2017年マンガ&書籍&映像ベスト10
ごあいさつ
こんにちは、うさぎ小天狗です。
こちらでは、ぼくが2017年に読んだマンガ、書籍、映像の中から、厳選したベスト10を発表します。
小説、映画は個別のベストを設け、たっぷりと思うところを語らせていただきましたが、こちらは各ベスト3+αの合計十作についてさらっと流して行こうと思います。そのかわりと言ってはなんですが、相棒の下品ラビットがちょくちょく顔を出しています。彼のコメントもお楽しみください。
例によってベスト10からベスト1までのランキング形式になっておりますので、ゆっくりとスクロールしてお楽しみください。
また、各書影にはamazonへのリンクが張ってあります。もしご興味をもたれましたら手に入れてみてください。
ちなみに、各部門のノミネート一覧を、記事の一番下に設けてあります。
では、まずは2017年のマンガから!
2017年マンガベスト3
ベスト3
『やれたかも委員会』一巻(吉田高司/双葉社)
「あの時、うまくすればやれたかも……」そんな男女のあまじょっぱい思い出を再確認し、客観的にジャッジしてもらう架空の集団「やれたかも委員会」をめぐるcakes連載のマンガです。ふだんなら気の置けない同性の友人だけの飲み会で一度は行われるだろう与太話を、哀愁漂うコメディに仕立て上げた手腕に驚嘆しました。
社会とは自己と他者によって動くもの、したがってコミュニケーション偏重とならざるを得ないのですが、そんなコミュニケーション偏重社会である現代に、ある種のトロフィーと化した「性」をめぐって、その「性」を偏重する滑稽さを暗に指摘するとともに、「あり得たかもしれない過去」というものの抗いがたい美しさを描くバランス感覚が素晴らしいです。
下品ラビット
「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」。「やれたかも」は、「やれなかった」から美しいんだよな。だが、おれは「やれたけど」の悲しみも好きだから、そっちの委員会も誰か立ち上げてほしいぜ。
ベスト2
『白エリと青エリ1』『エリと青葉子 白エリと青エリ2』(関根美有/タバブックス)
高校生の田中エリは十人家族の一人。学校で進路希望調査表を受け取ったことから、自分の将来、特に「働くこと」とはどういうことなのかを考えることになりました。リタイアして無職の曽祖父、郷土玩具の職人である祖父と翻訳家の祖母、デパート店員の父と専業主婦の母、三人の兄と一人の姉に、それぞれ「働くこと」についての意見の聞いていくなかで、エリも様々なことを考えます。やがて彼女がたどりついた結論とは……。
よく聞くラジオ番組で紹介されていたので読んだのですが、いやー、素晴らしい。「働くとはなにか」ということを多角的に分析し、ほんわかしたホームドラマのかたちで提出して、実は「働くこと」の先にあるものを描いています。それがなにかは、読んだ人ごとに異なるでしょうが、しかしそうした多様な読み方、受け取り方ができるように作られた、これは紛れもない傑作です。
下品ラビット
タイトルになっている「田中エリ」シリーズもいいが、おれは二冊それぞれに収録されてる短編も好きだ。特に一巻に入ってる、ブタちゃんが「自分の仕事とはなんだろう」と考える「わたしのしごと」、原始人がマンモスの狩り方から生き方について考える「むかしのしごと」、「働く人を支える人」の視点を強めた「飛ぶな、猿」の三作はすばらしいぜ。
ベスト1
『ことなかれ』一巻(オガツカヅオ&星野茂樹/朝日新聞出版Nemuki+コミックス)
首都圏近郊のとある都市、その役所にある「ことなかれ課」は、市民生活の障害となる超常現象を調査、解決するセクション。霊が見える主婦、人間でないものの声が聴こえる女子高生、死者の悲しみを引き受けてしまう大学生カップルなど、それぞれに一方ならぬ苦しみと霊能力を持つスタッフを抱える「ことなかれ課」は、仕事として出会う様々な怪事件の裏に潜む悲しい真実と対峙します。
