニエンスストアの駐車場に車を停めた。晴星は彼にコーヒーを買って来てと頼んだ。宗司がトイレ休憩から帰って来て、彼は一杯のドリップコーヒーの入ったカップを手にしていた。彼女のために。

 「言われた通り買ってきたよ」と彼は車の助手席の窓越しから言った。

「はい。どうも。遅かったね。冷めてしまうよ」と彼女は車内からコーヒーを受け取って言った。

「淹れたてだよ」と彼は不満足な顔をして言った。そして宗司は車内に戻り、ドアをそっと閉めた。晴星はコーヒーを飲んでいた。彼女は人前で食べ物は食べないし飲み物を飲まない。だから彼女は手でコーヒーを隠して宗司に対して後ろを向いて飲んだ。

 「うっ苦い、苦い」と彼女は小声で言った。

「えっ?コーヒーは苦いよ」と彼は怪訝な表情で言った。

「コーヒーにキャラメルシュガーを入れた?」と彼女は彼のことを疑って言った。

「入れたよ」と彼はコーヒーにキャラメルシュガーの入ったボトルを二、三回振ったことを思い出しながら慎重に言った。

「全然足りないじゃない。キャラメルシュガーが。こんな苦いコーヒーは飲めない」と彼女は急に声を荒げて言った。まるで壊れたラジオカセットから突然流れてくるニュースのように。

「無理に飲まなくてもいいよ」と彼はなんだかすまないという様な顔つきで言った。時刻は午後二時二十五分だった。もう一時間はドライブをしている。彼女は咄嗟に言った。

「宗ちゃんはね、私が昔、静岡のプロペラ工場で働いていたことを思い出させたね。夏の給湯室のあの不味いコーヒーを。もうあれはトラウマ。あの遺跡みたいな苦い味のコーヒー」と彼女は淡々と早口で言った。

「ちょっと待ってくれ。それならもうコーヒーを飲む必要はない。それともあれかい?カフェイン中毒なのかい?カフェインは毒だぜ」と彼は早口で言った。彼はもう一度トイレに行きたいのを我慢していた。

「うるさい!黙ってなさいよ」そう言って彼女は怒って車のワイパーのレバーを押した。ワイパーを動き出したのと同時にしばらく沈黙が続いた。それから晴星はバックミラーを自分の方に動かして化粧を直し始めた。化粧ポーチからコーム型のマスカラを取り出しまつ毛を整え始めた。ナチュラルに仕上げていた。何度も丁寧に注意を払い塗り重ね、まつ毛の一本一本をセパレートさせていた。色はボルドーというよりバーガンディに近い色合いであった。彼女はスマッジプルーフ(耐脂性)タイプのものを愛用している。まつ毛のカールをより維持するために。

 突然、友人のマイコから以前送った連絡の返信が返ってきた。その文面は「わかった。例の保険の資料(アーカイブ)も用意しておく」と記されていた。しばらく晴星は友人とのやり取りがあり、それから彼女は言った。

 「早く出して、車」

「今化粧を直していたんじゃないか?」と彼は口をようやく開けた。

「もう終わった」と彼女は呆れたような顔つきで彼を見ながら言った。

「君はね、綺麗で素敵なんだけど、精神のどこかに支障をきたしているらしい。恐らくどこか心のある部分のネジが緩んでいるんだよ。あるいはきつく締めすぎている」と彼はそう言い、さらにこう提案した。

「だからね。サイコパステストを受けてみたらどうかな?」

「は?何言ってるの?失礼ね。早く車を出して」と彼女は言い言葉を濁した。

「はい」と彼は答えた。そして宗司は車のエンジンをかけた。彼は車をバックさせてハンドルを左に切り道路に入れさせてもらった。それからハザードランプを三回光らせた。

 彼らは帰路をドライブしていて宗司はビニールハウス近くの春キャベツ畑の前で車を停めた。時刻は四時二十分を過ぎた頃であった。日の光は弱まり柔らかなオレンジ色の光が春キャベツ畑を照らしていた。

 「重大な話がある。だからこの土地に来たんだ」と宗司は深刻な面持ちで言った。

「それで?」と晴星は優しく言った。飲みかけのコーヒーはもうすっかり冷めていた。

「そういえば前に君の両親が僕の育てているスノーインサマーがベランダから少しはみ出して咲いていたところ、勝手に全部切ってしまったことがあったよね。それ以来僕はキャベツの不買運動をしている。そして君の両親はキャベツ農家だ」と宗司は言った。彼の心のダムに堰き止められていたものがよどみ渦巻放出された。

「で、何が言いたいのよ?」と晴星は淡々と言った。

「実はね。僕は君と結婚したくないんだ」と彼は言った。

「はぁ?何とぼけたことを言ってるのよ。私たち結婚するのよ。親戚それから友人に仕事の同僚と十人は招待した。今さら式をキャンセルするなんてありえない!この頓馬!」と彼女は早口で言った。季節は変わろうとしていた。梅の花が散り桜の花が咲き始めた頃の出来事であった。春キャベツ畑の近隣の民家では子供たちがイースターの卵を隠しているようだった。賑やかだがとにかく落ち着きのない声が散らばっていた。賑やかな声がいつもしんとした春キャベツ畑に満ち渡った。

「僕は鎌倉に引っ越したいんだ」と彼は言った。それから彼はこう続けて言った。

「海の見える平屋に一人で余生を暮らす。それが僕のささやかな夢だ。そして庭にハーブ園を作って、それから洗面室をダブルシンクにして。それから和室を琉球畳にして、それから書斎にシャルロット・ペリアンドの椅子を置いて・・・・・・」と彼は語った。その時、一台の業務用の大型トラックがビニールハウスの前を大きな音を立てて通り過ぎた。そして晴星が歌い始めた。その声は不気味であった。古木を螺旋状に這う蛇のような不気味さであった。

「雪やこんこ 霰やこんこ 降っても 降っても まだ降りやまぬ 犬は喜び 庭駆(か)けまわり 猫は火燵(こたつ)で丸くなる」と彼女は歌った。彼女は『雪』の二番歌詞をなにかの短編小説を読みながら歌った。その短編小説のタイトルは『アイスコーヒーを片手に』であった。アイルランドの作家ヘンリー・アンダーソン・Jrの著作である。妖精の出てくるおとぎ話である。本の中に菫の花が枝折の代わりに挿まれてあった。そして彼女は一冊の本をカバンの中に閉まってから何か光る尖ったものを取り出した。それから彼女は言った。

