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1/6 情熱を持って挑戦する人生を歩む。


「note更新を辞めよう」と静かに決意してから1ヶ月ほどが経って、また細々と書き始めることにした。1日にブログを2記事更新+noteが大変すぎて辞めたものの、ブログよりnoteに可能性を感じてしまっているからだ(笑)

上手く個人を打ち出さないとそもそも見てもらえないブログと、タグひとつで広く均等に見てもらえるnoteは、あくまでもわたしの直感だけどこちらが伸びるだろう。決めきってはいないけれど、ブログの更新頻度を落としてこちらに移ってこようと考えている。積立型のコンテンツ自体、古いものになっていくかもしれない。

文章をメインとしたコンテンツは全てここに凝縮して、無料も有料もごちゃ混ぜ。いまのところは。ブログ構築することで学んだことや、実践したことはすべて書くか、サロン開設したらそこに流して友人にもタダでじゃんじゃん教えてしまおうと思っている。とっておいても腐っていくだけ、循環させていく。

ということで今日もひとつビジネスの話。

プロ意識とアマチュア意識の違いはなんだろうかと真剣に考えた時期があった。なぜプロはあんなに「プロっぽい」のか、なぜアマチュアは「素人っぽい」のがバレてしまうのか。単純に、実力差だ。

プロはそこにかける情熱も、努力も、だからこそ才能も圧倒的にアマチュアを上回っている。その自信がオーラとなり全体を包んでいる。見えない場所でやっている努力が、なぜかはたから見てもプロっぽいぞという感覚に表れる。

わたしの周りにはアマチュアの知り合いがたくさんいたし、自身もずっとアマチュアだった。そんなわたしが一度だけ、YouTubeで「プロっぽいね」と認められたことがあった。その動画の編集には4時間以上は確実にかかっているし、こだわりを持って真剣に作った。クオリティ勝負だった。

つまり、そういうこと。その個人がじっさいにプロかアマチュアかという基準で決まるのではない。意識の問題だ。プロ意識を持って、取り組んでいるか?

視聴者やお客さんは、見るところをしっかり見ている。その人たちを喜ばせるためのコンテンツは、やはり圧倒的に価値がないといけない。わたしはゆるいものが大好きだし、テキトーに生きていきたい人間だ。だからこそ、締めるところは締める。ゆるさやテキトーさが"雑さ"になっては途端に品位が落ちるのだ。

わたしはどちらかというと素直じゃないので、こういうことばかり机上で考えてきて実践はほとんどしてこなかったのだと思う。だから成功もしてこなかったし、いまやっていることが実を結んで成功できるかどうかもわからない。それでも圧倒的クオリティ、圧倒的継続で、一心にやっていこうと思っている。一生懸命になってやったことが無駄ってことはない。報われなかったとしても、何かが残る。その何かをもとに、また次へ進めばいい。

器量よくうまくやろうと立ち回って利口ぶるほど、つまらないことはない。自分もつまらないし、周りもつまらない。


と、少し話が逸れたけれど、とにかくコンテンツを生み出すこと。そしてその瞬間の最大風速で取り組むこと。それが次への扉を開き、高クオリティを生みだしていく。
不思議と「やって失敗したらどうしよう」と思い悩む人が多いのだけど、どう考えてもやらないほうが損だ。やって起きる失敗なんて恥をかくくらいで死ぬわけじゃない、借金でもしない限りはローンを背負いこむこともない。やったら経験になる、わかることがある、次に活かしていける、おまけに楽しい。やらない理由はない。

わたしは人生に失敗したと死ぬ間際に思うほうが怖い。それはもう取り返しがつかない。いまやって失敗しまくっておけば、人生には失敗せずに済むかもしれない。

挑戦することは「えいやっ」と一瞬気合いを入れるだけだ。たったそれだけだ。

そのときに全身を駆け巡るドキドキ感や、湧き立つ感情こそが人生の真理。そうじゃなきゃ面白くない。情熱を持って挑んでいこう。

ということで、またね。たけっちでした。ばいばい!

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