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没頭。忘我。入り込む。本当のあなたはそこに隠されている。

その世界に入り込み没頭して時間の感覚がなくなる。
誰でもそんな体験をしたことがあるはずだ。体を動かしている時にそういう状態になる人もいれば、何かを制作中にそうなる人もいるだろうし、本や映画や絵画などの作品に触れている見ている時にそうなる人もいると思う。
思い出してみて欲しい。どんな時、何をしている時にそういう状態になったのかを。そこにきっとあなたの人生の扉を開くカギがあるからだ。

今日ふと一冊の本を読み始めた。かなり昔に買った本だが、実は買った当初に数ページ読んではみたものの、まったくと言っていいくらい内容が頭に入ってこなくて、小さな本棚に置きっぱなしになっていた。私は断捨離の癖があるので、定期的に本はブックオフなどに持って行って処分するのだが、この本は処分できずにずっと本棚に差されたままだった。
なんかふと、今日、この本を読もうと思った。一冊読みかけの本がある。読みかけの本があると他の本に手を付けられない性格なのだが、直感に従ってみよう、そう感じたのだ。

あんなに読むのに苦労してまったく頭に入ってこない本だったのに、今読むことがあらかじめ決められていたかのように、自然と理解できる。しかも脳内で映画のように情景までもが思い浮かんでくる。なんなんだろう?

私は基本的に、深い精神性が底辺に流れているもの、記号や象徴などがちりばめられたもの、意識がトリップしてしまうような錯覚に陥る世界のもの、孤独で情緒的な感じがするものが好きだ。村上春樹、新海誠、ウォシャウスキー姉妹、ホッパー、クリムト、エッシャー、ジャズ、クラッシック……etc.
月星座が蠍座だからだろうか、ディープなもの、哲学的なもの、情緒的なものに惹かれてしまい、その世界を感じると時空間の感覚がなくなるのだ。

自分は何者か? 何を目指してどこに向かっているのか?
そんなことをずっとずっと探求している。そもそも人はスピリチュアルな存在だ。スピリチュアル(魂)の存在が人間を演じているということは頭では理解している。それをどこか体感したいという欲求が人よりも強いのかも知れない。自分の本質を探求すること、自分自身を感じることに対して極度に真面目過ぎるのかも知れない。それを今まで人の目を気にしたり、「普通」に見られようとしたり(普通ってなんだ?)、もっと言えば「いい人」に思われようとして(いい人ってなんだ?)自分じゃない自分を演じてきたのかも知れない。だからこそ、私は「自分になる。自分の本質に還る。」ということを追求しているし、おせっかいかも知れないが他者にも提案、要求しているのかも知れない。こんなことをここ最近感じている。

もっとリラックスして呑気にお気楽に生きたい、と思う。が半面、それってまったく自分らしくない、とさえ思ってしまう。人に注目されたい、役に立ちたいと思う反面で、一人孤独になりたい、誰にも知られたくない、とも思う。相反する矛盾がひとりの人間の体の中にいる。
「難しい人だよね」と人は言う。「わかりやすい人だよね」とも人は言う。
私はひとり心の中でその矛盾した意見を受け容れる。両方俺だ、と。

人はどこかで自分じゃないものに惹かれつつも自分の感覚に似たものを探している。無意識のうちに。だから心惹かれる外側にあるものを五感で感じ取ることで自分を知る。自分に近いもの、自分が持っているものに触れると、時空間の感覚を失い、没入できるのではないだろうか。
実は私は文章を書くことが嫌いだと思っていた。文章なんて書けるわけないと思っていた。それくらい小中学生の頃に書いた文章は惨憺たるもの、悲劇的なものだった。人に見せても「なにこれ、ひどくない!?」と言われる代物だった。でもきっと、私は文章を綴ることが好きなんだと今は思っている。書いていると、ある意味、癒される。内側にある感情を表現できて癒されるのだ。他者にしてみたらハッキリ言って何の得にもならないし、お金にもならない文章だが、私自身には効果的な癒しのツールなのである。

かなり脱線したが、自分を知るには没入できるものを見つけるのが手っ取り早いということだ。静かに目を閉じて瞑想するよりも瞑想している。没頭できることをいくつも持っていると本当の自分を早く見つけらるし、充実した時間が過ごせるということ。いつもサクッと書きたいと思いながらも、ダラダラと長く書いてしまうこの性質をなんとかしたいが、これも自分のスタイルだと思うと、少しは愛おしく感じる。

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