2017年に初めて出会った作家さんで、個人的にベストと思ったのがオガツカヅオ氏でした。リイド社のwebマンガマガジン「リイドカフェ」内の「劇画狼のエクストリームマンガ学園」内の「よふさぎさま」でハートを捕まれ、「こくりまくり」でぞっこん惚れ込んで、傑作『りんたとさじ』の電子書籍版を舐めるように読みまくりました。そして遂に刊行された本作の、連作第二話にあたる「立ち枯れ」で、氏の作品に通底する「人の悲しい姿を冷徹に描くとともに人の悲しみを優しく見守る」作風に感激しました。
「怪奇幻想物語」とは、そこで描かれるのが超自然ホラーであるが幽霊譚であろうが宇宙的恐怖であろうが狂気の殺人鬼であろうが、最終的にはそれら「怪奇な出来事」を、現実の、あるいは我々の写し鏡とするものだ、とぼくは思っております。たとえば、『ことなかれ』で描かれる「幽霊たち」は、死後も残る妄執のことであり、そうした妄執が生前からずっとこの世に、人間の中にあったことを示しています。怪物は人間の外側だけにあるのでなく、人間の内側にもあり、怪奇幻想物語とはそれらが呼応するさまを見せることで、物語という怪物が見せる恐ろしかったり悲しかったり美しかったりするものが、読者の中にもある/いるのだということを示すものなのです。
そうした点で、この『ことなかれ』は、ぼくの理想の怪奇幻想マンガです。第一巻最後のエピソードの衝撃的な展開のその後が気になるとともに、傑出した怪奇幻想物語の送り手であるオガツカズオ氏、そして原作の星野茂樹氏の次なる活躍が今から待ち遠しく思われてなりません。
下品ラビット
原作を担当されている「星野茂樹」氏は、noteページを持っているんだ。氏の掌編小説は、なるほど『ことなかれ』の原作者だなあと思える、冷徹な視点の中にあたたかみのあるものばかりだ。おれは今年祖母を亡くしたから、「祖母のこと」には田舎の墓地を思い出したし、「居場所」には去年死んだ友人を思い出した。死者のことを語ることは、死者に紐づく生者について語ることだと、わかってる方の文章だ。
というわけで2017年マンガベスト1は『ことなかれ』一巻でした。
ちなみに今年一年に読んだマンガは以下のとおりです。もちろんどれも面白かった!
マイク・ミニョーラ『ヘルボーイ:地獄の花嫁』、山田芳裕『ザ・プライザー』、藤田和日郎『〈双亡亭〉壊すべし』四・五巻、島崎譲『ガンフロンティア ハーロック&トチロー青春の旅』、オガツカズオ『りんたとさじ』、オガツカズオ&星野茂樹『ことなかれ』一巻、荒牧圭子『GENOMS』二・三巻、浜岡賢次『ゾンビの星』、岩明均&室井大資『レイリ』一・二巻、山田芳裕『へうげもの』二十四巻、つばな『惑星クローゼット』一巻、迫ミサキ『アイドルマスターシンデレラガールズ Wild Wind Girls』一・二・三巻、吉田高司『やれたかも委員会』一巻、田辺剛『狂気の山脈にて』全四巻、関根美有『白エリと青エリ1』『エリと青葉子 白エリと青エリ2』、堤抄子『聖戦記エルナサーガ[新装版]』全八巻
さて、お次は2017年の書籍ベストです。
2017年書籍ベスト3
ベスト3
『青春の夢と遊び』(河合隼雄/講談社プラスアルファ文庫)
「青春」とは何でしょうか。自分が誰だかわからなくなったり、自分でいるのがいやになったりするもの。みんなと違う自分を見出して怯えたり、みんなと同じことに苛立ったりするもの。誰もが一度は経験するのに、なんだかよくわからないまま過ぎてしまうもの。そうした青春について、様々な文学作品を引用しながら、臨床心理学者の河合隼雄氏が語り下ろすのが本書です。この中で、河合氏はこう結論しました。
現代の問題は、あらゆるところでボーダーレスになってきたということである。これまで相当に明確と思われていた、男と女、長と幼、教師と生徒、仕事と遊び、現実と夢、などが思いのほかにボーダーレスであると考えられはじめた。したがって、善と悪ということもそれほど明確に区別できなくなってきた。
こう考えてくると、人生の時期をある程度区切ったり、その特徴を知ったりすることは必要はあるにしても、それを絶対的と考えるのも、やはりおかしかったりするのではないか、ということになる。極言すると、青春はいたるところにあり、と言うことになる。