「結婚してくれなかったら私、宗ちゃんを殺すから」と彼女は言った。そして彼女は光る尖ったものを一振りした。

「アーッ」と彼は叫んだ。彼は彼女にナイフで刺されてしまった。フランスのオピネル社の小型ナイフで。それはカーボン・スチール製のナイフであった。そのウッドハンドルは血で染まっていた。

「痛えな。ふざけんなよ。参った。参ったな。はぁ、死ぬかと思った」と彼は声を荒げて言った。彼の目は充血していた。

「ふぅん。切り傷で済んで良かったね。このおたんこなす!」と彼女は言い左手に持っているそのコンパクトなフォールディングナイフを右手を添えて慎重に折りたたんだ。

「わかったよ」と彼は小声で言った。太陽が厚い雲に覆われていた。その寥々たる春キャベツ畑の角には一本の桜の木が花を咲かせていた。五分咲きといったところであった。雨気を帯びた夕日がぱっと桜を明るく照らしてその桜から一枚の花びらが落ちていくのを宗司は目で追った。

 翌朝、晴星は宗司を呼んだ。二人は海の見える所までドライブし臨海駐車場に車を停めた。

 「ねぇ、見てあの海鳥!素敵!」と晴星は言った。

「ああ、あれは珍しい渡り鳥だね。もしかして黒雁かもしれないね」と宗司は言葉を返した。晴星は窓の外の鳥を静かに眺め、目を閉じた。

「へぇー、オリーブオイルで揚げたらおいしそう」と彼女は言った。それからスマートフォンで鳥を写真に撮った。

「・・・・・・はあ」と彼は大きくため息をついた。その時、鳥はもう彼らの視界から姿を消してしまった。

「この海の辺りには魚はいないのかしら。あみで真鯛でも捕まえたらね。私、三枚おろしにするのに。だって、めでたいじゃない。もうすぐ私たちの結婚式よ」と彼女は期待を膨らまして言った。まるで明日の遠足を楽しみに待ち望んでいる子供のように。

「あのね、生き物を見て〈おいしそう〉とか調理方法を考える癖は良くないよ。第一、アニマルライツがない。君は生き物に対する倫理観というものが欠如している。おかしいよ」と彼は説教じみた口調で言った。

「何がおかしいの?」と彼女は髪をかきあげながら言った。

 それから二人は車の外に出て伊良湖の海を眺めた。宗司はトリコロールカラーの鮮やかなレジャーシートとを脇に抱えていた。晴星はサングラスをかけ小型のポータブルオセロゲームを左手に持っていた。二人はライトブルーの伊良湖の海の前にレジャーシートを丁寧に敷き、海を背中にして寝そべった。時刻は十二時二十分を過ぎていた。日が照っていて、六月のような暑さであった。本当はまだ四月だというのに。海を泳ぐには早過ぎるし、また半袖のシャツを着るのも早過ぎる季節であった。海はどこまでもライトブルー、そしてホワイトとグリーンが入っていた。二人は砂浜で寝そべっていた。黄昏れていた。あるいはぼーっとしていた。宗司は最後にぼーっとしたのはいつなのか思い出していた。しかし思い出すことは出来なかった。晴星はかけているサングラスを左手で下の方にずらし宗司を一瞥した。二人はピクニックを時を忘れて楽しんでいた。彼らは仕事に忙殺されていたので人生を楽しむことを忘れかけていた。海を目近で見ることさえ忘れていた。海を見ない生活、果たしてそれが人生と言えるのか、と宗司は心の中で呟いていた。波の音が静かに聴こえていた。

 「ねぇ、海の向こうはフィリピンかしら。フィリピンって日本食レストランはあるのかしらね」と晴星は言った。

「ああ、あると思うよ。大抵韓国人が経営してるよ。韓国人はやり手だから」と宗司は返答した。

「私、『はじめてのトッポギ』と『私はケンチャナよ』っていう韓国ドラマを見てるわ。私、俳優のチョ・ヌンソクのファンなの」と彼女は嬉しそうに言った。

「ふぅん。日本人は韓国人に一人辺りのGDP を抜かされているからね」と彼はジェラシーを感じながら言った。

「GDPって?」と彼女は言った。彼女はその意味をわからないでいた。

「よくわからない。Gの頭文字はグレートかな?つまり韓国人はすごいのさ」と彼は自信を持ってはっきりとした口調でいった。

「なるほど」と彼女は言った。彼女は納得がいった表情を浮かべていた。

「この辺りの魚はフィリピンのルバング島に輸出される。風が吹けば桶屋が儲かる。魚を獲れば韓国人が儲かるってわけだ」と彼は長々と説明した。

「魚の乱獲は良くない」と彼女は心配そうに言った。

「そうかもしれないね」と彼は言い頷いた。

 その後、宗司はトリコロールカラーのレジャーシートを一人で折りたたみ、二人は灯台の前まで歩いた。風が強く、風の音のせいで二人の会話はまったく噛み合わなかった。風の音だけがこの静かな海をビュービューとかき乱していた。二人は灯台の前で記念撮影をしていた。彼らは特に話を交わさなかった。海とそして風の音だけが聴こえていた。

 宗司はグレーのバックパックから双眼鏡を取り出し海を眺めていた。彼は黄色とブルーのウィンドブレーカーを着ていてフードを頭に被っていたのでまるで海上保安官のような風貌であった。晴星は灯台の手前の砂浜で首にぶら下げていた黒の一眼レフカメラで写真を撮っていた。そのうちの一枚は宗司を撮ったものであった。そして二人はお互いを見た。宗司はスマートフォンを左手に縦に持ち晴星を動画撮影した。彼女の背後の海は陽光で海一面が輝いていた。宗司はこれが最後のデートになると思っていた。

 その日の午後、もう辺りは薄暗くなっていった。二人は終日、伊良湖の海で遊んでいた。帰宅途中、彼らは伊良湖から二、三キロ離れた距離のブランコのある公園を訪れた。公園のブランコは樹の影で涼しかった。風がおりおりと心地よく吹いて通った。竹藪には薄い夕日がさしかかっていて、公園は静かで、さびしく、草は心地よく刈取られていた。ドッジボールの線が明らかに残っていて、長いベンチの隅に誰かの忘れたボールが置いてある。公園の一隅には老人会の草木が植えられてあった。二人は緩やかにブランコまで歩いた。

