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【ラーメン考】九州ラーメンは白濁豚骨スープの博多ラーメンが有名だけどルーツは久留米ラーメンだった!

ラーメンで九州と言えば博多ラーメンが全国区だと思うけど、その博多ラーメンのルーツは同じ福岡県の久留米ラーメンにあるったい!

まぁ、違うやろ!・・・って声は無視して続けるね?

昨今のラーメンブームの影響と、比較的に修行期間が短いことや開業における設備費用の資金面などで、独立開業がしやすいこともあって全国的にラーメン店が増えているようだけど、ラーメン好きとして博多ラーメンのルーツについて書いてみたい。

今やご当地ラーメンという地元産のラーメンが、ある程度の規模を持つ地方都市であれば必ず目に付くくらい、猫も杓子もの状態でラーメン店がひしめいているのよね。

おまけにコンビニチェーンが競い合って、有名店の味を再現したカップラーメンを発売しているものだから、名前の売れているラーメン店の味は簡単に家庭や職場で味わうことができる、便利な世の中になったもんだわね。

コロナのせいで緊急事態宣言が解除されても、外出自粛が緩和されても内食の頻度は落ちないと思うし、コンビニで競って出される新商品も手を替え品を替え発売が続くのだろうから、ラーメンも品揃えが増えるね?

とは言っても、売れ行きの悪いカップラーメンは静かに退場させられて、陳列棚から姿を消すんだろうから、目にとまる種類としてはさほど変化はないかも知れない。

・・・って、コンビニの売れ筋分析をしてるわけでも、カップラーメンの販促の話をしようというのでもないのね。

九州でラーメンといえば?

そう、これをテーマにしたのよ。
冒頭ののっけから書いちゃってるけど、九州ラーメンというと博多ラーメンが有名なんだけどさ、その博多ラーメンのルーツが久留米ラーメンだって!

要するに「とんこつラーメン」としての発祥が、福岡県久留米市の「南京千両」さんていう屋台ラーメンから始まったと言うことなのよ。

残されている記録では、この「南京千両」さんが屋台ラーメンを始めたのが昭和12年の春のことなので、これ以前に屋台にしろ店舗にしろラーメン屋として「とんこつラーメン」を提供していた店は、他に存在しなかっただろうということで発祥となったわけね。

博多ラーメンのルーツは久留米?

博多ラーメンのルーツが久留米にあるということとは別に、博多ラーメンでも昭和13年~15年頃に中州の川沿いで「三馬路(さんまろ)」という屋台を始めた森さんという方がいて、博多ラーメンのルーツはこの屋台だね。

そして興味深いのがこの「三馬路」のラーメンスープは澄んだスープだったという点だ。現在のような白濁スープは「赤のれん」のラーメンが元祖になるらしいよ。

とんこつラーメンの澄んだスープに平麺という三馬路のラーメンは、上海から引き上げてきた先述の森さんが始めたのだけど、開業時期は先述した昭和13年~15年とも、昭和16年から17年とも言われているものの記録がないので、はっきりしないところがあるようだ。

その後、森さんと一緒に味を工夫していた森山さんという方が「五馬路(うまろ)」という店を始めたあと、廃業の時に甥御さんに受け継いだ味が「うま馬(うまうま)」というラーメン居酒屋に受け継がれて今に至っている。

いずれにしろ三馬路の創業は、昭和13年~17年の間であることは間違いないようなので、久留米ラーメンのほうがとんこつラーメンの発祥としてはルーツになるようだね。

白濁とんこつスープのルーツが久留米?

南京千両の久留米ラーメンも他の屋台も、当時は澄まし仕立てのとんこつスープだったらしいけど、スープを仕込む最中にうっかり火力を落とさずに買い物に出かけてしまって白濁スープにしてしまったことが、白濁スープの誕生と言うことになったみたい。

廃棄処分にしなくちゃいけない白濁してしまったスープにちょいと味付けして食べてみたら・・・・・・これが案外と美味しいじゃないのよ!これいけるわ!
・・・となって久留米系の白濁とんこつスープが誕生したというわけよ。

このうっかり八兵衛・・・じゃなかった、うっかりミスで澄まし仕立てのとんこつスープを白濁させて、瓢箪から駒を出しちゃったのが今は休業しちゃってる久留米屋台の「三九」さんだ。

ほんまにラーメン好きなら、三九さん、サンキューと言いたいね!