青春は嵐のようなものであり、よくわからないものであり、過ぎ去って二度と帰らないものだと考えられているから、特権的なものと思われがちです。世代を超えて愛される多くの物語が思春期の少年少女を主役にするのは、その特権性があるからです。しかし、その特権性は本物なのでしょうか。おとなになったら青春は訪れないのでしょうか。
本書は、そんなことはないと言っています。青春とは「自分の現状を作っている過去を確認し、未来を選ぶための時間」だからです。では、そう言えるのはなぜでしょうか。そこに興味を持ったら、この本をお読みください。優しく平易な文章で、きっと満足行く答えが書かれていることでしょう。
下品ラビット
青春てのはなかなか客観視できないもんだ。考えることも多いし、処理しなきゃいけない感覚も多くて、客観視なんかしてる余裕はないからな。だからこういう本が必要なんだよな。青春が過ぎ去ったと思う人は読むといいし、いつまでも青春が終わらないと思ってる人も読むといい。
ラノベとか好きなやつにもオススメだぜ。たまにはこういう鏡みたいな本も読んだほうがバランスがいい。
ベスト2
『ストラクチャーから考える小説再入門』(K・M・ワイランド/フィルムアート社)
エンタテイメント作品のストーリーをストラクチャー(構造)から考える手引書です。読者を物語に引き込み、追体験させ、楽しませるために、どんなストラクチャーを作ればいいか、そしてどんなふうに演出すればいいかが、平易な文章や多くの実例をもって語られています。
これを読んで、そのとおりにすれば、受け手に楽しんでもらえるエンタテイメント作品の骨組みが作れます。ぼくも、これを読んでから、その勧めに従って小説を書いて、読んでくれた人に「これまでで一番おもしろかった」と言ってもらえました。
また、このストラクチャーについて知れば、様々なエンタメ作品を読解することができます。「この作品はストラクチャーがしっかりしているから面白いんだな」とわかることがあるでしょうし、「こういうふうにストラクチャーのセオリーを外しても面白い作品を作れるんだな」と驚嘆することもあるでしょう。
いずれにしても、映画やマンガや小説やゲームなど、ストーリーあるエンタテイメントを理解するのに必携の書でしょう。物理書籍はプレミアがついていますが、そこそこ手に取りやすい金額で電子書籍版が出ていますので、そちらをオススメします。
下品ラビット
人間てのは、個人が思いたいと願っているほど個別なものじゃない。だからこそエンタメ作品は多くの人に楽しまれる。それがわかるから、誰かに楽しんでもらえるものが書けるし、そうして楽しまれるものを万人に解説できるんだ。物語を作りたい人は必読だし、論評したい人も読むべきだぜ。
ベスト1
『「世間」とは何か』(阿部謹也/講談社現代新書)
著者の阿部謹也氏はドイツ中世史を研究された社会学者。氏はそのヨーロッパ中世史の知識と、社会学者としての視点から、日本には西欧的ないわゆる「個人」は育たず、したがって「個人」の対照としての「社会」も真には成立せず、古来より連綿と受け継がれてきたプロトコル(約束事)としての「世間」のみがあって、いまもある、と言います。
いわば世間は、学者の言葉を使えば「非言語系の知」の集積であって、これまで世間について論じた人がいないのは、「非言語系の知」を顕在化する必要がなかったからである。しかし今私達は、この「非言語系の知」を顕在化し、対象化しなければならない段階にきている。そこから世間のもつ負の側面と、正の側面の両方が見えてくるはずである。世間という「非言語系の知」を顕在化することによって新しい社会関係を生み出す可能性もある。
ここで書かれている「今」とは、この本が刊行された九十年代半ばのことですが、しかし、この状況は、現代でもほとんど変わりがありません。たとえば「クラスタ」。同一傾向の人間同士のゆるいつながりを示しますが、この中で了解されるものはすべて「非言語系の知」であります。たとえば「大きな主語」。あえて抽象度の高い言葉遣いで対象を取り込んだり、明確にしないために使いますが、これも「非言語系の知」の機能、すなわち「言われないことをなんとなく察する」機能を逆手に取ったものであることは明白です。あるいは本邦のツイッターユーザーによって能動的に構築される「タイムライン」といったような主観的メディアもまた、言語化できない/されないルールによって運営されるもので……つまり「世間」なのです。