晴星はブランコに乗り勢いよく漕ぎ始めた。宗司は彼女が吹っ飛んでいってしまうのではないかと心配した。彼女は徐々にブランコを漕ぐ勢いを弱めていった。それからやっと彼女の口が開いた。

 「ねぇ、どうして私のことが好きなの?」と彼女は話かけた。

「よくわからない。あのさ、突然なんだけどさ、僕、君と別れたいんだ」と彼は心の内を明かした。

「・・・・・・」彼女は唖然としていた。フリーズしたコンピュータのように彼女の表情は一ミリも動くことはなかった。放心していた。ブランコに乗った彼女の身体だけが鈍い音をたててブランコと共に揺れていた。

「僕は自分が書いている小説を完成させたいんだ。ユダヤ人の踊り子がホットケーキを作る小説。僕は独りで静かに書きたいんだ」と彼は言った。彼の目には涙を浮かべていた。その目には晴星がブランコに乗っている後ろ姿が映っていた。彼は彼女の後ろに立っていてサポートしていた。彼女はしばらくして正気を取り戻した。

「小説なんてくだらない。ユダヤ人の踊り子なんてホットケーキを作らない!」と彼女はホットケーキのHの発音を強調して言った。ハットケーキ(縁のある帽子のケーキ)のような発音であった。

「それは偏見だ」と彼は彼女の差別的な発言について異論した。彼は大学時代にアジア系アメリカ人のジェンダー論の講義を取得していてフェミニズム論に造詣が深かった。彼は〈ウーマン・リブ〉という白いロゴの入った黒いミニT シャツを着て大学のキャンパスでロビー活動をしたことがあった。その年の夏、彼はロビー活動中に警備員に注意された。彼はケント紙にバイオレットカラーのマジックで〈リベラル・フェミニズム〉と書き、校内で〈リベラル・フェミズム〉と叫び、デモを独りで行っていた。その年の秋、彼の通っていた私立大学の男性教授が女性大学教員に対してのアカデミック・ハラスメントがあった。その男は教授の職を退くことになってしまった。宗司は彼からフェミニズム批評に関するありとあらゆる古今東西の文学を教えてもらっていたというのに。

「僕は結婚のことなんてまったく気にしないで書いている。それが僕の考えです」と彼は言い、深くため息をついた。

「もうよして。替わって」と彼女は涙ながら言った。右目の下には涙が溢れ頬を伝っていた。一粒のかなし涙が夕陽で照らされていた。気がつくと涙はブランコの椅子の上に落ちていた。さっきまで楽しそうだった彼女の顔がいびつに崩れていく。涙は次から次と彼女の白い頬をほろほろと伝って流れた。涙がシャツの袖で拭いても拭いても出た。それから二人は無言でブランコを交代した。空はもうクリーム色の入った夕日に染まっていた。宗司がブランコに乗ると晴星が『雪』を口笛で悲しそうに歌い出した。

「・・・・・・」宗司はブランコに揺れながら沈黙していた。完全な沈黙だけがそこにあった。曲が終わるころに宗司は殺気を感じた。すると、彼女は突然彼をブランコから突き落とした。

「アーッ」と彼は叫んだ。彼女は涼しい顔をしていた。ブランコの後方には八重桜が満開に咲いてさわやかなそよ風が二人を包んだ。竹藪の中には椿が紅く咲いて、その縁にある盛をすぎた梅の木は泣いているように見える。

 その日の午後、二人は海沿いを、ドライブしていて帰る途中であった。

 「僕は今、夢の中なのかな。君が僕の腕を刺してから毎日その夢を見るんだ。見たくもないような。フラッシュバックってやつかな」と彼は言った。

「ごめんなさい。私、宗ちゃんのことを愛しているの。つい、カッとなって」と彼女は告白した。海岸に小さな黄色いイルカのサイクルボートが浮かんでいた。

「僕は被害者だ。僕の未来はない。左腕もまだ痛いし、心も痛むんだ。だからね」と彼は言い、上空に飛んでいた鳥を一瞥した。

「私と結婚してくれなかったら、宗ちゃんと一緒にに死ぬわ」と彼女は強い口調で言った。

「冗談はよしてくれ。それに君のサイコパステストの結果は満点だった。もう辞めにしようと思うんだ」と彼は額に汗をかきながら言った。窓の外はもう暗くなり始めた。彼女はあまり嬉しそうにしていなかった。不穏な空気が漂っていた。

 その時、晴星は車のハンドルを切った。

「キャー」と彼女は叫び、「アーッ」と宗司は叫んだ。

 彼らは事故を起こした。車は路肩に突っ込み、白いガードレールに当たって止まった。車の左ドアの部分は凹み白のガードレールのある部分は歪んだ。宗司は目を閉じて、頭を抱えていた。彼は数分の間、意識を失いかけて言葉を一つも発しなかった。晴星は左腕にはめている電波時計を確認し大きなため息をついた。時刻は午後四時五十八分であった。その白い盤面の時計の上部はステンレスが上方に歪んでいた。そして晴星の携帯に電話がかかってきた。彼女は車のドアを開けて外に出た。

 「もしもし私の保険の資料(アーカイブ)はあるかしら。ええ。わかった」と彼女は言った。それから彼女は電話を切り、車の中へ戻った。

「緊急の SOS 電話だったみたい。強い衝撃のせいかしら」と彼女は彼に言った。

彼は目は開いていたが頭をハンドルに強く強打したせいか少しぼーっとしていた。

「はあ。やれやれ。参ったな。僕が一度だって君と死にたいことがあったかい」と彼は言った。そして彼はグローブボックスの中から彼と彼女の名前が記載された婚約届けを取り出してそれを彼女に渡した。

「ああ、うれしい」と彼女は声高々に言った。「私は宗ちゃんと一生夫婦でありたいの。人生はあまりに短いの。宗ちゃんは小説を書く以外にも、やるべきことはたくさんあるよ」と彼女は続けて言った。彼女は拇印で婚姻届に判を捺した。