そもそもスープの仕込みには、寸胴(ずんどう)では火力が充分に行き渡るのに、羽釜(はがま)の倍以上も時間がかかるらしく久留米ラーメンでは、老舗といわれるラーメン店は羽釜を使っているようなのだ。

昔ながらの竈(かまど)だと、すっぽり羽釜を置けるもんね。羽釜の腰の羽根で蓋をした状態になって熱を逃がさないから、強い火力で炊き上げることができるのだとさ。うん、それは確かにそうだわね。

澄んだスープをとるなら炊き上がったら、火力をすぐに弱火にしてコトコトと見込んで旨味を引き出すというのが、世界共通のスープの仕込み方でその用途に適っているのが寸胴なのだ。

久留米ラーメンの白濁スープは羽釜で!

白濁スープの場合は炊き上がったまま強い火力で長時間煮込むことで、白濁のとんこつスープになるのよね。これが久留米ラーメンのスープだって!

博多ラーメンは澄んだスープで平麺だったのが、白濁スープの細麺を特長にする長浜ラーメンに変わっていったのだけど、白濁スープについては久留米から受け継いで赤のれん系白濁スープとなったのだろうね。

長浜ラーメンが細麺になったのは、魚市場が長浜に移転してから市場前にラーメン屋台が出るようになって、当時に流行っていた白濁スープに市場で働く人たちが短時間で食べられるように、サッと茹でて早く食べられる細麺になったということだよ。

だから博多とんこつラーメンと言っても、元祖は澄まし系の三馬路白濁系の赤のれんに分類されるし、赤のれん系の白濁スープも平麺だけじゃなくなったということだ。

そして市場のお客さん相手がほとんどという、需要に合わせた細麺に変わったのが長浜ラーメンと呼ばれて、博多ラーメンと同一視されるような誤解も生んでいるようだね。

なので順番で言うと白濁とんこつラーメンの系譜
久留米ラーメンの白濁スープ→博多ラーメンの赤のれん系白濁スープ細麺が特長の長浜ラーメン、という白濁とんこつラーメンの系統になるのかな。

もう一つの、澄まし系とんこつラーメンの系譜が、平麺が特長の三馬路とんこつラーメン五馬路(うまろ)→うま馬(うまうま)という系統か?

ルーツよりウマかラーメンが一番ったい!

まぁはっきりと言えることは、ルーツがどうとか、系譜がどうとか、どこで修行したとかも大事かも知れんけど、食べる人が美味しく食べられることが一番大事だよってことだ。

その伝統の味を引き継いでいるはずの老舗だって、昔と同じ味の店は少ないのだね。そりゃあそうだと思うよね、調理器具も進化してるし食材も豊富で貴重なレアものも入手できる時代になったんだもん。

昭和の貧しい時代にあり合わせの食材と、当時の調理環境で作り出した味がどう工夫のしようもないくらいに完成されていたなんて、とうてい思えないもんね?

食べる我々も同じ味のラーメンを食べ続けたとしても、そのまんま同じ味だと味が落ちたと思ってしまうのよ。慣れちゃうから舌が。期待値だけは高くなっていって同じ味でも違うやろ!ってなりがちなのよ。

だから常に味を探求しているお店の人というのは、お客さんの期待に応えられるように常に同じ味(と思ってもらえる味)になるように、努力・研鑽に励んでいるのだよね。

結局、変わらない美味しさの秘密というのは、気づかれない程度に少しずつ、味を変えて進化させていることだ。逆に言うと変わらない味を選択した時点で、味が落ちたと評価されることを覚悟して、頑なに同じ味を提供しなければいけないということだ。

それも貫き通せば、老舗となりラーメンのスタンダードになり得る選択肢ということだね。

ちなみにラーメン食べるときも、スープ残さず飲み干すのがお店に対しての礼儀なんだってさ!

そうすりゃ、メタボ街道まっしぐらでっせぇぇ~~~ッ!

まぁ、飲み干すかどうかは置いておき、美味しそうに食べることをオススメしますよ。なんだったらこちらの記事でお勉強、よろしく。


ってことで 今回は
【ラーメン考】九州のラーメンは白濁豚骨スープの博多ラーメンが有名だけどルーツは久留米ラーメンだった!」というラーメンの話。


では!

ちゅるちゅるっと のほほんラーメンだわ。

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