そして、ぼくたちがそうして「世間」ごとに異なる自分を持ち、ペルソナめいて「世間」を切り替えて生きていることに思い至れば、「『世間とは何か』と問うことは、結局、『個人とは何か』を問うことなのだ」という阿部氏の言説は、現代でも読まれるべき正鵠を得ていると思えるでしょう。
[前略]大切なことは世間が一人一人異なってはいるものの、日本人の全体がその中にいるということであり、その世間を対象化できない限り世間がもたらす苦しみから逃れることはできないということである。昔も今も世間の問題に気づいた人は自己を世間からできるだけ切り離してすり抜けようとした。[中略]しかし現代ではそうはいかない。世間の問題を皆で考えるしかない状況になっているのである。そこで考えなければならないのは世間のあり方の中での個人の位置である。私は日本の社会から世間がまったくなくなってしまうとは考えていない。しかしその中で個人についてはもう少し闊達なありようを考えなければならないと思っている。
『万葉集』の昔から永井荷風や金子光晴の昭和初期まで、日本人が「世間」という殻の中で育まれ、同時にその殻を厭わしく思い、しかしなかなか離れられない事実。それを、阿部氏のきびきびとした文章が語る本書は、我々のペルソナの一つである「日本人」が日本人であるということと「世間」が不可分なものであることを示してくれます。人はいつでも「生きづらい今」に育まれ、苦しめられているのです。いわんや現代をや。
現代という「世間」を生きるすべての人に、一度は読んでほしい歴史的名著です。
下品ラビット
ツイッターでやれ「うちのクラスタがどうだ」とか「バカがでかい主語で語るのはなんで」とかあーだこーだ愚痴ってる人はこれを読むべきだ。ちょっとくらいなら心が軽くなるだろうぜ。
というわけで2017年書籍ベスト1は『「世間」とは何か』でした。
ちなみに今年一年に読んだ書籍は以下のとおりです。もちろんどれもためになった!
多田満『レイチェル・カーソンはこう考えた』、高橋敏夫『ホラー小説でめぐる「現代社会論」』、川本静子『ガヴァネス』、度会好一『ヴィクトリア朝の性と結婚』、都留泰作『〈面白さ〉の研究』、片岡輝『人はなぜ語るのか』、カレン・アームストロング『神話がわたしたちに語ること』、荒山徹『秘伝・日本史解読術』、畠山清行『秘録・陸軍中野学校』、阿部謹也『刑吏の社会史』、河合隼雄『青春の夢と遊び』、マーシャル・マクルーハン・他『マクルーハン理論』、K・M・ワイランド『ストラクチャーから書く小説再入門』、阿部謹也『「世間」とは何か』、ピーター・レナルズ編『開放されたSF』、沼野充義『100分de名著 スタニスワフ・レム「ソラリス」』
さて、最後は2017年の映像作品ベストです。
2017年映像作品ベスト3
ベスト3
『ウルトラマンガイア』
1970年代に、世界各地で突然変異的に生まれた高知能の子どもたち〈アルケミー・スターズ〉によって、いずれ地球に決定的な破滅を招く存在が現れると言われた1990年代末、遂にその〈根源的破滅招来体〉と思しき怪獣/謎の機械/侵略者?が現れます。このことあるを見越して組織されていた地球防衛機構〈G.U.A.R.D〉とその実働部隊〈X.I.G.〉は〈破滅招来体〉と戦いますが、その中に〈地球の意思〉ウルトラマンの力を受け継いだ青年・高山我夢[がむ]の姿がありました。