 交通事故から二年の歳月が経っていた。宗司には一本の白髪が生えていてた。薄い髭などを生やして髪を綺麗に分けていた。二人は海の見える臨海駐車場で口論していた。

 「宗ちゃんって最近私の言うことをちっとも聞かないわ。いつも『双子の老人』っていう本を読んでばっかりで。私は自分の言いたいことを言わせてもらう。私が声をかけようとするといつも怒鳴るんだから」と晴星は言った。彼女の不満は爆発していた。

「違う。『双子の老人精神医学者とその半生』だよ。フレデリック・バードランドの。まっとうな中産階級を描く一般的な本だ。僕の姉さんが一年前に自殺してから僕の精神は参ってしまったんだ」と宗司は言った。

「そんな事どうでもいい。もう私と別れて。前の夫とよりを戻すの」と彼女はイラつきながら言った。

「なんだって?」と彼は驚いた口調で言った。彼の口はポカンと開いていた。それから彼女は車内のグローブボックスの中から離婚届を取り出し、彼に渡した。

「・・・・・・」宗司は晴星を見た。

「何がおかしいの?」と彼女は言った。車のサイドミラーには友人のマイコが砂浜でダンスをしている姿が映っていた。女はタランテラを踊っていた。


伊勢・志摩物語


  ある晴れた静かな春の日の朝のことだった。私は旅に出かける支度をしていた。一つ旅をしてやろう。伊賀へ忍者修行へ行ってやろうか。伊賀なら、伊賀上野城もあるはずだ、と考えていた。部屋の窓から庭に植えてある楓の木が風に靡き、朝日が新緑の木の葉を透かして煌びやかに見えていた。時刻は七時を過ぎていた。私は部屋の電気を消して、戸締まりをして、自宅を出た。必要な荷物を持って車に乗り、そして車のエンジンをかけ三重へ向かった。三重で俳優修行をする、そう思っていた。

「あえいうえおあお」と車の運転をしながら発声と滑舌を兼ねた訓練をしていた。

 そして一段声を張り上げた。

「水馬 赤いな あいうえお」と私が云った時、誰かが「浮藻に 小蝦も 泳いでる」と怒鳴った気がした。私は何遍も繰り返し云っていた。

 それは四月も終わる時分の事であった。自分は東名高速道路を運転していた。兎に角、伊賀まで行く事にしたのだ。伊勢湾岸自動車道、東名阪自動車道、伊勢自動車道を経由して伊賀まで行く計画であった。私は朝食をとるために御在所の SAに入った。車から降りて、 SAのレストランに入っていった。すると、大勢の人々が券売機の前で並んでいた。

 自分もその列に入っていった。

 注文が終わり、座る席を探していた。想像以上に混雑していた。そして私は驚いた。伊勢うどんをすする音が頻りに聞こえたからだ。

 自分は空いている席を見つけて席に座った。すると、隣の客が厭な眼で自分を見た。

 その客は白髪で眼鏡をかけ年老いていた。妙な男だと思った。自分は厭な気持ちがした。男はあおさラーメンを食べていた。

「有難う御座います」私は店員から注文した料理を受け取った。割り箸を割り、伊勢うどんをすすった。時々、男は妙な眼つきで自分の顔を見ていたが、暫くして漸く彼の家族と思われる人達と帰っていった。

 朝食を食べ終わると、レストランを出た。SAで土産は買った。土産といっても、伊勢の赤福を一箱だけだ。

 車に戻り、暫く窓の外を眺めていた。日差しが眩しかった。東屋に座っていた人々が日を除け涼んでいたのが見えた。私は窓を開けた。窓から風が入った。

 東屋の隣のドッグランから吠え声が聞こえてきた。私はじっと自分の演技について考えていた。声を出して即興演技を始めた。けれどもなかなか上手く行かなかった。

「光線が漲るように青葉を照らす」

「紫陽花が友禅染のように美しい」

 私は集中して演技をしていた。しかし青葉は夏の季語であると不図思った。それに紫陽花は六月から七月にかけて開花することに気がついた。まだ四月だ、私はそう思っていた。

 私は独り伊賀城へ向かった。入り口では人々が忙しそうに往き来する。私の歩行も自ずと早くなった。

 入り口で集った人々の中をくぐり脱けて私は忍者の屋敷へ入った。其処でくのいちに会った。我々は回転扉の前に立って話した。

 急ぎ足で来る年寄りのカメラが眼に入る。間もなく家族連れも来た。

 忍者ショーが始まるまでまだ三十分もあった。私は広告の忍者が手裏剣を投げている看板を左に曲がり劇場の方へ歩き出した。

「忍者だ」私はショーのチケットを劇団の人に渡した。

 彼女はそれを確認して、礼を云った。恐らく、女役者である。

 場内は風はあったが、満員の客で妙に蒸し暑く、私は胸に汗をかいていた。風音を聴きながら私は忍者ショーが始まるのをゆるく待った。忍者の旗が風に動く。待ちながら私は仲間が作った新しい脚本を読んでいた。

 暫くすると、白髪の髪の長い劇場の支配人と思われる長老が観客の前に立って話始めた。

 間もなく忍者ショーが始まった。彼は四人の忍者と実演を行った。一人の忍者が風船を膨らませて頭の上に置いて待っていた。新人の忍者がそれに目掛けて吹き矢を放ったが、当たらなかった。彼女は謝罪を済ませて、上座へ戻っていった。それから長老が遠い所から畳の壁に向けて、鎌を回転させて投げた。

 見事に突き刺さった。盛大な拍手が起こる。そして彼は自慢げに話した。
 一時半にショーが終わった。帰る際にいつ迄も見送られた。私はさっさと劇場を出て了った。

 伊賀で私は伊賀城を見た。昼の気持ちいい風に頭を吹かせて私は暫く伊賀城を見入っていた。それから私は城内を西に向かって砂利道を進んだ。私は何気なく城内の突き当たりを行ったら、城の石垣があった。真下に、大きな堀があった。其処で静かな町を眺めた。其処から見た高等学校の様子が私の好奇心をそそった。彼らは陸上の練習をしていた。

 城の周りを少し歩き、もと来た方へ引き還した。  

 晴れた日で四方の山々が美しかった。

 私は伊賀上を後にしてその日泊まるホテルへ行った。

 白く薄いグレーの、細い扉を開けると、奥へ細長く通った土間があり、階段を登り四階まで行った。其処に肥った、顔色の悪い、頭の禿げた、四十ばかりの眼鏡をかけた男が居た。彼は「今晩は」と云った。

