世界を広げることは、視野を広げること。

自分らしく生きたい。

そう願いながらも、現実は引きこもりの自分を変えられず、理想と現実のギャップに苦しんでばかりいた時期がある。ほんの、2、3年前の話。
わたしにはその頃、苦手なものがたくさんあった。都心の人混み、運動、人と長時間話すこと、朝早く起きること、何かにずっと没頭すること……。

わたしの世界は狭く、息苦しいオーラが充満していた。わかりやすく言うと、ネガティブに1日をスタートさせて、ネガティブに1日を泣いて終えていた。毎日悩みごとが尽きないため、時間的余裕があったにも関わらず、それは気分を落ち込ませる要因でしかなくなってしまっていた。22歳でうつ病を患って以来、自分に対しての信頼を完全になくしていた。

ところで今日、わたしはジムへ行った。個人的な話だけれど、私生活でショックを受けたできごとがあり、その後もやせがまんして根を詰めて働いてしまった結果、バーンアウト症候群(燃え尽き)のようになってしまっていたのだ。
これまで楽しいと思っていたはずのことが、楽しいと思えない。意欲も持てず、家にいてもぼーっとするだけ。これはまずい、と焦った。万が一にでも悪化して、うつの再発なんてことになればまたマイナスからのやり直しだ。

「とにかく、からだを動かして何も考えなくていい時間を作ろう。」

気怠いからだを無理矢理ひきずって、ジムへと向かった。
結果的に、大正解だった。

ジムはある意味、"環境"と言ってもいい場所だと思っている。ジムという場所には、意識高い系といわれる人たちが多いし、筋トレをしながら落ち込んでいる人もいない。こういった"環境"に囲まれながら、さらに自分も本気でからだを動かしていると、悩みなんてどこかに行ってしまった。
もちろん、日常に帰ればまた悩むこともあるかもしれないが、むしろジムを日常に入れて習慣化してしまえば、もう悩むことなんて怖くもなんともないじゃないか。

そしてジムで久しぶりに肉体を酷使し、有酸素運動のマシンで走りながら感じた。

「そうか、わたしには世界を広げるための行動が足りなかったんだ。
だから視野もせまく、いつも同じ行動にとらわれていたんだ-ー。」

ここで急に現実的なエグいお話をぶっこむと、ジムというものは習い事にしてはお金がかかる。入会金、月謝、ロッカー代、その他初期に必要な経費もかかってくるので、初期費用で2~3万円弱くらいはみておいていい。

そしてあんまり言いたくない言葉だけれど、新しい世界に飛び込むときにはお金がかかるのだ。しかも、これまでの自分だったら手の出せなかった領域こそ、自分の可能性を広げてくれる確率が高い。するとお値段のほうも、ちょっと張ってしまったりするのだ。

「お金がなきゃ視野は広げられないの?」

そんなことはない。ただ、劇的な変化を望むのならお金はあったほうが選択肢は増えると思う。例えば、ジムに通えなくても運動がしたいだけならお散歩でもいい。ただ、環境をガラッと変えたいと思ったとき、人はいままでなら選ばなかったほうを選んでいくことになる。

わたしの場合はいつも、自分のできる範囲をやってきた。

できる範囲で行動し、ちょっと無理そうなことには挑戦しないようにしていた。ストレスがかかることで、またうつ病を発症したらどうしようと怯えていたから。それに、お金もないのに新しい行動どころではなかったんだ。

でも、いまなら「その考えかたじゃあいつまでも同じループから抜け出せないよ」と、過去のわたしに教えてあげられる。できる範囲でやれることをやる。これが大切だからこそ、行動範囲はいつも広げ続けたほうが楽しい。

ようは、基準値をあげるんだ。

自分はだいたいこのくらいだろう、という基準が誰しもあると思う。
自分の能力ならこの仕事は1時間くらいで終わるだろう、自分の性格ならこの辺のお店のほうが落ち着くだろう、そうやってわたしたちは自分にふさわしい選択を毎日している。

もし、そもそもの基準が高ければどうだろう?

世界は広がるし、可能性は無限大、視野も変化すると思いませんか?

自分にふさわしいものを人は選ぶ。

そして、何をふさわしいと思うかは、「自分はだいたいこのくらいだろう」という基準値によって変化する。意識高い系になんてならなくてもいい。大切なのは、自分で自分の価値を、きちっと客観的に見て評価できること。そして、自分を信頼することだ。


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