本作はこの「ウルトラマンに変身する」青年の葛藤と成長を中心に、「目に見える破滅へのカウントダウン」に果敢に挑む人類の姿を描いた本格SFドラマです。……そう、かつて70年台の日本を騒がせた「ノストラダムスの大予言」によって、破滅の訪れる年と言われた1990年代末に、「本当に破滅を招くかもしれない」ものたちが現れた……という設定のお話なのです。そういうコンセプトにふさわしく、ときにハードSF的に、ときにオカルティックに描かれる〈根源的破滅招来体〉との戦いは、個人個人が自身の限界と向き合う重さと、限界を知る人々が手を取り合ってそれぞれの働きを全うすることでしか事態を打開できないシビアさに満ちていて、放送されてから二十年が経とうとしている2017年現在においても普遍性あるリアリティを湛えています。
だから、本作に登場する〈ガイア〉は、主人公・我夢が「ウルトラマンの力を借りる」ことで「限定的に人間の限界を突破した姿」としての「超人[ウルトラマン]」であり、あくまで一人の青年でしかないのです。そしてそうした「力を貸し合って」何事かを成し遂げる「拡張された個人」としての「集団」が困難に立ち向かうことの象徴としてのウルトラマンが二体登場し、人類、そして地球に存在するすべての命と力を合わせて破滅と戦う最終回のタイトルが「地球はウルトラマンの星」であることに感動せずにはいられませんでした。
下品ラビット
本編もとても良くできているが、おれは外伝的な作品である劇場用映画『ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』が一番好きだ。なんとなれば、「ガイアの主人公が時空を超えて『ガイアがテレビ放送されているこちらの世界』に現れ、視聴者と等身大の主人公と一緒に冒険する」てメタな構成がバッチリきまっていたからな。実はおれたちはこの劇場版を先に見てから本編に入ったんだ。それくらいよくできているぜ。
ベスト2
『メガゾーン23』
1980年代の東京、青春の日々を恋と友情と暴走行為に明け暮れていた主人公・矢作省吾は、友人から謎のバイクを託されたことで重大な秘密を知ってしまいます。それは現在が2400年台であること、彼の住む「1980年台の東京」が宇宙を航行する世代間宇宙船〈メガゾーン23〉の中に作られた「架空の1980年代」であるということ、本物の地球は戦争と環境汚染によって人類の住めない場所になっていること、そして〈メガゾーン23〉が同じ世代間宇宙船から攻撃を受けており、自分たちの知らぬ間に世界の変革が近づいていること。しかし、ただの青年である省吾には世界をコントロールする力はなく、時間が過ぎていくばかり。友人が去り、恋がままならぬうちに終わり、すべてを失った時、少年は大人になっていたのでした。
オリジナルビデオアニメとして、1980年代半ばに制作された本作は、同時代を舞台にしながらSFロボットアニメでもあるという離れ業を、思春期に普遍的な主観的な出来事を通じて描くという、実に堅実な作りになっています。書籍ベスト3に挙げた河合隼雄『青春の夢と遊び』を紐解けば、実際には「自分が知ることができる世界は、自分を通じて認識された情報のみである」という厳しい現実にぶち当たることも含めて、「自分だけが『世界の真実に気づいてしまった』と思う」ことを通じて「ものの見方が決定的に変化する」季節こそ思春期であるとされています。この点で、『メガゾーン23』はまさに思春期そのものをその終わりも含めて描いた物語として秀逸です。
だから、刊行当時誰もが度肝を抜かれたであろうラストは、今日においてもその衝撃度は健在でありましょう。当時としても画期的なストーリー、今日から見てもかなり攻めた印象のあるリアルなセックスシーンなど相まって、ビビッドかつリリカル、そしてしっかりと地に足付いた視点で「思春期」を描いた、一見忘れがたい傑作であることは間違いありません。
下品ラビット
明らかにこれにインスパイアされたと思しい設定の『僕らは虚空に夜を視る』を書いた上遠野浩平氏は、『ブギーポップは笑わない』に始まる「ブギーポップ」シリーズなんかでも、基本的には『メガゾーン23』的な「『自身の限界を知る季節』としての思春期」を描いているよな。「ブギーポップ」シリーズが今日のライトノベルの精神性に多大な影響を及ぼしたとするなら、『メガゾーン23』はその源流として、現代においても見られるべき傑作だとおれは思うぜ。あんたはどうだい?