 廊下から、よれた服を着た、その男の母親と思われる女が、頭に赤いバンダナを巻いて中腰になって掃除をしていた。

 私は宿泊したいと申し込んだ。

 部屋は六畳でベッドが一つ、窓の外に廃れたベランダがあった。その奥には山があった。私は汚らしい所だと思いながら外の景を眺めた。部屋の隅に、灰皿の中に誰かの吸いかけた煙草が数本置いてあった。

 私は真珠の宝石店の前を通ってその前に見たレストランに行ってみた。ファミリーレストランだ。

 店の扉を開けると、細長い土間の狭苦しい所で会計をしていた四十七八の身長の低い女が、黙って立っていた。

 机の上にはメニューがずらりと並んであった。猫型ロボットかと思われる黒と白の機械が注文した料理を持って廊下を歩いている。

 OL らしい二人の女が身を乗り出してそれに向かって写真を撮っている。

「いいロボットだ!」と云った。

「どうやって注文するの?」

「ええ、そりゃタブレット(端末)で注文できます」ともう一人の女が云った。

 私は是非このロボットで注文したいと思った。私は海鮮丼を頼んだ。

 私はロボットに犬かと尋いた。そうでないと云うと、何処かお勤め?と尋いた。

 はい、只今勤務中だと云った。その時、兎にも角にもお掃除ロボットとしては望ましくないと、私自身思ったのである。然しこうも考えた。私が廊下で立ち止まり水を汲んでいるとロボットは上手に避けるから、私は何となくこのロボットが好きであった。その自分をロボットも疑う事は出来ない筈である。食事を済ませてから私はこの店を出た。

 又ホテルに戻って来た。ホテルの二階に温泉があり、私は何気なくそれが気になった。

 廊下の脇に漫画があった。三階にも三四十巻あった。いずれも選りに選って私には興味のない漫画であった。私はそれから自分の今の心をちょっと情けなく思った。

 ホテルを出た。雲ひとつない夜八時過ぎの往来は乾き切って車一つさえ見えなかった。

 私はぶらりぶらりと南へ向かってドライブした。背の高い椰子の木が続いた。

 私は独り志摩の温泉で疲れた身体を癒すことにした。門前は柳の木が靡く往来であった。私は露天風呂に入り、ぼんやりと静かな志摩の街並みを眺めて居た。そしてこの志摩の街並みが私の好奇心をそそった。私は二三年前に熊野古道を訪れて一日ハイキングした日のことを憶い出した。私は当時の自分を考えて居る内に、今の自分と云うものが落ちぶれて放浪でもしているような気になって来た。私は此処を出ると、直ぐ又ホテルへ戻って行った。

 私は砂埃で白くなったトッレッキングシューズを脱いで、水の入った焼酎のペットボトルが並ぶ薄暗い階段を登った。私の身体は云いようのない程に疲れていた。背中は外側から何かに押さえつけられるような心持がした。

 それから、どう寝付いたか私は忘れた。私は少しでも早くベッドで休みたかった。眠気は少しもなかったが隣の部屋から鼾が聞こえた。私は音楽をかければ隣の客は寝入るだろうと思ったが、暫く音量調整に躊躇していると、其処へ連続した鼾が聞こえて来て、聞くと寝られますと云ったような気がした。頭がクラクラする。

 男の鼾の音、勢いもなく、疲れたような、然し途切れない音。眼を閉じて音楽を聴きながらボンヤリと聞いていると私は今迄怒りを堪えていたが幾らか心が軽くなったような気がした。鼾の音が止むと、私は、「もう寝よう」と考えた。

 翌朝、鵜方駅周辺の川沿いを散歩した。鄙びた集落があり、一歩路地を入ると食堂やスナックなど、まるで映画のセットのような味のある建物が軒を連ねていた。散歩して、私は暫く腰を下ろして花を見ていた。気分は大変良くなって来た。

 この川辺を外れて私は止まっているホテルのある鵜方駅の周辺を散策した。

 私は踏切の袂に立って、どっちへ行こうかと考えた。私は鵜方よさこい横丁へ行って、レトロな写真でも撮ろうかと思った。鵜方駅のホームに小さな電車が往き来する。どれも人が少なかった。遠く朧げに電波塔が見えた。

 私は駅の低いベンチに腰かけて帰ろうか、と考えた。が直ぐ昨日の演技の事が色々と頭に浮かんだ。三十二になって、未だに定まった肩書もない情けない心持―それを想うと、私は居ても立っても居られなくなった。

 私は駅の階段を降りて帰ろうと思った。

 私は窓の手すりに凭りかかったまま、戸外の景色を眺めた。私には何となく、もう少し何処かへ行きたいような気が起こった。兎に角何処かへ行って、考えていいと思った。それに俳優修業をすると云って出た者が冒険もせずに帰るという事が如何にも無粋で不快に思えた。

 私の財布にはその時賢島までの切符を買う金はあった。

 見る。撮る。写真を確認する。直ぐに又見る。写真が少しずつ増える。この循環を何遍も根気よく繰り返し続けた。目が疲れて、肩と背中が甚く凝って、太腿から、ふくらはぎのあたりが堪らなくけったるかった。駅前のバスは薄明るい中を進んでいた。駅の階段を降りて、朝の風に頭を吹かせた。鵜方を散策して朝日の差し込む頃には私の気分は大分良くなって来た。

 横山へ来て、英虞湾の海を眺め、前に水平線の高い海を見たら私の心は晴れ晴れとして来た。

 志摩地中海村へ来て、彼方の船を見て、子供の時分毎年のように行った長島の海水浴を憶い出した。

 賢島へ来て、小さな店でサザエを食べている人を見た。広島で旅行した頃の事を想い出す。この辺まで来ると色々な記憶が限りなく頭に浮かんで来た。

 昼時に私は賢島の定食屋へ入った。私は荷物を置いて、賢島うどんを頼んだ。

 私は其処で昼食を取った。

 昼に近づくにつれて客がたて込んで来た。硝子戸の開け閉めの音がする。

「賢島うどんを頂きたいのですが」

「今日はちっと売り切れて居るんですが、伊勢うどんじゃいけませんか?」と店員の老女が云った。

「じゃぁそれで」こう云ってメニューを閉じたが、又直ぐ開いて、
「よろしくお願いしますよ」と云った。

「すみませんねぇ」老女が云う。

 店内では丁度家族連れが食卓を囲んだ所だった。

「座りなさい!」と母親が息子を怒鳴った。

 鋭かった。女はテレビを見て疲れれた様子だ。―せまった眉、こけた頬、けわしい眼、所帯じみた服。私はこう云う女の姿を見た。私はその子の母親に同情した。が、同時に私は私の或る心が一種の満足を感じて居る事も感じた。

