居場所

 「居場所なんてどこにもないんだ」近所に住む同級生、高原はそういって私の部屋の隅で膝を抱えて座った。「そうか?」学習机に座って勉強するフリをしながら、私はちょっとイライラして答えた。

 それはそうだろう、その頃私は受験したすべての大学に落ちて浪人が決まり、一方の高原は地元の国立大学に現役合格、しかも中学生の時から付き合っている彼女が居て、テニスサークルに入ったという話も聞いてきた。こうなると当時の私の狭い世界観では、高原はもうファンタジー界の住人で、おまえそれでよく悩みとか言ってられるな、膝を抱えたいのはこっちだよ!と言いたいところをグッとこらえていた。

 なぜなら高校に入ってから疎遠になっていた高原が突然訪ねてきたのに面食らったのと、両親が不仲で父親が暴力を振るうらしい、というのを人づてに聞いていたからだ。

 「何か話したいことがあるのか?」屈折していた私はつっけんどんに聞いた。「いや、いい」そういって高原はハァーと深いため息をついて自分の膝と膝の間に頭を入れて丸くなった。「勘弁してくれ!」と私は心の中で叫んだ。高原の深くて暗い感情がこちらまで浸食してきそうだった。話してくれないというのは私に話しても何も解決しない、話す価値がないという言われているようで、実際その通りだった。

 「何か食べに行こうか?」たまりかねて私はそう言った。腹が減った訳ではなく、とにかくこの場から逃げ出したかっただけだ。「いや、いい。もう帰るよ」そう言って高原はゆっくり立ち上がった。私は正直ほっとしたし、顔にも出ていたと思う。「あのさ…」帰りがけに高原は振り向いて言った。「コーヒーごちそうさま」「ああ」その頃、私は何故かコーヒーにはまり、親に頼んでサイフォンを買ってもらっていて、美味いコーヒーをふるまえるのが唯一の自慢だった。「本当に美味しかったよ」そういって高原は帰って行った。

 それから私は大阪の大学に行き、何年かして友達から高原が自殺していたことを聞いた。しかもそれは私の家を訪ねてからほんの数ヶ月後のことだった。

 あれから数十年、就職して結婚して子どもができ、仕事を辞めて文筆業をなりわいとして随分経った。良いことも悪いこともあったが、今になってようやく高原の言いたいことが分かってきた気がする。

 居場所なんてどこにもないのだ。幸せだとか不幸とかの話ではない。置かれている環境や貯金残高、仕事の成功や失敗、そんなこと一切関係なく、居場所なんてどこにもないではないか。

 おかしな話、私は高原の言葉に救われている。居場所なんてどこにもない、そう思うことである種の覚悟ができた。彼を救えなかったことを後悔しているしとりかえしはつかない。多分どんなことをしても私に高原は救えなかったと思う。

 高原の墓参りには行ってない。

                               ー了ー


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