ベスト1
『ハップ&レナード 危険な2人』『ムーチョ・モージョ ハップ&レナード 危険な2人 シーズン2』
2017年はネット配信ドラマの年だったと思います。huluの『High&Low』TVシリーズ一挙放送、Netflixのオリジナルドラマ公開などなど、映画館やDVD、ケーブルテレビといった既存メディアと違ったかたちで受け取ることのできるコンテンツが注目を浴びた一年、ぼくたちはというとAmazonプライムビデオのお世話になっていました。ぼくも下品ラビットもなによりもまず本が好きなので、もともとAmazonプライムの配送サービスは利用していたのですが、その年会費内で映画やアニメやオリジナルドラマが見られるのを知ったのは今年に入ってからでした。
知ったからには使わにゃ損と、映画とは別に、オフビートなホラーネタコメディ『デス・ヴァレー』などの海外ドラマ、『超人機メタルダー』やベスト3に挙げた『ウルトラマンガイア』など往年の特撮ドラマ、『機甲猟兵メロウリンク』や『SPEED GRAPHER』などのアニメを楽しんできましたが、その中でいっとう楽しめたのがこの『ハップとレナード』シリーズ。なんと、大好きなアメリカのハードボイルド/ノワールの作家ジョー・R・ランズデールの人気シリーズが原作(本邦では角川文庫でシリーズ第二弾『ムーチョ・モージョ』から第一期最終巻『テキサスの懲りない面々』まで訳書が出ています)で、しかも未邦訳だったシリーズ第一作『Savage Season』の映像化とくれば、見ない手はない! とばかりに見てみたら、これがめちゃくちゃおもしろかった!
長年知りたかったシリーズ第一作だという期待を遥かに乗り越えるできの良さは、原作が饒舌に語っていたオフビートなおかしみと現実の苦味、人間のどうしようもなさとやさしさとなけなしの勇気を、きっちり映像で見せてくれたところにあると思います。しょぼくれた中年白人ハップと喧嘩っ早いゲイの中年黒人レナードを演じた二人の役者もイメージ通りだし、諸々の改変も非常に納得のいくもの。特にシリーズ第一作でヒロインを務める主人公ハップの元嫁の最期と、シリーズ第二作での「真犯人」の改変は、二シーズンを通じて描かれるハップの変化に即したアレンジとなっていて、小説として親しまれている内容を別メディアに移し替える意義を最大限発揮したものだと思われます。
もちろん、もともと無類の面白さを誇る原作を忠実に再現していますから、そもそも原作未読の方には、侠気あふれる、でもしょぼくれたおっさん二人のすすけた道行きをたっぷりたのしんでいただけることと思います。来年2018年には本国でシリーズ第三弾『The Two-Bear Mambo』(邦訳タイトルは『罪深き誘惑のマンボ』)が放送開始予定ですから、ご視聴可能なみなさまは今から二シーズンをご覧になっておくと来年に楽しみが増えることと思われます。ぜひ!
下品ラビット
企画制作を務めたニック・ダミチとジム・ミックルのコンビは、同じくランズデールの小説『凍てついた七月』を映画化した『コールド・バレット 凍てついた七月』で監督と脚本を務めている、こちらもハップとレナードに劣らぬ名コンビだ。といいつつ、おれはこのコンビならポストアポカリプス/ヴァンパイアものの『ステイク・ランド 戦いの旅路』の方が好きだがな。
というわけで2017年映像作品ベスト1は『ハップ&レナード 危険な2人』『ムーチョ・モージョ ハップ&レナード 危険な2人 シーズン2』でした。
ちなみに今年一年に楽しんだ映像作品は以下のとおりです。もちろんどれも素敵でした!