 食事をして他人の話を聞いて居ると、一時を過ぎた。土産の伊勢うどんを買い方々、賢島の港へ行く事にして、其処を出た。

 港の饅頭屋で買い物をして船が停車場で止まるのを見た。私は何となく疲れて居た。然し私は出来るだけ今日を、愉快なものにしたいと思った。

 宝石店で真珠のネックレスを一つずつ見た。

 海沿いを防波堤に沿って歩いた。賢島の船着き場に海賊船があり、あとは牡蠣小屋の店の前を歩いて行った。

 行き止まりに着いた。雨が強く降り出した。直ぐ目の前に英虞湾の海が見える。年寄りの連中は喜んで傘をさしていた。若い連中はさっさと帰って行った。

 大王崎灯台から英虞湾の夕方の景色を見て行くのが私の予定だった。然し雨で、岬からの景色は、良くないだろうと思い行く事を辞めた。

 御座白浜に来て、奈良の叔母の事を考えて、私は「歳を取った」というような心持になった。

 車を停めると乾いた白い砂浜へ出た。私は何もない砂浜を波打ち際の方へ歩いた。まだ春の末に近かったから海岸に遊んでいる客らしい人の姿は見えなかった。

 波打ち際で私は裾をまくって、寄せる波に手を洗わして遊んだ。
「もう二時だ。車に乗って、桐垣展望台へ行って見よう」
 履いていた靴には所々に砂がこびりついて居た。そして身体だか、服だか、磯臭いにおいがして居た。

 国道二百六十号線を通り、志摩大橋を渡って行った。

 桐垣展望台からの景色も、私は眼を離さず見て来た。英虞湾とは反対側の丘から猫が下りて来た。平地へ来ると私の立っているところへ駆けて来た。間もなくもう一匹の猫も下りて来た。

 鷲が飛んだ。志摩の猫達とは其処で別れた。私は一時間程して漸く鵜方に戻った。ホテルへ戻った時は全く日が暮れて居た。

 風の少しもない暑い夜だった。ホテル内を見渡した所ではソファーに座ってテレビを見て居る客が二人だけであった。私は四階の椅子に倚りかかって唯ぼんやりとして居た。生温かい風が窓から少し通る。

 ホテルのロビーへ行った。泊まる人も帰る人も無いので亭主は退屈そうにしていた。此処に湯はあるかと尋いた。男は汗ばんだ赤い顔をしながら湯まで案内した。風呂場の硝子戸は白くぼかしたように薄汚れていて、それから照明はかびかかって黒く滲んでいるいるのが、暑苦しいきたない感じがした。その次に男は沸かしたばかりです、と云った。私は思い切って湯に入ることにした。部屋に戻り、片手にプラスチックの小さな剃刀を持って、もう一つの手に濡れ手拭いを持ち、それで頻りに額のあたりを拭きながら風呂場に戻って来た。

 客は一人もいなかった。私の前に誰かが風呂に入った形跡がない。一番風呂らしい。

 温泉に入ったが、車で山路をゆられた疲れで、夜は早く床に入った。私は白い枕を胸に当てながら寝た。

―日
 四月三十日 (土) 本日は旅行です。特にやることはありません。疲れをとって写真を軽く撮るぐらいです。鵜方駅周辺に行きました。

―日
 五月一日(日)もう五月です。本日は旅行です。携帯を失くさないようにポケットの中にしまうべきでしょう。あとは散らかったものを片付けましょう。英虞湾についての眺めなんかを詩作できると思いました。今日は寒いですよ。何を持って行くかはわかりませんがなるべく身軽な恰好にします。あとは少し本を読みます。
(日記はここで断られている。)

 翌日、ホテルを出て、五キロばかりある志摩のスペイン村へ来た。入園し暫く園内のレストランで昼食を済ました後、気になったくるみ割り人形のアトラクションを見付けて、其処に入る事にした。其処で私はベッドの傍にきたない鼠の模型が凝っとうずくまって居たのを見た。するとくるみ割り人形が十匹余り一時に部屋の中の鼠を叩き始めた。仕舞に壁へ飛び上がった鼠は其処で死んで了った。

 氷の館へも入った。氷のベッドがあり、その昼は館で静かな気分になった。氷の中に咲いた向日葵から自由ないい気持ちがした。私は氷のベッドの中で読みかけた本を読んでみたい心持がした。知らぬ間に寒さで鳥肌が出て、それから耐えられなくなって外に出て了った。少時すると十二時の時の鐘が聴こえた。

 園内はいい所だった。ベンチで寝ころんで居て色々な物が見える。直ぐ前に劇場がある。其処にフラメンコショーがある。昼間からカーンカーンとタコンの音をさせている。劇場の向かい側に映画館がある。入館するとスクリーンの中でドン・キホーテが絶えず歌を唄いながら旅をしている。その声が山の遥か高い所を通って直接に私の所に聞こえて来る。午後、私は延び延びした心持で、座席に腰かけて、そういう映画を見ている。遥か下に、カップルがスクリーンの方を向いて肩を寄り添っているのが、小さく小さく見える。その上を三四匹のキャラクターが忙しそうに戦っている。映画が終わると女のアナウンスで映画館を出る。

 こう云う普段とは異なった旅が私を喜ばした。私は落ちついた気分になってベンチに寝ころがって休んでいた。日が翳るまでそのようにした。私は心地よい睡眠を取る事が出来た。

 私は段々と疲れて来た。バイキングのアトラクションに乗ったせいか頭が重く肩が凝って何となく不機嫌になって来た。メリーゴーランドに乗ったら目が回るようになった。楽しむという事が全く出来なくなった。一生懸命に酔いを覚まそうと努力する。やっとの事で漸く酔いが覚めると気持ちの悪い精神の疲労を感じながら暫くぼんやりと深呼吸を続けた。然しやはり気持ちが悪い。私は顳顬から額の辺に我流のマッサージをする。それで足りないと両手で顳顬をぐるぐると長いあいだ押している。その内に又ふらふらとして来る。然しどうしてもめまいが治らない、・・輪郭のぼやけた金色のたてがみの回転木馬が眼の前に現れて来る。それはポニー程の小さな馬にも思えたが、「いや、それ程大きな馬ではない」とこんな事を私は考えている。私は又めまいになると思う。そしてなるべく日差しを避けるように歩く。「ああこれは自分の幻覚だな」と気がつく。 
 
