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忘れるの前に浸りたい

人には、忘れてしまいたいことと、忘れたくないことが沢山あるであろう。例えば、会社の忘年会で誤ってパーリーピーポーが集まるお店をチョイスしてしまったこと、先生のことをお母さんと呼び違えてしまったこと、両親がいないと思って彼女を家に連れてきて、ちょめちょめしてたら、お母さんが帰ってきてしまったこと。いつだって忘れてしまいたい記憶というものは、意図せずできてしまう。だけど、これらの過ちが記憶から葬りさられたら。それはそれで、薄っぺらな人生になってしまうのかもしれないと気づかせてくれたのは、今日見た「エターナル・サンシャイン」という映画であった。ポスターもタイトルも、いまいちなこの映画を見ることになったのには、ちょっとした訳がある。

それは、遡ること、2日前。いつも通り仕事が終わらず夜遅くまで残業していた僕の元に1通のLINEが届いていたことに気づいた。その送り主の名前を見て、僕は思わず天を仰いでしまった。送り主はそう、前の彼女からだ。

前回のnoteでも書いたのだが、前の彼女はどうやら最近新しい彼氏ができたらしい。今更、何の用なんだと思い、恐る恐るLINEの内容を見てみると、「明日実家に帰るついでに借りていた合鍵を返したい」とのことだった。もう今更、そんなものいらん!せっかく忘れかけていた苦しい思い出を呼び起こさせないでくれー。と思ったのだが、ここで逃げたら男が廃る、最後まで彼女には良い顔をしたいという謎のプライドから、彼女と会う約束をしてしまった。

そして次の日、彼女と街で会うことになった。彼女から彼氏ができたことを報告されるのだろうと思っていたのだが、男という生き物は馬鹿なもので、もしかしたら、「新しい彼氏が出来たけど、やっぱり安田くんのことが忘れられないの!」と復縁を迫られるのでは?という期待を心のどこかで抱いてしまっている自分が居た。彼女と駅で待ち合わせをして、昼食を食べに出た。仕事の話や、大学時代の友人の話など、差し障りのないことを話しては、お互いに、いつ本題を切り出そうか探り合っているような、そんなヨソヨソしい空気が僕ら二人の間に流れていた。そんな空気を察してか、彼女がいきなり鍵を僕に差し出して来た。僕は鍵を受け取ると、思わず「彼氏できたんでしょ?」と、直球を投げ込んだ。どうかその噂が嘘であってほしい、否定してほしい、その類の強い想いを込めて投げた直球だった。彼女は「うん、彼氏できた」と、ぼそりと答えた。

この一言が、どれだけ僕に重くのしかかって来たことか、そこからは返す言葉が出てこなくなって、僕らの間には沈黙が流れた。

そんな昨日を過ごしたこともあり、メンタル抉られてしまった僕は音楽や映画に逃げた。失恋映画を見たいと思って、ネットで「失恋 映画」と調べて出て来たのが、前々から敬遠していた「エターナル・サンシャイン」だった(本題までの道のりが長くて、すみません)。

この話は、簡潔に言うと男が振られた彼女の記憶を消そうとする物語だ。「世にも奇妙な物語」ぽい感じなのだが、ある日男の元に、付き合っていた彼女が自分に関する記憶を消したと言う手紙が届く。そして彼もまた彼女の記憶を消そうと試みるが・・・。と言うあらすじだ。忘れたい過去を消してもらえると言う、今の自分と境遇が重なるからか、すごく見ていて心苦しくなった。僕だって、彼女との思い出を忘れ去りたい。そうすれば、こうやって打ちひしがれることもなく、何事もなく日々を過ごせるのに。映画の中で、心に残る言葉が出てくる。「忘却は、よりよき前進を生む」最初、いい言葉だと思った。過去を忘れることは大切だと思った。でも、物語が進むうちに思い始める。果たして、全てを忘れ去ってしまうことは良い事なのだろうか?と。

僕らがどんな風に出会って、どんな風に付き合ったのか。最後に交わした言葉や、苛立ちや悲しみ。忘れ去ってしまいたい記憶もあるけど、果たして全て消したい過去かと言うと、そうでもない。忘れたくない大事な思い出が、彼女と僕だけしか知らない、互いに分かち合った時間がある。映画は映画らしく綺麗に終わる。僕の人生には、映画のようなドラマチックな展開はないとして、でもどこかでまた期待している僕がいる。とことん男って馬鹿なのですね。もうしばらくは、君との思い出に浸っていたいな。だって、人って嫌でも忘れて行く生き物なのですから。

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ムムム。