「花子さん」(『学校の怪談 物の怪スペシャル』より)、『SPEED GRAPHER』、『デス・ヴァレー ~密着!ロス市警アンデッド特別捜査班~』、『機甲猟兵メロウリンク』、『超人機メタルダー』、『ウルトラマンガイア』、『メガゾーン23』、『ハップとレナード』『ムーチョ・モージョ ハップとレナード2』、『100分de名著 スタニスワフ・レム「ソラリス」』、
というわけでマンガ&書籍&映像作品それぞれのベスト3をご覧いただきましたが……実はこれまで挙げたものの中にない、「マンガ&書籍&映像作品全部門のベスト1」がありまして、これを入れればなんと、小説ベスト10、映画ベスト10と並んで、十作品を挙げることになるのでした。
その作品とは……これです!
2017年マンガ&書籍&映像作品ベスト1
『狂気の山脈にて』全四巻(田邉剛/KADOKAWAビームコミックス)
二十世紀最大の怪奇幻想小説家にして、二十一世紀のエンターテイメントに多大な影響を及ぼす「クトゥルー神話」の母体となる宇宙的恐怖神話の主、ハワード・フィリップス・ラヴクラフト。そのラヴクラフトの怪奇幻想小説を、これまで多数マンガ化し、そのいずれをも傑作に仕立て上げてきた田邉剛氏が、満を持して手がけた、ラヴクラフト作品中最大規模の作品のコミカライズが、2017年12月に完結しました。
二十世紀初頭、南極探検に向かった学術調査隊が遭遇する人知を超えた存在の実在をドキュメンタリックに語ることで、その背後に想像されるはるかな時空の広がりと対比的に受け取られるちっぽけな人間存在や既知世界の儚さを描いて、人類が人類である限り読み継がれるべき超傑作となった「狂気の山脈にて」。それをこれ以上ない完成度でコミカライズした本作は、原作のドキュメンタリックな文体をマンガという絵に移し替えてしっかりと再現しており、一見すると見逃してしまいがちな細かいディテールでもって、人知を超えた世界をさまようちっぽけな人間の視点を追体験させてくれます。つまり、描かれているものはすべて主人公たちの限られた視点で観測できた「人智を超えた世界」の一断片に過ぎず、ことの核心は我々人間には知りようもないほど巨大で、遠く時空の彼方にあり、その悲しいほど大きなギャップにこそ、人間が信じていたい「人類が存在する意義」を揺るがせる恐怖があるのです。
我々が良きものと思い、あるいは憎んでやまないものと思う全ては、遠く見果てぬ過去から、遠く見果てぬ未来まで、永劫に続く時の中でただ浮かんでは消えていく泡のようなものであるにすぎない。人生に価値などない。人間に価値などない。この実存的虚無こそラヴクラフトの描いた「宇宙的恐怖」であり、それを語るに最良の方法を持って、全精力を傾けて書かれたと思しい全四巻こそ、2017年に触れたマンガ&書籍&映像作品のベスト・オブ・ベストといっていいものと思いました。
下品ラビット
「クトゥルー神話の恐怖は日本人には感じられるものではない」などとぬかす輩は、これを読んで震えるといい。お前の半可通な知識が到達できない深みがここにはあるだろう。その前でお前が感じる魂の震えこそ、ラヴクラフトの恐怖だ。なに? そんなもの感じないだと? よかったな、それこそラヴクラウトが望んでやまなかった魂の平穏だ。
「思うに、神がわれわれに与えた最大の恩寵は、物の関連性に思いあたる能力を、われわれ人類の心からとり除いたことであろう。」(「クトゥルフの呼び声」宇野利泰訳より)
以上をもちまして、2017年マンガ&書籍&映像ベスト10を終了いたします。最後までお読みいただきありがとうございました!
(うさぎ小天狗)
いただきましたサポートは、サークル活動の資金にさせていただきます。