 私はホテルへ帰る事にした。それからぶらぶらと無為にその日を過ごした。不規律なそう云う旅を続けている身には一日と一日との間に殆ど境がなくなった。旅を続けてもう三日になった。頭は重く肩は益々凝って来た。肩の凝りは眠っても、運動をしても、薬を飲んでも治らなかった。

 こんな事をしていても仕方がないと思った。鳥羽湾めぐりの旅を思い立った。天気さえ良ければ、遠く鳥羽の島々が眺められる。その方へ行く事にして翌朝鳥羽へ車で向かった。最初に国道一六七号を運転した。其処でのドライブは私を楽しませた。前方の山路をくねくね行く車、セリカが気になって来た。セリカは四十年前の車である。そのセリカは白色に全塗装されウィングが付いている。然し奇怪しい。カーナビのない時代に製造された車なのに車の後方にはバックサイドモニターが付いている。改造車か?それに加え、ストップランプも改造されているようだ。驚いた事に若葉マークだ。運転手は十八歳の免許を取り立ての青年かもしれない。或いは父親がカーショップを経営しているのかもしれない。何故なら車の運転が物凄く鈍いからだ。スポーツカーなのに。法定速度をきっちりと守っている。もしかしたらサングラスをかけてミニスカートを履いた十八歳の女なのかもしれない。私はその車の持ち主の事が気になって来たので車の後を追うことにした。私の趣味は知らない車を追いかけることである。山路をひたすらくねくねと行った。稲の水面は鏡面の輝きを見せていたが近くにソーラーパネルが乱雑されていたせいか味気ない。途中でその車は有料道路第二伊勢道路に入っていったので其処で車を追うのを止めた。

 私は鳥羽へ着いた。私の心は少しも休まらない。其処でそう遠くないと聞いて私はイルカ島へ行く事にした。丁度イルカ島でイルカショーとかアシカショーの催しをした日だった。船に乗ってイルカ島へ着くまでの船内では大勢の家族連れとすれ違った、イルカ島が見える頃には漸く民家も少なくなった。私は静かに眺めていた。私の心も流石に落ちついて来た。
 島へ着くと私の気は高揚として来た。其処は島というより水族館だった。来客は大勢で、入園して歩くと硝子張りプールがありイルカが仰向けになって泳いでいた。リフトに乗って私は休み休み静かに山頂の展望台まで登って行った。景色はいい所だった。名も知ぬ島々が至る所に静かに浮かんでいる。遥か下には船が見える。私はいい景色だと思ったが、鳥羽の岬の浜風はいささか寒すぎた。

 私はイルカ島でイルカのショーを見たが、厭になって直ぐ帰って来た。鳥羽湾めぐりの旅は結局何にもならなかった。

 私は又船に乗った。島から戻っている途中、私は益々単調な日々になることが苦しくなった。それは単調よりも全くの孤独が私を弱らしめる。私は故郷が恋しくなった。携帯電話で誰か友達にメッセージを送って見ようかと思ったこともあった。私は自分の顔を顰め、眉間に皺が生じて了ったような気がした。私は自分が何年もの間、朝から晩まで絶えず陰気臭い生活ばかりしていた事に気がついた。何の刺激もないつまらない毎日、ただ時間だけが流れるだけの毎日。第一、窓とカーテンを開けて胸一杯の息もしていなかったと思った。

 風の強い午後だった。私は静かな所でてこね寿司でも食べて見ようと思って、市を少し出はずれた岩崎商店街へ行った。大衆食堂が三つ程あった。私は海の方を向いて立った。お腹を空くしては唄うべき歌もなかった。私は或る店のシャッターに描かれている壁画を見た。Where are you going? 何だか力のないいやな人魚が云っていた。よくわからない。無理に近づくと妙に悲しい気分になる。生温かい浜風が背後から烈しく吹きつける。牡蠣小屋から黒い煙がその風に押しつけられて青空にちぎれちぎれになって飛んで行く。私は人間になれない人魚のような悲しい気分になった。

 その日は穏やかないい日和だった。午後十二時頃私はぶらりと鳥羽さざえストリートの前を歩き鳥羽駅周辺の町へ出かけようとした。町へ出るには駅構内のスロープを通らなければならなかった。二階の通路まで来ると車が六車線の中を忙しく往来していたのが見えた。私は立ち留まってぼんやりそれを見ていた。「落ちたらあぶない」というような事を考えていた。それが、車があぶないのか自分があぶないのかはっきりしなかった。然し車があぶない事はないと気がついた。自分も駅構内の中にいるのだから、あぶない事はないと思った。そして私は通路を越えて鳥羽一番街の方へ歩いていった。
「死にたくはないな」私はこんな事を考えていた。

 鳥羽一番街の小さい神社の前を通った時、ある事を思った。其処に純粋な若い女が一人願い事をしていた。私には非常に愉快に感ぜられた。私は時々その女を見て居た。

 それから私の気分は変わって来た。爽やかな気分が胸を往来し始めた、それは純粋でそして透明ないい感じだった。この感情をはっきりと言葉にする事は出来なかった。兎に角、その女の願い事を訊きたいと云う欲望ははっきりとしていた。若し訊くことができると考えると、それからは空想になって了う。

若女に願い事を訊くという事は迚も出来ない事に思われた。どれ程恋愛成就をしたいかは明らかに想像された。私は一人っ子に違いないと考えた。

 私はそれから伊勢志摩海産物専門店へ伊勢海老を見に行ってみた。が、振り向くともう女の姿はなかった。

 私は一二時半頃、戸外のベンチで噴水の音を聴きながら眠った。私は三ヶ月の間自分が製作に携わっている映画に出てくる我強い精神病室者の女に刃物で刺される夢で苦しめられていた。私の脇腹を何度も切り刻んでくる。結婚を断れば自分を殺すと云っている。私はその結婚を断ろうとするが、精神病質者の女はそんな現実を受け取めない。私は小説を書きたいんだ、と云って、泣きながら土下座をした。私は急に恐ろしくなって、ぞっとした。その時「夢だな」と気がついた。私は思い切り彼女に刺された。そうして眼が醒めた。―午後の一時頃だった。イルカの噴水から水が噴出していた。

 私は起きて、なるべくイルカの銅像に近づいて写真を撮った。静かな海の音が聴こえる。私は縁へしゃがんで、鳥羽の島や海の景色を眺めていた。すると後ろの方から女の唄う声が聴こえて来た。私は一寸不安を感じた。然し直ぐそれは後ろのスナックカラオケからの演歌だと気がついた。

 私は兎も角、早くこの土地を離れなければならないと思った。 

 私はもうあの精神病質者の女の事を考えなかった。私はこれから起こる色々な困難に対して、もう意志的な努力で対処するより仕方がないと思った。私は元々あの精神病質者の女が出てくる映画の構想をそれ程愛しては居なかった事を今更に考えた。然し若し神社で見たあの美しい若女と芝居する場合を考えるとそれはもっと複雑な不快に思われた。

 私は前の晩とは全く異なった感情で、多気郡多気町のヴィソンへ向かった。

 私はそれまではよく外国行の計画をしていた。然しこの時分からその望は自ら殺して了ったのである。

 自分は近頃、何かに呪われているような気がする。

 これは自分の生理状態から来ているのだ。

兎も角自分には仕事がある。こんな瑣末な事に拘泥ってはいられない。今は行く事は出来ないが、もう少ししたらフランスにでも行きたいと思っている。

―ゴールデンウィークは大概気分がいいのだが、今年は少し変だ。生活の変化に心身の調子を狂わしているようだ。それにしても早く体調をよくせねばならないと思う。

 フランスへ行きたいと思ってもフランスはあまりに遠い。せめてマルシェに行ってきままな旅に出てみよう。

 午後、車を山の高台の駐車場に置いて、ヴィソンへ入った。或る店へ入ると、曲げわっぱ弁当などが店先に並べてある。白木の曲げわっぱは杉でできている。

 弁当箱を見始めると、暢気だった小学生の時分のなつかしい気分の再生とこの町の昔風な気楽な風情とから来る気分で、私は久し振りで何ともいえない胸が軽くなったような気持ちがした。

 小学生迄は私は澄んだ頭脳と澄んだ心を持った少年だった。然しその後段々と私の心はおかしくなって来た。でも頭まではおかしくならなかった。然し大人へなってからの生活の荒み方、いつかそれが恐ろしい習慣となって、今の私の心にこびり着いて了った。こうなると、今まで澄んでいた頭脳迄が段々おかしくなって来る。初夏の弱い日光にすら眼をはっきりと開いて居られないような心持になって来る。頭は常に重くて、物を云うにも云いたいことが、直ぐ口に出て来ない。それよりも先に癇癪が起こって了う。

 こういう間にも、私自身、やはり頭がおかしくなりつつあったのである。

 マルシェへ行って、バナナジュースを買って、休憩しようという時だった。

「新鮮なトマトはどうですか?」と男が三重県産のハニーオレンジ、スイートルピー、イエロープラムなどを一箱抱えて持って売っていた。一つひとつ選って見たが、何れも酸っぱそうなトマトばかりで、中に食べやすいヘタの無い「スナックトマト」というのが、売られている。まだ食べたこともないし、美味しそうでもあるが、いかにも酸っぱそうなので、食べる気がしない。

 積んであるトマトの箱の後ろの店にはオレンジが四五種類あった。日向夏、セミノール、せとか、カラマンダリンである。「フルーツほおずき」と云う柿に似た果物が違う店の棚に売られている、私には一種のなつかしい気分が湧いて来た。

「もう、考えすぎるという事はいけない」と私は独り首を振っていた、考えていると、其処に責任が生ずるようで、今は考えるという事が何となく恐ろしくなって来た。それは絶望的になった人間のする事、理性の失いかけている人間のする事。

―何の責任もない、何でも出来る。

 若者が芝生の上で腰かけて酒を飲んで居る。私は長閑だな、と思った。

 伊勢・志摩へ行ってから私は丈夫になった。そして五月三日の夕方に帰って来た。それからも私はよく伊勢・志摩の旅の事を思い出して居る。 

あとがき


 ここに選ばれた詩は、2022年から2023年にかけて書かれたものである。『赤い切妻屋根の小屋』は詩人・重吉陽一郎氏の傑作コレクションに収録されているものである。 また『五月の茶臼山』は愛知県瀬戸市の文芸作品集「窯火」第71号に収録されている。  

 詩 I は2022年に書かれたものであり、詩 II は2023年に書かれたものである。年代別の分類といっていい。  

  かつて発表したエッセイや詩に関しては、わずかながら、改変が加えられている。しかしながら目には映らないくらいわずかなものである。 例えば、『車窓からの富士山』の3連のオリジナル・ヴァージョンは「そしてそれを実行する!こんなふうに、言葉と写真をもちいて」が「こんなふうに、言葉をもちいて」と改変されている。したがって、改変は改変である。  

 2つのエッセイは2018年と2022年に発表した。『私の職業観と意見 - 自己の理想とバランスを追求して -』と『環境問題について、私のできること』である。本短篇集に収録するために、この春に書き直した。

 もう一言だけ。この短篇集には収録されていないが、写真『富山県 射水市』という記事が2022年にスマートニュースに掲載された。そちらも見直してほしい。 また目次の前に、Haiku (俳句)『Ealy Summer (初夏)』を添えた。2022年の秋に、ニューヨークのザ・ポエトリー・ソサエティーに寄稿したものである。

 自分はいつもエッセイ・詩・小説を書き直している。今回も一部の詩は書き直しているし、2つの書き直したエッセイを収録した。書き直された文章を出したいものだ、と。これが私のスタイルである。

 短篇小説についていえば、2023年には『伊良湖デイト』と新作『伊勢・志摩物語』を執筆している。そして、それらは本短篇集『赤い切妻屋根の小屋』に収められた。オリジナル・ヴァージョンのかたちをとっている。

 このように、旧作の詩やエッセイをもう一度じっくりと見直し、手を加えられる機会を与えてくれたnote株式会社に謝意を表したい。

名倉 康晴

午後の静けさの中、私のオフィスにて
2023年5月12日


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